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亀の歩み稽古日記~7/29~8/7

7/29  宿題が出た…。情動からどうやって闇に、感情になるのか。

8/4 宿題。…以下自分の考え。
…抜けることとの関係は?流れから居つきになるには。闇に間はない?…情動は常に対話があって動きと共にある。遍在する眼差しを感じる。それが闇に入るということは、、見るということが変わる?全てを見ていた眼差しから、思考のみを見ることへ。思考に止まる。間(ま)とは似ても似つかない。思考に止まると感情が肥大する。居付くから。情動、間と共にあったカラダは、思考、感情一色に染まる。感情のカラダになる。没入。全てを見ていた眼は…眼差しは閉じる。感情そのものになると、見ることはできない。盲目。闇に包まれるカラダ。
( しかし、何も見えなくなると踊れないよな、、この考察はちょっと感情的かも知れない )

8/5 闇への考察の会
闇が生まれる瞬間は?はじまりが、最初の一歩が大事。
探ることが闇…。探る…その母体とは?それは記憶ではないか。つまり記憶が記憶を探っている。自我とも深く関係する。自我は記憶の集合体。DNAも記憶だ。綿々と連なっている時間の中で、体験して学んでいく働き。記憶が記憶を探る…この時の記憶は過去ではない。過去を思い出す、という感じではない。記憶として蓄積されたもののなかに入っていくような感覚。再び体験するような。知覚も呼び起こす。実際の動きとしては、、主に「顔」に現れる、、その表情がカラダにも広がっていく。

大変な、、、

間はどうなる?
「間腐れする」とは土方巽の言葉。間も腐ってゆく…暗黒。

8/7  実感として思うことは、深く入ること、感じることの大切さ。いつもちゃんと感じる前に、動いていたことに気づく。だから次に続かない。。起き上がる稽古から、カラダ全体を使っていないことがわかる。
流れのなかで、全体で!!しかも飛躍なく。意識でそれは一変する。いつでも大切なこと。どんな動きも逃さない。

「見ることが踊る」それがダンスの本質。
見ること、の場で人と人は繋がる。眼差し。
見られる、という形態を取りながらも、それを超えていく、ということ。

暗闇の海の中、金色に輝くカラダで悠々と泳ぐ人、そんなビジョンの話があった。恐怖の根源の話から。闇の話から。

さあ、しばらく稽古は休みに入る。

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