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エクスキューズしない「生きてます」の記録|はらだ有彩×ひらりさ対談⑧

 『日本のヤバい女の子』の著者、はらだ有彩さんと、ライター業のかたわら劇団雌猫メンバーとしても活動するひらりささん。取材や街での人との出会いを通して執筆するお二人が、部屋から出られない状況でどのように考えているのか。「外に出ること」と「部屋で書くこと」の往復で形成してきた「自分の輪郭」をどう保っているのか。第6回から第8回はオンラインで対談していただきました。最終回は、〈エクスキューズしない「生きてます」の記録〉について。

(2020年4月22日収録)

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自分が腑に落ちることだけをしてみる

ひらりさ はりーさんはSNSでの発言や、周りの友達とのやりとりとかは変わりましたか? 私は昨今のコロナ禍で、はりーさんの「家にある服全部着る」だけが一筋の光のような発信だと思っていますが……。あ、正確には、はりーさんが実施中の、ハッシュタグ「#家にいる間に家にある服を全部着る」企画のことです。「池の水全部抜く」みたいな言い方しちゃった(笑)。

はらだ (笑)。発言するとき、他者に何か影響を与えることができるかもしれないという考えを捨てて、自分の腑に落ちることだけしようという感じになっています。こう言うと、なんか普段から他者にめっちゃ影響を与えたがっている人みたいですが……。生命のエマージェンシーに直面したときに、物理的即戦力という意味では圧倒的に役に立たないジャンルにいるので、役に立たないことを受け入れて、役に立たないなりに広義では役に立とう、みたいな。

ひらりさ 志がある。

はらだ 最近、見かけるたびに「うーん……」となるものがあるんです。たぶんヨーロッパ圏の人が描いたと思われる、マンションの断面図を模した風刺イラストなのですが……。最上階のベランダでオペラ歌手が歌っていて、その下でモデルさんとかインフルエンサーがセルフィしていて、その下の階で親が子供に勉強を教えたり、高齢者が編み物をしていたりして、マンションの下にウーバーイーツの配達員と医療従事者と患者さんがたくさんいるという、社会の不均衡を描いている的な絵がインターネットでときどきまわっているんですよね。

ひらりさ 私、見たことがなかった。

はらだ めっちゃ適当な推測ですが、日本はロックダウンしていないからあまりバズっていないのかもしれません。

ひらりさ なるほど。

はらだ この風刺には「家にこもっていられるやつはいいよな」という意図があるかと思うのですが、私はこれを「ある面では」無視しようと思っています。

ひらりさ 今自分が家にいられることについて罪悪感を抱いたり、家にいられる人の責任を問うことはしたくない、ということですか?

はらだ そうです。「ある面で」ということについて先に注釈しておくと、もちろん外に出るタイプのお仕事で社会に接してくださっている人のことを無視しよー!ということではまったくないです。ついでに、言うまでもないんだけどたまに見かける「自分で選んだ仕事だろ」みたいな自己責任論に賛同するわけでもまったくないです。
私が自分に課しているのは、「いてもたってもいられないという理由で生まれる『後ろめたさ』にかられて行動のサステナビリティを目減りさせると本末転倒」ということです。そもそもすでに労働に不均衡が存在している時点で、件の絵を描いたどこかの誰かも、私も、少なからず不均衡をスルーしてきてしまってますよね。今いきなり気持ちだけ寄り添って勝手に申し訳なくなったり後ろめたくなるのは、別に悪いことじゃないけど、何にも繋がらない気がして。その時間に、可能な人は1円でも募金するでもいいし、今から考えようと決意を新たにしてもいいし、可能じゃなければ家にいるだけでもいい。で、どうせ家にいるなら家にいるときの心持ちが健康な方が、家にいるという行動の持続可能性が高まるかなと。「#家にいる間に家にある服を全部着る」はなるべくサステナブルに家にいるために始めた、自分用の活動です。

ひらりさ その通りだと思います。

はらだ 普段なら、「健康な心持ちでいる」「健康な心持ちを長持ちさせる」必要があるときって、ものを買ったり出かけたりして外の世界にアクセスするのですが、今は行けない。インターネットで買い物するという手ももちろんあるんだけど、外の世界をフラフラすることと比べると、どうしても「帰ったら思わぬおやつが買ってあった!」みたいな偶発的なインスピレーションが少ない。それに、自分の過ごしやすさと不要不急の線引きを決めかねて、かえって心にかげりを落とす時間が生まれてしまう。
じゃあ、すでにあるものの組み合わせのなかから思わぬインスピレーションを得ればいいのでは!?ということで「#家にいる間に家にある服を全部着る」に行き着きました。

ひらりさ ネット通販にも「衝動買い」はあるものの、少なくとも「良さそうだな」と思ってアクセスしてるわけで、書店や街中の店でふらっと何かを買うほどのインスピレーションは今のところない気もしますよね。いつから始めたんですか?

はらだ 4月11日です。見返すと、その日に考えていたことが思い出されるという副産物的なメリットもありました。


ただ「生きてます」を記録する

ひらりさ このコロナ禍を機に「感じ方」を残しておこうよというムーブメントがあるじゃないですか。

はらだ 日記や記録をつけておこうという動きが活発ですね。

ひらりさ それは個々人にとって意義のあることだと思うんです。でも一方で、受け取る側にまわってみたときに、やっぱり「不安」や「焦燥」や「生命の危険」にいろどられていますよね。それをアウトプットしたり受け取ったりするのも必要なのですが、個々人の感じ方というものが結局、「そのなかでこうあるべきだよね私たち」というものに塗り固められているように思います。たとえば、「電車に乗るのはいけないので○○しました」というようなエクスキューズをつけてしまうとか。私はそれを「ほんとのこと」ではないと思っています。自宅で一人で自分のために残しているのとはちょっと違う。

はらだ 実を言うと、私もそれで、「家のなかで」撮ることにしたんです。「#家にいる間に家にある服を全部着る」を始めた前の週の4月5日にもコーディネートをあげたのですが、無意識のうちに「買い出しに行かないといけなかったので、外に出ました」みたいなことをエクスキューズとして書いていて、後で見返して自分でも「なんやこれ」と思ったのだった……。

ひらりさ 私がはりーさんの服の企画が好きなのは、もちろん、コロナで外に出られないとか、不安とか焦燥とかがあって他のことができないとか、いろんな条件下で生み出されているものなのですが、でもアウトプットそのものは生身の感情自体ではないし、そこがなくても楽しめるし、受け手にとってもネガティブなことを忘れられるし、エクスキューズがないコンテンツだなと思ったんです。エクスキューズのないものを残したり、受け取ることこそが本当に必要なんじゃないの?と私は思っていて。本当に必要だしクリエイティブだなと。だから、現状でストレスを感じていそうな友達には、かわいいインテリアの新商品とか、はりーさんの記事とかをレコメンドしてます。

はらだ 家にいる状態で家にある服を着るなら、誰にも迷惑かけないし楽しいやんけと思ったのでした。

ひらりさ この企画は、はりーさんの「家にいられる」という利点によって成り立つ部分はもちろんありつつも、感情やエクスキューズから独立しているのでみんなで楽しめるなあと私は思っています。私もこの状況下で何かそういうものが発信できたらいいんですけどね。さっき日記ムーブメントをdisっておいて、普通に日記ばかり書いています(笑)。コロナに関係があることはたくさんやるべき人がやっているので、直接的にはコロナと関係ないことを、しかし今、人に響くかたちでやれたらいいなと思います。

はらだ そうそう、これも「家にいられるやつはいいよな」と言えなくもないですよね。そうなのですが、私がさっき言っていたマンションの風刺画に違和感があるのは「家にいられるやつは家にいること以外で役に立たないんだから家にいることで役立つ」というのと、「家にいることで家にいられない人に負担をかけている」ことがごっちゃになっているからなんです。たとえば私が「家で楽しくコーディネートするために服100枚ポチりました! 明日届いてほしい!」とか言っていたら、もう一人の私はそれを見かけたら「うーん」と思うんですけど、一方で、買ってもらわないと商売が立ち行かないという人もいるので、買い物するのを悪だと言うのはものすごくよくない風潮でもありますよね。私も応援目的で服からコーヒー豆まで割と買い物してはいますが、今「応援目的で」と言ったのもエクスキューズになっちゃってる。そういう気兼ねを忘れてとりあえず今あるもので楽しくなりたくて始めました。

ひらりさ 自分のなかでどこにラインを引くかはそれぞれに委ねられるべきだと思います。書くものすべてにエクスキューズをつけてしまうと、すごく長い目で見たときに、このときほんとはどういうことを考えていたんだろうな、ということが残りづらいと思っています。実は去年から紙の5年日記をつけているのですが、これはかなりいいなとこの状況下で実感しました。みんなも今こそ人に見せない日記書いたほうがいいよ!と思います。

はらだ 人に見せないということで言えば、私は毎日3食分のごはんの写真を撮っているのですが、それがもう、すごく映えないんです。


はらださんごはん1

はらださんごはん2


ひらりさ 色味に社会風刺を感じますね、とすさまじく適当な感想を述べておきます(笑)。シュルレアリスムみがある。

はらだ ソーセージのせいですね多分(笑)。ちなみに分かるわって感じだと思いますが無加工です。こういう雑雑ごはんの写真を全部撮っています。以前なら「わざわざ撮らなくてもいいか」と思う献立なんですが、なぜわざわざ雑雑ごはんの写真を撮るようになったかというと、本格リモートワークを始めて2週間くらい経って、記憶がないことに気づいて。スケジュールは手帳に書いているから、仕事の記憶はあるんですよ、原稿の記憶もあります。コロナに関係することとか、すごく怒っていることもTwitterに書くからあとで辿れるんですけど、それ以外の、ただ生きてるみたいな記憶がなくて。そういうちょっとした「生きてました」みたいなメモ日記として、誰にも見せないっていうか見せられても困るみたいな写真をわざわざ撮っています。今見せちゃったけど……。

ひらりさ それでいうと私は「往年のオールタイムベスト漫画を読みかえす」をやっています。しかも恋愛漫画を……。そもそも折々に読んで感じ方を確認したいくらい好きな作品たちではあるのですが、まさに今、自分の輪郭を確認しておきたいな、ということで読みかえし月間に入りました。世間で爆売れしているというカミュ『ペスト』も、不勉強ながら読んだことないし興味はあるけれど、今私が読むべきは『ペスト』より吉野朔実『恋愛的瞬間』なんやと主張し、周りにも読めと勧めています。この次は津田雅美『彼氏彼女の事情』に着手する予定です。

はらだ オールタイムベストを見返すことで自分のコンディションがわかったりしますよね。この台詞に引っかかるということは、今自分はこういう状態だな、とか。

ひらりさ WHOのメンタルヘルスのステートメントにも「コロナのニュースを追うのは1、2回にしとけ」と書いてあるんですよね。SNSやネットをやっているとどうしてもコロナのニュースを追いすぎてしまいます。オールタイムベストの長編漫画を読むと時間が奪われるのでよいです!

はらだ 余計な情報を見る時間を自ら奪われに行く作戦!
オールタイムベストって、いつの時代も変わらない名作ですよね。今は変わってしまったこと、変わっていくであろうことを追う時間がどうしても増えてくる日々で、「変わる」という世の中全体のストーリーに飲まれざるをえないことが多いと思います。実際に変わることの方が多いし、逼迫していることも多い。一方で、そういう要因に影響を受けない、変わりようのない自分の感覚を確保しつづけたいなあと思っています。変わらない感覚というといわゆる正常性バイアスと紛らわしいですが、「恐ろしいことが起こるはずがない」変わらなさではなく、「何かやばいことが起きても、これだけは変わらないし譲れない」感覚です。「いや正気に戻って考えたら、これおかしくない!?」とか、「今我に返って気づいた」とか、「元から熱狂的に好きだから、これ以上狂いようがない」とか。そういう、自分の輪郭を微かにでも思い出させてくれる感覚をもって部屋にいられれば、外に出られない日々でも糧とエネルギーのサイクルをまわしていけるかも。いけるかも、といっても想像にすぎないので、とりあえずやってみます。

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日々急速に物事が変化し、先が見えない不安のただなかにある現在。そのような状況にあっても、つねに「自分の輪郭」を確認することで、日々を生きていくことができるかもしれません。今こそ読みかえしたい・訪れたいオールタイムベストをお二人にあげていただきました。


ひらりささんのオールタイムベスト

〇日渡早紀『ぼくの地球を守って』(1987–1994)
「前世ブームを起こした通称「ぼくたま」。リアルタイム世代ではないのですが京都の国際マンガミュージアムで読んでどハマりし、帰りに大垣書店で全巻買って帰るくらい没入した。人間の一筋縄ではいかない感情描写がうますぎる。」
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〇吉野朔実『恋愛的瞬間』(1996–1998)
「ごくたまに恋愛相談をされたときは必ず「まずこれを読みなさい」と伝えている。文庫で3巻の連作短編集なのでさらっと読めるのにずっしり重い。「不幸の発明」が大好きです。」
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〇津田雅美『彼氏彼女の事情』(1996–2005)
「完璧主義で猫っかぶりの女の子と、眉目秀麗だが心に傷のある男の子が出会って恋をする話だけど、学園ラブコメかと思いきや、次第に「家」の話に移行する。津田雅美さんは軽やかな天才……。」
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〇藤本タツキ『チェンソーマン』(2019–)
「オールタイムというには最新すぎますが、GWに一気読みしてハマりました。人は30を過ぎても「マキマの正体は?」みたいな考察記事を読み込んで一日を終えることがあると知った。人類は、沙村広明リスペクトの絵柄でジャンプ漫画をやることが可能だったのだ……。」
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〇水城せとな『窮鼠はチーズの夢を見る』(2005)、『俎上の鯉は二度跳ねる』(2009)
「あなたはきっと今年「窮鼠」シリーズと出会うために、今まで読まずにいたのだと思います。とにかく何も言わず読んでほしい。」

はらだ有彩さんのオールタイムベスト

〇ますむらひろし『コスモス楽園記』(1986–1989)
「もう絶対に元の世界に戻れない」状況から始まる、ほのぼのに見える冒険記。戻れないことがポジティブでもネガティブでもないところがよいのです。」
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〇大島弓子『つるばらつるばら』(1988)
「現代と繋がっているようで繋がっていない、でも繋がっているかもしれない近未来が舞台の不可思議な「SF」恋愛漫画。反則技の希望をくれます。」
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〇庄司創『白馬のお嫁さん』(2014–2016)
「こちらも不可思議「SF」恋愛漫画!「そんなんあり!?」に「ありなんです」と言われているようで、今の不安を全部捨てて翻弄されることができます!」
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〇高野文子『棒がいっぽん』(1995)
「すでにあったことはもう絶対誰にも変えられないので、「そうだったね」「そうだったあ!?」と言えるよろこびがあります。」
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〇養老天命反転地
「岐阜県養老町の公園内にある、荒川修作+マドリン・ギンズによる施設。行くたびに異なる感じ方、解釈ができるので、100回行っても楽しめるところです。今は閉園されているとのことですが、次に行けるときを楽しみにしています。」


(構成・楠田ひかり)

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第6回はこちら▼

第7回はこちら▼

プロフィール

はらだ有彩
関西出身。テキスト、テキスタイル、イラストレーションを手掛けるテキストレーター。2014年、デモニッシュな女の子のためのファッションブランド《mon.you.moyo》を開始。代表を務める。
2018年に刊行した『日本のヤバイ女の子』(柏書房)が話題に。2019年8月に続編にあたる『日本のヤバい女の子 静かなる抵抗』を刊行。「リノスタ」に「帰りに牛乳買ってきて」、「Wezzy」にて「百女百様」、大和書房WEBに「女ともだち」を連載。
Twitter:@hurry1116 
HP:https://arisaharada.com/
ひらりさ
1989年東京生まれ。ライター・編集者。平成元年生まれの女性4人によるサークル「劇団雌猫」メンバー。劇団雌猫の編著に、『浪費図鑑 悪友たちのないしょ話』(小学館)、『だから私はメイクする 悪友たちの美意識調査』(柏書房)、『本業はオタクです。 シュミも楽しむあの人の仕事術』(中央公論新社)など。イガリシノブさんとのコラボ本『化粧劇場』が5月11日に発売予定。
ひらりさ名義として「FRaU」にて「平成女子の「お金の話」」、「マイナビウーマン」にて「#コスメ垢の履歴書」を連載。
Twitter:@sarirahira