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日本史12 孫の手伝いをするオバア。天皇家の場合

ちょっと雑談いいですか?

あ、その前に、ハート押してもらえると嬉しいです。

宇宙酔いって、知ってます?
乗り物酔いってあるじゃないですか。
あれの宇宙バージョンみたいな感じで、宇宙行くと無重力状態で三半規管とか、なんかフワフワしちゃって、酔うらしいです。

僕は、こういう系で全く酔わないので、宇宙酔いもなかったですけどね、でお馴染み。
どうも僕です。

持統天皇の次に天皇になったのは、孫の文武天皇です。

子は?

って思ったかもしれませんが、
持統天皇の子どもは、すでに亡くなってたんですな。


でも、文武天皇はまだ15歳だったから、持統天皇が文武天皇の補佐をしてたんですよね。
これが初の「上皇」です。

んじゃ、まだ持統天皇が天皇やっとけば良かったんじゃね?

文武天皇の時代の、最大の業績は大宝律令っていう法律を作ったことなんですけど、その中心になったのが、刑部親王と藤原不比等です。
刑部って、おさかべって読みます。
藤原不比等は、大化の改新で有名な中臣鎌足の子どもなんですけど、中臣鎌足は死の前日、天智天皇から藤原の姓を与えられたんですよ。

ギリッギリやないか!
ギリギリですよ、藤原。

法律できたから、刑罰もあったわけですけど、木の棒で叩いたり、流刑とか、死刑とかあったみたいですね。

ちなみに、貴族や役人の罪は軽くなることがあったらしいんですよ。

ふざけんなって感じですよね。
この頃はまだまだ平等の概念なかったんですね。
藤原不比等って名前も、なんか、不平等感、あるよ、、、ね。

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