マガジンのカバー画像

亀の歩み稽古日記

52
舞踏家 由良部正美さんのもとで、踊りの稽古をしています。その中で思ったこと感じたことを、溢れるままに日々綴っています。良かったら、ふらりと覗いてみて下さい。
運営しているクリエイター

2021年4月の記事一覧

亀の歩み稽古日記~感情と闇~

情動は…流れ、感情は…居つく。 稽古ではずっと、“情動” を大事にして取り組んできている。水のカラダは情動と共にある。情動は常に滞りなく、どこにでも流れていく。例えそれがどんなに小さな動きであっても逃さずに、、情動と共にあるように、稽古してきている。 いっぽう “感情” のほうは、溶かして溶かして流してきた。感情が溶けると、情動の流れを感じることができるから。煌めく情動の流れを。 それがこの間から、“感情” にも取り組み始めている。問題意識として、ずっとあったらしい。

亀の歩み稽古日記~情動と感情~

「情動」という言葉はよく聞く。例えば水の動きの時、「情動は滞りなく何処へでも流れていく」とか。 その「情動」と 「感情」との違いについての話は、初めて聞いたな。 感情は居つき 情動は流れているもの 言葉で聞いただけではよくわからない気がする。なぜなら 「情動が流れている」感覚って、なかなか無いんじゃないかと、、。言葉の解釈の違いもあるだろうけど。。 ここでいう情動はどんな感じかというと、ものすごく豊かな感じ。普段はどちらかというと感情に色どられている。感情は居つくから

亀の歩み稽古日記~血液と思い~

エネルギーを感じる、、、はて。 何が、誰が、それを感じているのだろう?? こんな問いが芽生えたのは、きっと稽古でYurabe師が、「痛み」の話をしていたからに違いない。 「痛がっているのは “私” でしょ?無限の私が痛がっている」と。そこから、骨、筋肉、神経、血液の関係性の仮説へ。かなり興味深かった、、けど頭がこんがらがってて書けまへん。。 何が、誰が、感じているのだろう? 私、が感じている…と思う。 「私」が感じている時というのは、「思い」が動いているのだよな、、

亀の歩み稽古日記~自由に舞いたい~

ここのところ、またまた自由への壁を感じていた。…そこに終わりはない…。螺旋状に巡る。 やはりまだまだ、動きに囚われていることが分かった。癖のような無意識の動きに。自由になれなくて気持ち悪い。 「自由になれない」と叫んでいる時は、「自由になりたい」ともがいている。自由が出口を見失い、狭いところを右往左往している、、 手足が先に動いていると指摘された。無意識に勝手に動いていると。 「もっと感じて共にないと。エネルギーはあちらにもこちらにもどんどん流れている。たとえ殆ど動かなく

亀の歩み稽古日記~六つの呼吸~

六つの呼吸、六つの世界。 軽さと重さ ・胸の呼吸 ・意思と表象 。それぞれ吸う息と吐く息で、あわせて計六つ。 軽さ…吸う息で、重さ…吐く息で。 実際の呼吸は続かなくても、呼吸感は持続できる。上に向かって軽さ、浮遊感を感じるのは、“吸う息” に対応する。ちなみに、植物の踊りの、上に向かう時は “吐く息” に対応する。植物は上に向かって成長して伸びていく。同じ上方への道であっても、浮遊感と、伸びる感じとでは、呼吸も変わり、カラダの使い方も全然変わってくる。もちろん気持ちも。