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短編読み切り小説『共に在る者』

鐘塔の影に身を潜め、キリアンは70m下の地上へと銃口をさだめた。
唇の端に微かな笑みが浮かぶ。

大聖堂正門の入り口は、青空を覆う雲の合い間から射す日の光のせいで、スポットライトに照らされたまるでステージのようで、この日を、いわくつきの大司教が最期を迎えるに相応しい場所を、天があつらえたとしか思えない。

死に際の薄らぐ意識の中で、この国を破滅へと導こうとした己の所業の数々をせいぜい悔やむといい。
万が一にも後悔する心とやらを持っていればの話だが。

先端を塔のへりにのせた狙撃銃を、立てた膝と左手でしっかりと固定する。

まもなく建物の中から、深い緑色の法衣を纏った初老の男が現れた。取り巻きたちに囲まれ悠々と歩く大司教フューラーを、スコープの中心に捉えたキリアンの長い指が引き金にかかる。
幕だ、と心のなかで言い渡し、指を引ききろうとしたその時だ。
視界がいきなり暗転し、キリアンはハッと顔を上げた。

「トバイアス」

従者の手がスコープを押さえている。

こちらに向けられたロイヤルブルーの瞳が凍てついた湖のように、恐ろしく静かに、なりませぬ、と訴えている。

気に入らない。この私の邪魔をするな。

「うっ」

キリアンは肘で従者を殴りつけ、よろめく彼の気配は無視し、銃の照準を合わせ直した。

丸いレンズのなか、フューラーは馬車へと乗りこんでいく。

止めていた息を吐きだして、ガシャリ、とキリアンは銃を下ろした。
見下ろす銀色の瞳には、悔しさとも憂いともとれぬ、複雑な色味を帯びていた。

重臣らに見送られ、フューラーを乗せた馬車が厳かに走り出すと、キリアンの肩が細かく揺れ始めた。

──なんてできの悪い喜劇なのだろう。

「フッ…」

石積みの壁に背を預けると、キリアンはついに声をあげて笑い始めた。

トバイアスがむぅ、と唇を尖らせる。口元には血が滲んでいる。

「笑っている場合ですか。貴方は危うく暗殺者になるところでした」

「ククッ、でもなりそこねた。誰かさんの邪魔がはいったから」

「俺に感謝してください」

トバイアスの力強い両手が、キリアンの襟元をぎゅと掴んだ。
6cmほど下から見上げてくる従者の顔は、普段あまり感情を表に出さない彼にしては珍しく、ひどく苛ついていて、キリアンは飛んで来るであろう拳を覚悟して、うすく目を閉じる。

やがて、いつまで経ってもやってこない頬への痛みにじれて、目を開けると、こちらをじっと見つめたままのトバイアスの顔があった。
視界の端に、彼の頑丈な手が微かに震えているのが見える。

心の奥に、痛みに似た何かが走るのを感じながらキリアンは、トバイアスのそれぞれの手を包みようにしてそっと布からはずさせる。
暗殺者から、トバイアスの主人に戻っていく。

「お前が、私を止めに来てくれることは分かっていた」

「もし間に合わず、キリアン様がすでにその手を汚していたなら、俺は貴方を殺していました」

「だろうな」

この国で暗殺は何より卑劣な行為とされる。一線を超えた者は理由や身分に関わらず、死罪、もしくは死ぬまで牢に幽閉される未来が待っている。そうならぬよう、主の命を絶ち、名誉を保つことは優秀な従者の大事な役目であるのだから。

そして、とトバイアスが言葉を続ける。

「俺もすぐに貴方の後を追って・・・」

「黙れ」

キリアンは、頸動脈を圧迫してトバイアスを睨みつけた。
苦しそうに歪む顔には、けれども薄っすらと暗い笑みがのっていて、彼が本気であることを物語る。

自分ひとりだけで完結するはずの行為は、自分以外の、この彼の命を奪う可能性があったと思い知らされ、キリアンは急に呼吸が上手く行えない錯覚をおぼえた。力の抜けた手が、トバイアスの首からすべり落ちる。

キリアンは軍服の中から小さなケースを取り出した。差し出すと、首のあたりを抑えちいさく咳をしながら、トバイアスが煙草を1本取りだした。
心のなかで安堵しながらキリアンも取って咥え、反対側のポケットから今度はマッチを出す。

シュ、と擦ると彼らの距離がぐっと近づく。吹きすさぶ風から守るように二人は互いの手のひらを重ねるようにして灯った火を覆う。

「夕方の風が傷に滲みます、マイロード」

街を見下ろしながらトバイアスが煙を吐き出し、口元を抑えて静かに言った。

「私の方がもっと滲みますよ、従者殿」

2人分の紫煙が、いくらか傾いたやわらかな陽に照らされた空にとけていく。
 

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