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単身赴任でハマったこと【趣味編】   ①法隆寺と飛鳥編 

私は今年59歳。この3月に36年間勤務した会社を役職定年を経て2年を残し退職、再就職したおじさんであります。
単身赴任は6年間でしたが、趣味編として今回はハマったことについて記念に書いておきたいと思います。今回は「法隆寺・飛鳥編」です

単身赴任は自分の時間はある!

 単身赴任すると、自分の時間が増える方が多いと思います。
私の場合、1人娘は就職し、さっさと1人暮らしをしました(柏から都内は通えない距離ではなかったのだが?)。その3か月後に私が単身赴任(兵庫県尼崎市:大阪の隣)したの機に、家族3人はそれぞれ1人で暮らす生活となりました。おかげさまで夫婦関係は改善しました。

関西はすぐに名所にいける、すごい!と思った

 関西に単身で住んで驚いたのは(当たり前なのですが)、歴史上の名所はすぐ近くにありおまけに安く行ける、ということです。
 関東から関西に旅行に行くとすれば、往復で半日以上潰れるし、出費もかなりあります。ところが私が住んでいた阪急神戸線沿線(阪急塚口)から、京都や奈良に行く場合、以下のようなお得な切符がたくさんあります。
おまけに奈良と京都は、阪急塚口かた1時間あれば着いてしまうのです。

🌸奈良斑鳩1DAYチケット:¥2,450ー

阪急乗り放題・大阪メトロ乗り放題・近鉄で奈良往復と奈良市内のバス付

🌸高野山1DAYチケット:¥3,700-:パワースポットです

阪急電車・Osaka Metroの全線と南海なんばから高野山までの南海電車指定区間、
南海りんかんバス(高野山内全線)が1日乗降フリーの乗車券

🌸京都は以前はフリーパスがあったのですが、24年度はありません。
 例えば阪急塚口から京都河原町まで往復¥960ー、京都で以下の1日券を買うと¥1,100- 合計2,060-です。

京都のバス・地下鉄乗り放題


 このような切符を駆使して、一時コロナで身動きとれない時期もありましたが、暇をみては行ってしまいました。関東に帰ってきてから数えてみたら寺社・仏閣・古墳を225か所も6年間で行っておりました。
よう行きましたわ。

今回はこの中からまず、「法隆寺と飛鳥」についてつらつらと書いてみようと思います。

法隆寺と飛鳥が好き

きっかけはマンガと文庫本

私が中学・高校くらいのとき(1980年代前半)以下のマンガと本が流行りました。いずれも「法隆寺」「飛鳥時代」がネタとなっております。
   

BLの元祖、といわれる名作!!なんと過激な設定!!
でもハマります。。


内容はいろいろ批判があるようですが、
読みものとしても非常に面白いです。
結構厚い。今回あらためて買って読むのに1週間かかりました

 「日出処の天子」は、今のBLのハシリ、だそうです。かなり過激な設定 なのですが、妙に説得感があり。史実も実によくはめ込まれています。   今回改めて読んでみましたが、作者の発想力は天才だと感心します!!。
 よく大河ドラマを熱心に見ていると、歴史上の人物がそれを演じた俳優に重なり、頭に刷り込まれてしまう、ということがあります(私の場合は、 源頼朝=石坂浩二、北条政子=岩下志麻です By「草燃ゆる」)。
 このマンガに出てくる「蘇我馬子」「蘇我毛人(蝦夷)」「崇峻天皇」などは、完全に私の頭にこのマンガのキャラが刷り込まれてしまっています。

 これと同じ時期(高校時代)に「隠された十字架(梅原猛 著)」を読みました。歴史好きにはかつてベストセラーになったようです。
 内容は歴史学上では是非があるようですが、今回改めて読んで、読み物として惹きこまれました。すぐにでも法隆寺に行ってみたくなる本です。
 こんなそんなで、高校時代から「法隆寺と飛鳥時代」にハマったわけであります。ですが、なにせ「モーレツ会社員!」だったもので、関東在住でもあり、法隆寺にも飛鳥地方にも殆ど行けませんでした(確か1回行った)。

 これが単身赴任になり、おまけに後半いろいろあって比較的ヒマ、という状況になりました。会社員的な心境としては、かなり「もやもやーとして悩めるおじさん」だったのですが、それがゆえに、法隆寺と飛鳥に行く機会ができた、というわけです。まさに「人生塞翁が馬」。
 
法隆寺には8回、飛鳥には4回行きました(それでも少ない気がする)。

法隆寺はなんどいっても飽きない

あまり観光地化していない法隆寺

 法隆寺はの現存する木造建築物では世界最古、非常に有名な寺院です。 しかし行くのは少し不便です。JR法隆寺駅(JR奈良駅の2つ手前)から徒歩25分くらいですが、大阪からは徒歩含めて約1時間、奈良市内からも40~50分かかります。
 法隆寺の境内もじっくり見ると2~3時間程度はかかりますので、法隆寺のみで半日は確保が必要です。そのせいか観光客で溢れている、というわけでもなく落ち着いています(特にコロナの前後は殆ど人がいませんでした)
 門前も例えば京都の有名寺院とはまったく違い、落ち着いています。


法隆寺中門(この中門が怨霊封じ込めの門、というのが梅原氏の説)


金堂 この中の仏像が実に神秘的であります

法隆寺でぼーっとする贅沢

 「日出処の天子」「隠された十字架」を両方読むと「聖徳太子ワールド」にハマり、法隆寺にもなんとも言えないロマンを感じます。
まあ再建されていますので、聖徳太子がこの寺を実際に歩いた、というわけではないのですが。。。
 現在の建物は708年頃の建築(諸説あり)と言われており、金堂の仏像はその前の607年(薬師如来像)作という説と建物と同じ710年頃という説とがあります。どちらにしろ1,200年から1,300年以上であります!!
 空いている朝から行って、境内でぼーっと座って建物と中の仏像を眺めているだけで、なんとも言えない贅沢な気分になってまいります。
 境内の中の案内はここに記すにはあまりも膨大で、法隆寺のサイトをご覧ください。以下URLは金堂の案内です。
金堂 | 聖徳宗総本山 法隆寺 (horyuji.or.jp)
 境内にある大講堂には、平安時代の大きな仏像が安置されているのですが、この空間に居ると「新しいな」と思ってしまうのですから不思議です。
 
仏像のなんともいえない「なまめかしさ」
 法隆寺の仏像を見て感じるのは、実に「なまめかしい」ことです。これは色々な本に書かれていまして私など字にするのもおこがましいのですが、
特に「救世観音像」「百済観音像」は、なんともいえないなまめかしさ、があります。人のような肉感、があるように感じます。
 普通寺院仏像をみると「仏像は仏像」という感じを持つのですが、法隆寺の特にこれらの仏像は見た感覚がかなり違います。梅原猛氏が書かれてきることも、不遜ながらなんとなくわかる気がいたします。
 このへんも法隆寺が多くの人に神秘的に語られるゆえんなのでしょうか。
救世観音はこんな感じです。実際には金網越しで年2回公開です。
https://www.horyuji.or.jp/garan/yumedono/
 法隆寺に行って、境内をいろいろ見て、飽きるほど仏像を見て、ぼーっとして、近くの天丼屋(明太子食い放題!!)で天丼を食う、というのがお決まりコースでありました。残念ながら天丼屋は今は撤退しております(泣)。 

飛鳥にいって思うこと

 さて、法隆寺はいろいろありすぎでまったく私の筆力では書ききれませんので、飛鳥地方に移ります。

 

飛鳥も穴場

 飛鳥時代、というのが日本史ではあります。おおよそ538年(仏教伝来?)から710年くらい(平城京遷都)まで、をいうようです。     私は飛鳥フリーきっぷで行っていました。レンタサイクルも割引!!

飛鳥日帰りフリーきっぷ

 飛鳥地方は少し行きにくいところにあり、ここも観光客はそれほど多くありません。そういう意味では「穴場」であります。
 

飛鳥地方は「歴史的建物」がほとんどありません

 「日出処の天子」はまさに飛鳥時代で飛鳥地方が舞台。「古事記」や「日本書記」に書いてある出来事が起こったことろです。
(原典読んだことないけど)。
 この時代はまさに血で血を洗う時代。親戚やおじさんや義理の息子をどんどんだまして暗殺してしまうし、権力闘争もすごい。漫画にするのは大変 だったのではないでしょうか。
 ところが、結構歴史的には有名な話がいろいろあるのですが、飛鳥地方には「歴史的建物」があまり無いのです。たとえば奈良であれば「東大寺」とか「興福寺」とか「新薬師寺」とか、奈良時代の仏像はかなりあるし、建物は後年再建されたものが多いとはいえ、見たら 「へー」と思うものがいくつもあります。
 ところが飛鳥地方(明日香村)は、どこまでも「田園地帯」で、飛鳥寺、岡寺、橘寺、入鹿の首塚、遺跡や古墳(見たらただの丘)などが点在しているだけなのです。石舞台古墳、亀石、などにしても「石」なのです。   レンタサイクルでこれらをひたすら回る、ということになります。
 
 「女子が数人でレンタサイクルで飛鳥をきゃぴきゃぴ巡る」のなら絵になりますが、50代後半のおやじがレンタサイクルで飛鳥を1人で巡っても、 まあ絵にはなりませんわなあ。


入鹿の首塚。
大化の改新で飛鳥板蓋宮で中大兄皇子らに暗殺された蘇我入鹿の首が、ここまで飛んできたといわれており、襲ってきた首を供養するためにそこに埋めたともいわれる。

例えばこのような「遺跡」があるわけです。
私などはこのような遺跡に「萌え!」てしまい、現地で1人「うーん」「なるほどー」とかいっているわけですが、普通は「だからどうした!」というような場所であります。
 ちなみに下の写真の遺跡(飛鳥板葺宮)で乙巳の変が起こり、蘇我入鹿が切られ、その首が上の写真の首塚まで飛んでいった、と言われております。


乙巳の変(大化改新)の舞台。数年前まで「飛鳥板葺宮跡」といわれていたが。この場所に複数の宮が設置されたことが発掘で判明し、「飛鳥宮跡」と改称した。飛鳥板蓋宮(皇極天皇)・飛鳥岡本宮(舒明天皇)・飛鳥浄御原宮(天武・持統両天皇)がおかれていた。


飛鳥ってこんなに狭かったのか!

「日出処の天子」は聖徳太子と蘇我毛人(蝦夷)が主役ですが、乙巳の変(645年)のとき、蘇我毛人は戦いをあきらめ。邸宅のあった「甘樫丘」で自害します。この甘樫丘に行くと飛鳥地方が一望できます。

甘樫丘 200mに満たない丘ですぐ登れる 飛鳥地域を一望できる

登って飛鳥を一望した感じは「狭い!!」という印象です。歴史の教科書に載っている出来事は、こんな狭い一帯での出来事なのか、と思いました。
自転車で巡っても1日で回れてしまいます。書き物に残っていることが歴史、なんだなあ、とあらためて思います。もしSNSがあったら、蘇我毛人はなにを書き残したのだろうか、などど思ってしまいます。

とらえどころのない飛鳥!! を少し効率的にまわるには

 このように飛鳥地域は、史跡といい古墳といい(ちなみに高松塚古墳も「丘」であります)、かなり自分の頭で「想像」をしないと、ただの田舎、という感じなのです。ですから田園地帯をひたすら自転車で回る、ということになります。さまよえる古代史オタク、となってしまうわけです。
 そこでおすすめなのは「飛鳥資料館」にまずはじめに行ってから、飛鳥地方をは、というルートであります。
 飛鳥資料館は奈良文化財研究所の分館なのですが、この地域の史跡・古墳を実にわかりやすく展示解説しております。これは「目からうろこ100枚!」の施設でした。
もし飛鳥地方にいかれることがありましたら、ぜひはじめに飛鳥資料館に行ってから、飛鳥を巡回されることをお勧めします!!

飛鳥資料館 2023年秋にはじめて真剣に見たときの写真

すごい飛鳥マニアのYoutube があった!!

 ところで、最近よく見ているYoutubeチャンネルがあります。     すごいマニアはおられるもので、東京の女性の方が飛鳥に足しげく通い、 飛鳥を解説つきで映像にしておられます。とてもとても感心してみて最近 みております。

https://www.youtube.com/@umemaeSakiko

 今は暑いので少し涼しくなったら、また法隆寺に行き、飛鳥をレンタサイクルでまわりたいと思っています。
なんでもない石をみながら、「ほー!」とか「うー!」とか「なるほどー」とかいいながら 萌える、というおやじ旅をしようと思っております!!
傍からみたらかなりキモイかも。


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