政治とルッキズム---『なぜ君は総理大臣になれないのか』のはなし

-市井と政治と誠実と。あるいは何故東京都知事は着飾る必要があったのか-

こんにちは。
ヴァージン砧・主宰の香椎響子です。


『なぜ君は総理大臣になれないのか』を見た。
衆議院議員・小川淳也氏を17年間追いかけたドキュメンタリー映画だ。とても良かった。


政治とルッキズムについて、私は常々気持ち悪さを感じていた。
たとえば東京都知事・小池百合子氏がコロナ対応に追われる中毎日整えられた化粧をしてご近所さんから貰ったマスクをする様子を、「可愛い」「素敵」「頑張っている」ともてはやす風潮がTwitterにあったこと。たとえば大阪府知事・吉村洋文氏のことを若くてイケメンだと言う風潮があること。たとえば安倍晋三氏、麻生太郎氏、菅義偉氏のことを可愛くてダンディなおじ様とする風潮があること。はたまた枝野幸男氏や山本太郎氏を極端に神格化し或いはキャラクター化する風潮があること。プーチン、トランプ、ヒットラー。
全て政治的思想と全く別のところにあるということ。
人間は政治家を、政治家としての資質とは全く関係ないところの評価軸で見ている。

TBSラジオ『ACTION』金曜日、ライターの武田砂鉄氏がパーソナリティの回。『女帝』の著者・石井妙子氏がゲストだった7/10の放送が大変面白かった。放送内で、小池百合子氏が何故嘘で大きく自分を着飾っているのかについて言及された。
(細かいニュアンスは放送を聞いて下さい)
《政治の世界であの地位まで女性が登り詰めるためには、自分を大きく見せる嘘を吐き続けなければならなかった。》
では、嘘をつかせたのは、誰か。

『なぜ君は総理大臣になれないのか』において小川氏はとっても誠実。とっても真面目。だから、とっても政治家に向いていない。何度も何度も周りから、小川氏は政治家に向いていないと言われる。優柔不断。考えて考えて考えているからこそ、断定的な言い方が出来ない。自分の信念故に党内でうまく立ち回れない。真面目すぎる。物事が白か黒かだけでないことを小川氏は分かっていて、白か黒でない理由をひたすら考えていて、でも政治家っていうのは白か黒か分かんなくても白だと断定する強い語気を持つものが向いているっぽい。


小川氏が初めて国会の場に立っている映像。本当に泣きそうになった。目が潤んだ。感動じゃない。思い出したからだ。小川氏が真面目に質疑している後ろで年上の議員たちがニヤニヤニヤニヤしていてそれはどういう意図なのか分からない、一生懸命さを微笑ましく思っているのか応援しているのか分からない、分からないがどうしても真面目さへの嘲笑に見えて、そしてそれは私自身が学生時代からずっと晒されてきた目で。真面目で鬱陶しい、うざい、そういうのいらない、理想主義、ださい。
真面目さを嘲笑う風潮は永遠に世界で蔓延している。

政治家は着飾る必要があって、余裕っぽくて大きな言葉で断定する必要があって。でもそういう人は結局独裁的にならざるを得ない。
トランプ、プーチン、金、習、文、安倍、など、など、など。世界が独裁者を求めている。日本固有の問題じゃない。世界が誰か一人の強い発言に身を委ねたがっている。
真面目な思慮は排除したいのだ。



で、最も重要だと思うこと。
それは、「誠実な振る舞い」をしていて「支えてくれる綺麗な奥様」や「涙を流す可愛い娘2人」がいて「人々が熱く涙を流すような演説」のできる小川氏のことを観客が「素晴らしい政治家」だと断定しまうこと。

これがすなわち
小池百合子氏、橋下徹氏、吉村洋文氏、そして安倍晋三氏を生んできたのではないか。

ヒロイズムに感化されて「こんなに素晴らしい政治家は他にはいない、彼を全面的に応援したい」と思ってしまう、それこそが「政治とルッキズムの問題点」なのではないか。

例えば、小川氏はジャーナリスト田崎氏と監督大島氏が集う飲み会でポロっと「こんなヤクザみたいな飲み会に」と冗談を言ったが、一応カメラが回っていることを知っていたはずだ。これが総理大臣だったら失言で即失職もの。
幼い娘二人が泣いているのに政治活動をしている様子は、中央のマスコミが悪意を持って書き立てたら幼児虐待だと非難されるだろう。
小川氏を批判しているのではない。
「完璧な政治家など存在しないと理解した上で、誰か一人に絶大な信頼を置くべきではない」ということだ。
彼は確かに「誠実な人」だが「優れた政治家」かは分からない。だって、あの映画に小川氏の目指す具体的政策はほとんど出てきていなかったのではないか?国民に寄り添った政治批判はとても理解できるし私も同感だと思う部分は多い。けれど、彼の具体的政策は押し出されていたか?これは小川氏のプロモーション映画でないからこそ、大島監督はそこを強く映さなかったのではないか?

もしも小川氏が少し知恵を悪用してしまえば、周りが小川氏を上手く利用してしまえば。この映画を足がかりに「誠実かつ悲劇の議員」として自分を着飾り、うまいこと登り詰めて。「小川さんしかいない!」「小川さんだけは絶大な信頼を置ける!」との声を集められるだろう。
本当に?
小川氏は「変わらない」と連呼していたがどうしたって人は変わるし、自分が変わっていないと思っていたって社会は川の流れ。動いていないつもりの小石も周りの流れによって少しずつ移動してしまう。現に彼は「50歳までやってダメだったら政治を辞める」との発言を覆した。小川氏が悪いということではなく、人間というのはそういうものなのだ。

だからこそ誰か一人に肩入れすることの危険性。
ドラマチックなヒロイズムで盲目になってしまうことの危険性。
政治を見るときは、これを念頭に置いた方がいいのではないか。



最後に大島監督が「総理大臣になりたいか」と改めて聞いた。
ここで「はい」とすぐに答える人間が、今、総理大臣になれる人間だろう。強くて信頼できる。無根拠に。
小川氏は、とても悩んで悩んで返事した。たくさんの理由を連ねて遠回りして返事した。とても聞こえは悪かった。優柔不断で頼りなく見えた。でも、それが誠実ということだ。私は小川氏のこういう自戒的な部分がとても好ましいと思った。だから「注視したい」と思った。

整えられた見栄えの良さが政治を支配するの、もう辞めにできないんだろうか。

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