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『うつ病九段』を読んでみた

 真っ青な顔に、ショッキングピンクの唇という目を引く表紙。ピエロ恐怖症の僕には手に取るのが少々気おくれする。読んでみたい気持ちが半分、先延ばしにしたい気持ちが半分。「どうせいつかは読むんだから、今読めよ」ともう1人の自分に背中を押されて読んでみた。

 【僕と先崎さんの共通点「うつ」】
 読むのを先延ばしにしたかった理由は単純だ。自分も「うつ」だったからだ。幸いにも、治療に踏み切ったのが早く入院も必要ではなかった。将棋のプロ棋士・先崎学九段は入院もしている。ハッキリ言って重傷だ。不眠症状が続く。信じられないほどの倦怠感、身体が鉛のように重いとはこのことで、朝はベッドから体を起こすのも一大決戦だ。食事も不味い。味が悪いのではなく、味がしないという感じか。本文中にも出てくる話だが、意外にうつの人は多い。もう特殊なものでもなんでもなく、インフルエンザくらいの感覚なのかもしれない。

【認知のねじれ:自分は必要のない人間だ】
 見舞いが来ないのは「自分に人望がないから」とマイナス思考になる先崎さん。「そうそう、こう考えちゃうんだよな」と頷きながらページをめくった。いわゆる「認知のねじれ」というやつである。仕事でミスをしたとき「次に失敗しないようにしよう」と考えるのか、「自分は最低だ。この世に必要とされないんだ」と考えるのか。僕は、言うまでもなく後者だった。結論の飛躍、極端なレッテル貼り、認知のねじれはうつへの第一歩なのだ。

【好きなものにウキウキしなくなる】
 好きなものが好きでなくなるという感覚はお分かりいただけるだろうか。どん底の1ヵ月、僕の場合は大好きな宝塚歌劇を見てもウキウキしなかった。当時公演されていたのは、花組の古代もの。評判がウンヌンなんて関係なく、心が動かないのだ。お会いしたら卒倒しかねないレベルで大好きな桜咲彩花サンを見ても、感情が動かない。うつとは不安でたまらなくなるというより、感情が死ぬといった方がいいのかもしれない。治癒した今ではぶっ倒れるのを堪えながら、オペラグラス越しに桜咲サンを追いかけている。

 【藤井フィーバーの片隅で】
 どん底期を抜け出し、回復期に入った先崎さんは惨めさとも嫉妬とも取れる感情に苛まれる。世は「藤井フィーバー」で大盛り上がり、片や病気で休場中。クソッと思っても当然だと思う。先崎さんはプロ棋士なんだから筋金入りの勝負師だ。「勝つか負けるか」の世界で生きてきたのだから、穴熊のように潜り込んでしまった自分に敗北感を感じてしまったのかもしれない。普段闘争心のカケラもない僕ですら「自分だって何かできるはずだ」ともがいた時期だ。これも正常な感覚なのである。心(うつは脳の病気だけど)を火力発電所と考えてみてほしい。どん底の時、発電所は煤だらけで何も燃やせないのだ。一度活動を止め、いらないものを排出する。要するに「燃やせる余裕が出てくる」ということだ。感情の炎が燃やせるエネルギーが生まれたのである。

【おわりに:将棋に感謝】
 先崎さんと僕の共通点は「将棋」と「うつ」しかないし、先崎さんは雲の上の人だ。自分もヘボながら将棋を指すが、思い出の一局がある。将棋を覚えて間もないころに受けた指導対局だ。相手は長谷川優貴女流二段。実はこの記事の見出し画像がその時の一手。ヘボながら指して気持ち良い!と感じた手である。この一手の幸福感が忘れられず、今でも将棋を指しているわけだ。先崎さんクラスなら尚更だろう。先崎さんの将棋への想いは、薬と同じくらいかそれ以上に効果があったかもしれない。将棋の魔力おそるべし。


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