単身赴任で感じたこと ~1~

はじめに

はじめての投稿になります。わたしはこの7月で59歳の会社員です。
この3月まで6年間関西に単身赴任していました。24年3月に長年(35年)勤めた会社を退職し、最近2年間出向していた会社に再就職しました。それを契機に単身赴任を終了して、関東地方に戻ってきた会社員です。
 単身赴任をした間、仕事や心境や趣味関係など、いろいろなことがありました。数回に分けてつらつらと書いていきたいと思います。
 ブログは全くはじめてですので、かなり拙いとは思いますが、よろしければお付き合いください。

単身赴任の振り返り

 合計6年間の単身赴任でした。
いま振り返ると、大まかに2年ごとに分けることができると思います。
<第1期:初期:2年> 
 よくある話ですが、2年くらいって言われて内示を受けました。
行くときは少し嫌だったのですが。。。次があるとちらつかされて(と勝手に思った)赴任しました。
 仕事はメーカーの製作所(工場)の業務・生産数量決定・来客対応・対内対外折衝などなどです。いままで営業1本でしたので初体験でした。
こう書くとわりと美しく?見えますが、毎日問題だらけ(どっひゃー、ということもかなりしばしば)!。最初2年は仕事もなかなか慣れず、色々苦労しました。無我夢中という感じでした。
 そうこうするうちに、”あれー帰任のお呼びがかからないなあー”と思っていたら、なんと帰ると(勝手に)思ってたポストには他の人が!!(後輩さんが)。がーん!!!というショックとともに2年目は終了。
<第2期:中期:2年>
 
ショックを引きずりつつ、コロナ・半導体不足・部材高騰など、いろいろ世の中が厳しいなか、ショックなど考える暇もない状況でした。とても仕事上は勉強になりました。経験できてよかったです。
 コロナなので自分の時間も増えましたが、役職定年が迫っていたので、気持ちとしては最後のご奉公、という気分で仕事をしていました。今から考えると、役職定年やその後の定年への心の準備は、殆どできていなかったですねえ。
<第3期:後期:2年>
 
さーて役職定年だしお役御免で関東に帰れるかなー、と思っていたところ、単身赴任のままで出向・新規開拓(1人で)を仰せつかりました。これは予想外でショックでした。出向で単身赴任のままで新規開拓(ニュアンスは判ってしまう。。)というのはあまり聞いたことがありませんでした
(少なくとも私は)。
 周りの手前あまりみっともないことは出来ないので、フツーを装っていましたが、かなりがっくり、やり場のない怒り、やるせなさを感じました。
なんか悪いことでもしたんかなあ。。そうかもなあ。。。と葛藤しました。
 色々モガイタてもみたのですが生来器用なほうではないし、「人事はしょせん他人任せで不如意なもの」と結果的には痛感しました。
 今まで自分でいうのもなにですが身を粉にして仕事をしてきたほうなので、基本的に一人で行動は、気楽であるともとることができますが、私としては落差が大きく精神的にはかなりきつかったですね。

単身赴任で変わったこと

 単身赴任は1人の時間が非常に増えます。私の場合は”学齢期の子供などがいなかった” ”コロナの最盛期のときは帰るにも帰れなかった” こともあり特にそうでした。休みなどは朝起きてから夜寝るまで、全部自由時間です(洗濯はしますが)。時間があると、いろいろ考えたりハマったりするものです。。。以下のような感じでした。

 1.🤩これまでのことをかなり真剣に振り返った結果よかった
  (特に最後2年間)

  →これからのことを漠然と考えるようになった
  →勇気をだして会社以外コミュニティに入った
 2.🤩10代のときの趣味やこれまで続けてきた趣味に、再びハマった
  →B級オーディオ:中古オーディオにはまり、3回システムを入れ替えた
  →オーケストラ音楽:CD集め 単身当初50枚→ 単身終了時900枚
 3.🤩関西にいないとできないことにハマった
  
→お寺と神社と仏像 延べ250か所に行った
  →飛鳥と奈良と京都を散歩・観光・探索
  →#宝塚 と#文楽 に初めて行き、ハマりはじめる

今回は1.🤩これまでのことをかなり真剣に振り返った(特に最後2年間)結果よかったについて、書いてみようと思います。

<これまでのことをかなり真剣に振り返った(特に最後の2年) 結果よかった>

 最初のほうに書きました特に最後の2年は精神的には結構きつい時期でした。役職は降り、定年退職に向かうことは私の勤めていた会社では制度としてありましたので、わかっていたのですが、忙しさにかまけて精神的な準備
は全然していませんでした(今から考えるとなぜ?と思いますが)

 もやーと悩んでいるところで、ある人に言われ、20歳代から50代後半までのことを、ざーと振り返って(書く表がある)書いてみました。そのようなことは始めてでした(会社の研修であったかもしれないが記憶に無し)
※これはLCCに入った時にもやりましたが、少し前にやってたわけです。

この振り返りをやって”そうだったのか”と思いました。主な点は以下です。
 ①10代、20代に好きだったことに結局50代で回帰する(特に趣味)
 ②40代の半ばくらいから、昇進や仕事上の力が増すことに関心が集中した 
 ③会社中心の生活だった(そうではないと自負していたが、そうだった) 
 ④家族はもやもやしている姿を冷静に見ている。一番の自分への批評家

①10代・20代に好きだった事に結局50代で回帰する(特に趣味)

中学・高校時代、大学時代に好きだった趣味に、結局50代の時間のある単身時代に、思いっきり回帰しました。。。結局本能的に好きことは好き、なんですねえ →別の回で書きます。

②40代の半ばくらいから、昇進や仕事上の力が増すことにかなり執着した
そんなことない、と思っていたのですが、振り返ってみると執着していました。会社員なら多かれ少なかれそうなのでしょうか?ある時期から価値観がそうなってしまっていたなあ、とつくずく感じました。1本脚の竹馬のようなもの。それがスコーンと外れると ”ばったり倒れる” という感じです。

③会社中心の生活だった(そうではないと自負していたが、そうだった) 
これもそんなことない、と思っていたのですが。。。(「働き方改革前」は超残業生活をしていながら)、まさに会社中心だったな、と痛感しました。
会社関連の人との話は、人事や人の消息の話しが50%です。興味深くそんな話をどっぷりしてしていたのですが、さすがにつらくなってきました。

④家族はもやもやしている姿を冷静に見ている。一番の自分への批評家
定年退職(58歳で2年の早期退職)にあたり、結構悩んでいたもので妻にも相談(愚痴り)ました。妻は「いままで結構運がよかったんだから、そういうこともある。人間帳尻があうもので、もともと実力ないんだから上出来。ぐちゅぐちゅ悩むんじゃない」という評価でした。そんなことはない!!と反論しましたが、今から考えるとそうかもしれないな、と思います。

<私にとっては挑戦・・会社以外のコミュニティに初めて入る>

 いままで”私は会社人間ではない”と思っていた、のですが、考えてみると会社以外の繋がりは、大学の友人くらいでした。結局会社に殆どの時間を費やし、付き合う人も会社の人が殆ど、という人間でした。
 これではどうしようもないと思い、私にとってはかなり挑戦だったのですが(臆病なので)、会社以外のコミュニティに入ってみることにしました。今から考えると「挑戦」なのか、と思いますが私自身は緊張しました。
 

(1)クラシック音楽のオタクのコミュニティに入る

 私はたまたま中学のときに聞いたオーケストラの演奏に超感動して以来、
オーケストラのライブ、CD、ライブ録音を聴き続けています。
 私の住んでいるところは茨城県との県境ですが、1年ほど前からHPで龍ヶ崎市(茨城の南部)で、クラシックのライブ音源(FM放送開始当初からの秘蔵エアチェックらしい)を月1回聴く会(龍ヶ崎ゲバントハウス)があるのは知っていました。そこで思い切って’23年の5月に行ってみました。

 この団体はNPO法人でもう20年以上も活動をしているようです。月1回、所有しているライブ音源(FMのエアチェック音源)を集まり聞いています。 
 私(58歳)は一番若い部類、最高齢の方は80代半ばです。半分以上の方は70代でした。年金生活の方もいれば70代でも働いている方もいます。
 とにかく会員の豊富なコンサート体験(海外含む)と保有するライブ音源、半年に1度呼ぶ講師の多彩さ、に驚きました。
 元小学校の教室(生涯学習センターになっている)が会場ですが、都度設置するオーディオ装置がこれがまた凝っており、興味深々でした。
 ※他にも色々ありますがまた別の機会で)。

 これが私の「はじめてのおつかい」ならぬ、「この35年でほぼはじめての会社以外のコミュニティへの参加(高校同窓会を除く)」でした。
 あたたかく迎え入れていただき、かなりのマニア的な話で毎回盛り上がります。定年後の70代、80代の方々が、趣味に真剣に生きて楽しそう姿を、
目の当たりにしました。考えてみれば時間は有限だし好きな事をしていきたいな、と強く感じました。


龍ヶ崎ゲバントハウスの会場のオーディオ装置

https://gewandhaus.sakura.ne.jp/wp/
 

(2)おじさんLCCに入る(定年本がきっか(2) かなりもやもやーとしていた後期の2年は、定年本をかなり買って読みました。20冊が読んだかと思います。もやもやーとした気持ちを解決する回答を求めていました。

 中には「そうだなあ」または「今の気持ちと似ている」と思うものはあるのですが、”腹落ち”する本はなかなかありませんでした。
 そんな中で本屋にまた行きましたところ(大阪梅田の紀伊国屋だったと思います)、その類の本のコーナーで、女性の人とおじさんが数人写った表紙の本があり、立ち読みして購入しました。
 定年本はたいがい、
1)男性の定年前後の人または70歳くらいの人が自分の体験またはヒヤリングしたことを体験に引き付けて書いている 
2)大学などの研究者が経済面から分析している 
3)投資の話   が大半でした。
 それはそれで、読んでタメになる感じはしたのですが、自分に置き換えても置き換わらなかったわけです。この「青い本」は、若い女性がおじさんの生態が好きということでこのような本を書かれた、ということ自体が珍しく、”変わってるな” と思い購入したわけです。プロティアンキャリアというのも、聞いたこともありませんでした。

腹落ちした定年本

 実は買って2か月くらい、さーと流し読みして積ん読しました(この時は著者が若手社員時代、青い山脈の替え歌を喜んで聞いていた、という記載が妙に印象的でした)。3か月後にに真剣に読んで、”これは腹落ちするわ” と納得したわけです。文章も読みやすくスーと入ってきました。
 腹落ちしたからには、ここで紹介されている、おじさんLCCに入ってみるか、1か月位悩みました。えい、という感じで申込み→面接→合格?→入会 となったわけです。
 最初に参加した行事が忘年会で、TVカメラが入ってました(たまげました)。入ってからは非常に暖かく迎えていただき、かなり楽しくためになり、半年を経過しております。

<会社以外のコミュニティに入って思った事>

 1年前は、この2つのコミュニティには入っていませんでした。今は会社の予定とコミュニティの予定が拮抗しておりまして、自分の中の関心はコミュニティのほうが遥かに関心があります。
 こんなに仕事に興味がなくなるなど、「仕事が趣味」「格言は”電通鬼十則”」などど一時は言っていた私(たぶんすごく嫌われていたかと思います)にとっては、考えられないことです。

1.🤩会社の上下関係でない、フラットな付き合いを学び中
 
学生の時の部活も、会社に入ってからも年次や上司部下の関係のもとで
 で過ごしてきました。ガチガチ、ということもあればそうでないことも
 ありましたが。参加する人がお互いフラットで、そのルールを守り参加
 して楽しむ、という世界は、実は初めてだと思います。
 いい意味で新鮮で日々、勉強中です。

2.🤩違う世界を持つ、とはこういうことか
 よく物の本には「違う世界を持つ」「会社とは違う世界もってを客観視
 する」などど書いてありましたが、どういうことなのか(町内会も入って
 ないし)判りませんでした。自分で入ってみてはじめて判りました。
 やっぱり少しでも挑戦、が大事ですね。

3.🤩考え込んで悩むからよいことがある!?
 
単身赴任の後期は、思う通りにはいかず、不満・怒り・後悔・疑問にから 
 れました。しかしそうだから会社以外のコミュニティに入ってみようと
 思ったわけで、もしあまり疑問を感じずにいたら、絶対に入っていな
 かったと思います。入ってみたこの1年(特にこの半年)の私のまわりの
 景色は、それまでとかなり変わりました。
 かえってもがいたことが、よかったのだな、とつくずく思います。

<さいごに>

 今回は1.🤩これまでのことをかなり真剣に振り返った(特に     最後2年間)結果よかったについて、書いてみました。
 少し暗めの非常に拙いお話となってしまいました。。。次回は「単身赴任で開花したオタクの世界」を書いてみたいと思います!!

 ありがとうございました。
 





 

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