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荘園のまち世羅高原を走る〜大妻コタカ像から「道の駅」まで

秋の世羅高原。紅葉が綺麗でした。神石高原から広島空港へ行く途中、大妻コタカ生家の案内板を見かけ、ダム湖「神農湖」のほとりにあるその場所を訪ねました。


平家落人集落のあった跡で、戦後ダムの水底に沈んだという碑が立っていました。その隣が大妻女子大学創設者の生家。湖になった場所から移してきたようです。ここは「ごもくめし」の食事処にもなっていますが、あいにくコロナで休業中でした。


湖畔からおよそ10分クルマで走ると、道の駅に着きました。和歌山県高野山に寄進された荘園の時代から農業で栄えた高原です。6次産業化研究の第一人者であった今村奈良臣先生(故人、東大名誉教授)がこよなく愛したまちでした。
私の亡き父もずいぶん昔に、破綻しかかかった果樹農園(農業法人)の経営再建を手伝っていたことがあったのを思い出します。


道の駅には地元野菜も並んでいますが、主役は加工品です。「メダカ」を売っているのは、一村一品運動の発祥地で、やはり今村先生が6次産業化という造語を思いついた先でもある大分県大山町農協とどちらが先かわかりませんが、ビニール袋入りのメダカ(1000円)をみて思わず今村さんの笑顔を思い出しました。


松きのこバーガー、おはぎ、焼きサバ寿司を買い求め、食べてみましたが、どれもこれも美味でした。近隣の「道の駅」との違いを感じました。

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