師匠と弟子について思うこと。

私は、頼まれても弟子をとらない、という生き方は、潔いなと思います。本当に、弟子という存在を理解出来ているからこそ、あえて頼まれても弟子お断り、なのでしょうから。

しかし、師匠と弟子という関係性を、ビジネスに利用したり、単なる利害で弟子を取る人々は、なんなのだろうか、と思っています。

弟子は形態が通いであれ、住み込みであれ、師匠の身の回りの世話をします。その報酬として、師匠はノウハウ伝授と当面の生活の保障をするのです。

弟子から、お金を取るのは、単なるビジネスの関係、仕事での教師と生徒です。

呼び方を師匠、弟子と呼んでみたところで、身の回りの世話とノウハウ伝授と生活の保障のやり取りがない関係は、単なるゴッコでしかありません。

この、師匠弟子制度の最大のメリットは、弟子側にあります。

まず、本当に元手がなくて、生活に困った人が、一念発起して生活を立て直す術として、かなり有用ではあります。

どのくらい元手がなくて困った状態かというと、両親を幼くしてなくし、両親の借金が大量にあり、親戚にたらい回しにされて育つ位、元手がなくて困った状態から、復帰し、自分で生活が出来るようになる位、有用な人材育成方法なのは事実です。

実際に、師匠弟子制度が生きている世界に飛び込んだことで、生活を立て直した人々はたくさんいます。

師匠側のメリットは、雑事を考えることなく仕事に集中できること、自分のノウハウを受け継いで発展してもらえること、です。

師匠が、弟子をとると決める理由としては、師匠に育ててもらった恩を、弟子を取ることで返す、という恩義の考え方が根底にある人も多いです。

なので、カルチャースクール的な教師と生徒の関係から独立した人々が主流になってしまうと、その業界から師匠弟子の関係はなくなってしまいます。

カルチャースクール的な、教師と生徒の関係は、学ぶ生徒側に元手が必要な関係性です。

つまり、本当に生活に困った生徒が、さらに学ぶために生活に困るという悪循環を生みかねないシステムです。

教師と生徒の関係は、生徒側の認識が趣味のレベルであれば問題にはなりませんが、仕事として考えているならば、考え直した方がいいかもしれません。

なぜならば、その人があなたの目指す仕事で一流ならば、教師として生徒からお金をもらって教える必要はありません。

教師という職業につく人は、だいたい、その分野においての能力が、中途半端なのです。

初等教育、中等教育においては、中途半端な教師でも必要とされました。
人材がいなかったのです。
初等教育、中等教育を、税金から出す位、教育は国の根幹にかかわる重要な制度です。

師匠弟子という制度がなくなり、かわりに専門学校と生徒の関係がひろまると、その分野における一流のノウハウは広まらなくなります。一流の人が教える機会がなくなるからです。

一流の教育は、その分野の一流の人じゃなきゃ出来ません。わかりやすさひとつ取っても、雲泥の差があります。

師匠弟子制度は、死にかけてはいますが、まだ残るところには残っています。

師匠弟子制度の復活は、日本の人材育成、そして優れた人材による継続的な景気回復に有用ではないか、と考えています。

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