【日記】日記を始めるという内容の日記と離人症について少し【1日目】

日記をはじめてみることにした。
これまでも個人的に日記を書いていたことは結構ある。

眠剤飲んでから書いてたらありえない長文になっちゃって寝落ちしたこともかなりの頻度ある。


なぜ突然noteで日記を始めたか。
理由は月並みだけど「見せる為の文章」の練習。

個人用の日記というのはどうしても自分しか見ないから責任感があやふやになりがち。
あと構成がボロボロ。
オチをつける必要もないなら延々と書けてしまう。

それはそれでスッキリするんだけど、多分それだけじゃ身につかない何かがあると思うんだよね。

・弱くても起承転結をつける。
・その為にテーマを絞る
・短い話を毎日ひとつする(難題)

そういうことを繰り返していたらエッセイとか書けるようになるかもしれないからね。


さて、じゃあここからが今日の日記。
やったことは特にない。
ひきこもってた。
というか動けない。

10月末頃からプツンとと糸が切れたように意欲も何も無くなってしまった。
苦しくはない。死にたいわけでもない。

ただただ、無。
いや、無というか、感情の波がとても小さなものになっている。
飛び跳ねるほど喜んでいたことが、ニコッと微笑むくらいになったいうような表現が近いか。
そのため明らかなうつ症状ってのが目立つわけでもない。

面白い時は笑うし、哀しさや切なさもちゃんとある。
ただ、感情が遠い。
「ピアノは3日弾かないと感覚を取り戻すのに苦労する」なんて通説があるけど、まさにそんな感じ。

「あれ、このカラダってどうやって乗りこなすんだっけ」みたいな。


さて、ここまで書いて気づき。
これは離人症だろう。

たかだか630字の日記で自分の状態が理解できるのだから儲けものだ。


離人症はうつ病が酷かった頃、よく発症していた。

当時は、街中で『そろそろご飯を食べる時間だ。どこか店に入ろう』と思ってから小一時間店が決められず駅前をフラフラさ迷っていたりなどよくしていた。

ポイントは「ご飯を食べる時間」で判断しているところ。
本体はお腹が空いているかすらあやふやな状態だし、動機が食欲由来ではないから「〇〇が食べたい」という欲求も存在しない。

そりゃあ店が決まらないのは当然のこと。


こういう時の対策は、正常な時にルーティンを決めておくこと。

・安いモノ
・いつも食べてるモノ
・健康的なモノ

3つくらい候補を決めておいて「このうちのどれか」ではなく、優先順位をきちんと決めておくべき。
メモアプリとかに残して。
離人症の時は2つにひとつでも決められないから。

あとカラダに悪いモノもグレー
油物やジャンクフードなど、いつも食べていたとしても食欲がないので気持ち悪くて残しちゃう時もある。
そのためどうせ同じならカラダに優しいモノもいいかなって。

最後に財布に優しいモノ
離人症で判断能力が下がってる時は迷いが強い。
「どうせなら1,000くらいのランチを〜」なんて人もいるかもしれないが、実際は「食べたいものもないのに1,000円も使うのは無駄じゃないか…」とかなる場合もある。むしろそっちのが多い。
なので「ムダにしてもいいや」くらい気楽に食べれるモノが理想的だと、個人的には思う。


さて、そろそろ締め括る。

気づけばもう1300字になる。

ちょろっと書き始めてみたら簡単に自分の気づきを得れたし、吐き出せてスッキリした。
頭のモヤも少しばかり晴れた。
話の延長で自分の持ってる有益な情報もシェアできた。

やっぱり日記は公開するのがいいね。
一歩前進。ということで。

ただ吐き出してる出すことが目的の日記なので、文章がなかなか酷いでしょ。ごめんね。
だんだん上手くなるから。多分。

明日以降も続けられますように。
それじゃあ、おやすみ。

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