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アメとムチ

「勉強しなさい」と、こどもに言ったところで、勉強するわけでもないし、果たして、自分はこどもの頃どうだったのか? そんなに勉強していたか? 今だって自分のモチベーションをコントロールできていないじゃないか。

モチベーションをコントロールするのに良く使われている言葉が、アメとムチだ。

アメとムチとは言うけれど、結局はアメだ。

アメがもらえるからやるのだ。

長い目で見ると、目標自体がアメなのだ。

根性論とは言うけれど、何のために根性を押し付けるかというと、先にあるアメがあるからだ。根性論と言えば、暴力は論外だが、ひと昔前の人で非科学的と言われるかもしれないが、スタートから目標までの仮定で、アメが少ないのが根性論のような気がする。我慢が多い分、目標達成したときの大きなアメは美味い。

みんな大きなアメを舐めたいのだ。

そのために目標までの長い道のりにどのように小さいアメを並べていけるか。

アメは、必ずしもご褒美を設定しなければならない訳ではない。

それだけの目標に向けて歩き始めて、ある程度歩き続けることができたならば、それだけ継続することで身に付いた技術や知識、技もアメだったりする。

これで満足感を得られれば、立派なアメだ。

しかし、人それぞれ満足感を得られるポイントやタイミングは違う。

だから、自分にとってのアメ、こどもにとってのアメは何なのかを時間をかけて考えていこうと思う。

アメとムチというけれど、結局はムチだ。

苦しんだ先に目標達成があるのか。

それはわからない。

目標達成したことがないから目標なわけで、その過程がわかっていれば、目標達成している。

だから、自分にとっての道なき道を進む。

この道なき道を進まなければ、目標達成はできないのだ。

これは自然とカロリーが消費されるムチだ。

この道を進むには適度な糖分、生命を維持させるためにアメが必要になる。

結局は、アメとムチだ。

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