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カフカ没後100年 安部公房生誕100年 マルケス没後10年

 新しく始めたエッセイの連載の6回目です。
 毎月、15日と30日の夜に、アップする予定です。
 バックナンバーは、『人生は「何をしなかったか」が大切』というマガジンに入れていきます。

 今回は、番外編です。
 マルケスの『百年の孤独』がついに文庫化されたので!

『百年の孤独』の文庫化

『百年の孤独』の文庫化が話題になっている。
 1972年に邦訳の単行本が出てから、もう52年。
 つまり、半世紀以上、文庫化されなかったのだ。
「文庫化されたら世界が滅びる」という都市伝説まで生まれたほどだ。

 なぜ今、文庫化されたのか?
 今年が作者のガブリエル・ガルシア=マルケスの没後10年であること、Netflixで映像化が予定されていることなど、いくつか重なったのがきっかけとなったようだ。

『百年の孤独』は現在までに46の言語に翻訳され、5000万部発行されている世界的ベストセラーだ。
 マルケスは1982年にノーベル文学賞を受賞している。
 今回の文庫化でも、発売前から重版になっている。

日本では売れない本の仲間

 しかし、じつを言うと、日本では最初から話題になったわけではない。
 1979年に放送されたNHK教育テレビ「若い広場」の「マイブック」というコーナーで、作家の安部公房が「残念ながら日本ではまだそう有名じゃない」と語っている。
 聞き手の斎藤とも子も「この本はいま、本屋さんにはないんです。それで、図書館でようやく見つけてきたんです」と言っている。
 安部公房が「これまでは、日本では売れない本の仲間だったらしい。でもいずれ変わるんじゃないかな」と予測しているのは、さすがだ(『安部公房全集26』新潮社)。

 ともかく刊行から7年後には、いったん本が書店から消えていたようだ。
 安部公房は「地球儀に住むガルシア・マルケス」という講演でもこう語っている。

 読んで仰天してしまった。これほどの作品を、なぜ知らずにすませてしまったのだろう。もしかするとこれは一世紀に一人、二人というレベルの作家じゃないか。そこで新潮社に、「これほどの作家を出しておいて全然広告しないというのはなにごとだ」と言うと、「いや、広告しました」「見たことないよ」「いや、たしかにしている」というようなわけです。

『安部公房全集27』新潮社

 私もじつは、安部公房がほめているのを読んで、マルケスを知った。
 まだ周りでは誰も知らなくて、『百年の孤独』を読んでいると、「そんなの読んでいると孤独になるよ」などと言われたものだ。

マルケスが作家になったのはカフカがきっかけ

 マルケスが小説家になろうと思ったのは、フランツ・カフカがきっかけだ。
 若いときにカフカの小説を初めて読んで、「ベッドから転げ落ちそうになるほどの衝撃」を受けたそうだ(「解説」大西亮『落葉 他12篇』新潮社)。
「こんなことができるとは知らなかった」「それまでは学校の教科書に出てくるわかりきったお決まりの物語しか知らなかった。でも、文学にはそれとはまったく別の可能性があると気づいたんだ」とインタビューでも語っている(『グアバの香り──ガルシア=マルケスとの対話』木村 榮一訳 岩波書店)。

カフカを読んでいた高校生の安部公房

 安部公房はカフカが亡くなった年に生まれている。
 そして、カフカの日本で最初の翻訳書が出版されたのが昭和15年(1940年)で、本野亨一訳『審判』(白水社)だ。
 6、7冊しか売れなかったそうだ。
 でも、そのうちの1冊を、まだ高校生だった安部公房が手に入れて読んでいた。
 安部公房はカフカを「つねに僕をつまずきから救ってくれる水先案内人」と称賛している(「子午線上の綱渡り」『安部公房全集28』新潮社)。

カフカ、安部公房、マルケス

 今年はカフカ没後100年だが、今年は安部公房生誕100年でもあり、マルケスの没後10年でもある。
 マルケスと安部公房は、共に若くしてカフカの影響を受け、日本でなかなか評価されなかったマルケスを推したのは安部公房だった。
 カフカも、安部公房、マルケスも、今年、新刊が出たので、3者を連続で読んでみるのも一興では?




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