アインシュタインと教え方。

(そもそも、アインシュタインの相対性理論は難解な内容だが)アインシュタインが数式を生徒に教えるとき、生徒にとって、その授業内容はわかりにくかったという逸話がある。
単純そうな内容の数式に見せられないという。

これは、西洋占星術でも、まぁ他の占星術でも、似たような話なのかもなと思ったのだ。

そもそも、図面を図面のまま、読めばええんや。どの部分でも、ややこしそうに見えても、PCのソフトで出した図面のまま読んだらええだけ。
なんて言われても、さっぱりなのかもしれない。
今は、図面出しの部分をPCのプログラムでやってくれてるんだし。
昔は、その図面作成部分すら、手書きで人力だったのだから。

ホロスコープの読み方に、なんか派閥あるっぽいけど、それって、結局のところ……。
「図面を図面のまま読めばええやろ」という教え方だと、さすがにわかりにくいか』って、思った先生方が、あれやこれやと、言葉を足したり引いたりしたら、余計に数式が、ややこしくなっていった経緯がありそうな気がする。
妄想とか、そういうレベルの話ではなく、そもそも、想定する生徒の理解能力に、数式を合わせようとしたら、余計なものがいっぱい入り込んで、余計に難しくなりましたという仕上がりの教本になっちゃっただけのような。

だって、本質的には、全部、図面を図面のまま見て、言葉に置き換え出来たらええんだし。(それができたら苦労しないと言われそう)

で、数式の言語化のややこしい面として、生徒にわかりやすくとっつきやすくしたくて、言葉を足したり引いたりすると、その言葉ですら、数式に含まれてしまうみたいな現象が起きてしまうってところだよね。

それは、まるで、聖書の内容がややこしく感じる理由にそっくりでね。
聖書は、一冊だけではない構成で、旧約聖書と新約聖書にわかれているだけでなく、旧約聖書だけでも、創世記とか、細かい分類があり、新約聖書部分だけでも、イエス・キリストの言行録に当たる各福音書、初期教会の歴史、初期教父による手紙の部分に分けられている。
で、ふらっと教会のミサに参加してみました〜くらいのノリでいくと、なぜかいきなり、その日の教父の気分で抜き出した、ちょっとええ言葉を聞かされ、みんなめっちゃ勉強してるなぁとなっちゃう。
ただ、旧約聖書部分は、ユダヤ教と共通する部分であるし、新約聖書は本来なら、イエス・キリストの人柄を忍ばせる福音書部分だけでええのに、初期教父の手紙でだいぶ話をふくらませてしまっている。
初期教会の歴史は、まだしゃーないわ。初期教父の手紙、あの部分は完全に蛇足や。いくらええこと書いてあっても、初期教父の手紙部分は全部蛇足や。
そもそもお前は何やねんという話や。イエス・キリストちゃうやんけ。しかも、イエス・キリストが生きてた頃に師事した直弟子による話ですらないやんけ。
なので、いわば、わけわからんオッサンによる手紙ということになる。わけわからんオッサンが書いた、何か、ええ言葉風の手紙ばかりをありたがって、信仰し、拝んでるのだ。
こんなの、いくら勉強しても、混じり気ありすぎて、わかるようになるわけないだろ。

ということが、どの占星術の教本でも、起きてしまいがちだということだ。
足すんじゃなく、引いていこう。
どれが余計な足し算なのかを見抜くことに、かなりの能力使わされてる気がしないでもないけど。
教本で言いたいのは、図面の中で、ここの部分は重要な部分だから、ここをこう読めばええ。
くらいのことや。

初期教父が「ここはこうなはずです」といくらいうても、知るか、そもそも初期教父は初期教父であって、イエス・キリストじゃねぇということなのだ。
イエス・キリストの部分は、福音書だけやん……あんだけ長ったらしい話しててもや。
というわけで、西洋占星術の読み方は、言葉部分は、あんま重要性なくて、読み方はほぼPCが出した図面の記号を覚えて、図面の記号の位置を見ればいい。
それだけでも、なんか情報多いから、ガンガンしぼって読む。
ここだけは重要そうという位置は、話の内容によって変わっていくというだけの話だ。

ちなみに、イスラム教では、旧約聖書部分はガッツリ共通するが、イエス・キリスト部分は、イーサーとして扱われ、新約聖書にあたる部分に関して言うと、福音書部分しか扱われてない。
で、コーラン経を足したわけだ。
ムハンマドの言行録を足したわけだ。

ま、アブラハムの宗教に関していえば、ユダヤ教の中の救世主という概念にたいして、太陽が救世主だと主張してみたり、それなら月も救世主だと名乗っただけにすぎず、それを言い出すと、たぶん、銀河系の星も英雄も、全員救世主に名乗りあげることが出来てしまえるため、結局、多神教化しちまう。

日本には、仏教があり、どうも、独自の信仰進化を遂げている。
南無阿弥陀仏と死に際に念仏唱えれば、それで良いくらいになってしまったのは、ある種の宗教革命なのだが、これを未だに言葉にできずにいる。
アブラハムの宗教が指し示す救世主概念は、たぶんに、アブラハムの宗教概念をまるごと捨て去って、夢からさめた先にいるものなんじゃないかなぁ。


サポート代は、わたしの子供たちの育児費用等に使われます。