見出し画像

ママ母ババ10_不格好な二世帯住宅/母の内職と仕入れ販売

母の内職と仕入れ販売

子供の手が離れると、母は働き始めた。

志半ばとはいえ、
母は、ドレメ専門学校に在籍していた。

新聞紙から型紙を作って
洋服を作る事が出来る。


その腕前を活かし、
自宅で制服を作る内職をしていた。

これは長くは続かなかった。
が、その経験から
姉も私も高校の制服は母が作ってくれた

ファッションデザイナーを目指していた。
だからなのか。

こうするとおしゃれよ
高校の制服を少し改良し仕立てた。

こうするとおしゃれよ
と中学生の私にパーマをかけた

高校では、自由な校風の為、
咎められる事はなかった。

中学で、地味で優等生だった私は、
パーマは寝ぐせに見えた。

母には、校則という概念がない

姉とは母手作りのお揃いが多かった
ここが二世帯住宅になる

又、着物と食器をの販売もしていた。
母の妹の嫁ぎ先は、京都の着物の絵師

そのツテで着物や清水焼
京都の問屋から仕入れる事が出来た。

着物・食器好きの母は、
それらを仕入れて販売していた。
SNSもなく、身内、友人とネットワークは
それ程広くない。

自ら着物を着て、
自ら清水焼を使って、
心底、商品に惚れ切っていた母は、
商品の良さを伝え、売った。

お得値だったとはいえ値の張る品物。
当然、在庫も沢山残る
だから、利益は殆どなかったと思う。

母は、在庫の事が頭から離れないの。
販売って大変よ

と言って商売を引退。

高価であったが、京都から仕入れた着物は、
かなりであった。

当時の繋がりから
成人式の着物などの依頼が来ていた。
母の妹宅も仕事を辞めて着物を
紹介出来なくなる数年前まで続けていた。

そのお陰で、私達一族は、
粋な着物を持っている。
清水焼にも囲まれている。

一時にせよ、仕入れ-営業販売-売上管理を
こなしていた母の度胸は凄い


情報豊かな今では成り立たないで
あろうと思うと、”昭和”から”令和”と
いう時代が変わったのを感じる


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?