僕と父方の祖父

今の僕には、父がいない。

といっても、いわゆる愛人の子供とかではない。
僕がとても小さい時は、自宅で父とよく遊んでいたし、父とお風呂に入るのは、毎日の楽しみだった。

息子が可愛くて仕方ない、優しい父親だった。

そんな父が、今はいない理由は単純だ。
僕が小学生になってすぐの夏休み頃、過労が祟って死んでしまったからだ。

元々父は身体が弱く、母は比較的身体が頑丈だった。
僕が生まれる前までは、共働きしながら、母が父の面倒をみる形の夫婦生活を送っていたらしい。

しかし、僕が出来たタイミングで、父の母、つまり祖母が、がんであることが判明した。
父の身体の弱さは、母親似なのだ。

父は一人息子だったので、たいして家のことをしたことのない舅の他に姑をみる人はいないからと、身重の身体をおして、姑の介護をしようとしたらしいが、そこは、はじめて出来た赤ちゃんである。

せめて最期に、孫の顔をみせたいからと、祖父と父は、母に無理をさせないようにがんばった。

祖父は、まだ身体が健康だったからよかったが、問題は僕の父。

仕事と介護の両立、といっても、祖母は、僕が生まれた一年後に死んでしまったが。
その上、僕の世話におわれて、ついに身体の限界を通り越してしまった。

とうとう持病を悪化させ、過労死してしまったのである。

遺された祖父と母と僕との、暮らしがはじまった。

僕がいるとはいえ、未亡人として生きるには、まだ若い年齢の母。

僕を養うための仕事に励みながら、亡くなった父の思い出と僕一辺倒の母。
そんな彼女に春が来たのが、僕が高校生になる頃だった。

僕の高校の担任が、母に一目惚れしてしまったのだ。

母の中には、未だに父がいる。
そうでなければ、あんなに、身体の弱い男と結婚なんて、出来ないものだ。

だから、最初は、全くとりあってももらえず、担任が可哀想にみえてくる位だった。

僕が卒業して就職した年、母の中の荷が少し軽くなったからか、担任の想いが通じて、二人は付き合うことになった。

そうなれば、祖父は一人きり。

なんだか気の毒な気がして、なるべく自宅近くで職場を探し、母が家を出てからは、祖父と僕の生活がはじまった。

ある日、祖父が体調を崩した。

やっと久しぶりの幸せそうな母の笑顔を守りたいから、僕は僕なりに介護サービスを探したりした。
市役所に駆け込む時間を作るのが大変だった。

仕事と両立させながら介護をしようとする僕に、祖父は、施設に預けろとだけこたえた。

それでも、僕は、祖父の最期を看取った。

祖父が墓に入るとき、あぁ、僕は、これで一人きりになったんだなぁと悟った。

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