見出し画像

私の「脱成長」論

はじめに

この記事はポエムに近いものです。学問的な知見や文学的なテーマはありません。
しかし、効率化をすすめると、究極いわゆる第三次産業の仕事がなくなるまだ行かなくても、かなり減る気がします。生成aiは19世紀の工業上の産業革命に匹敵する、事務仕事つまりオフィスワーク革命になるでしょう。職人から仕事が奪われて、工場からも人が減ったようなことが、事務手続きでも起きます。なら、今日本は人口の半数以上が第三次産業なので、大半の人は職を失いますね。なら、経済的には後退する未来しか見えないです。
働かなくても、経済成長ができるなら、それでいいけど、働かなくてはGDPは上がらないでしょう。そうなったらGDPを目安に国の豊かさとか決めるのも変な話では?

AIの進歩で経済成長は止まる?

まさにai脅威論みたいな見出しですが、私はもっと進歩するべきだと思っています。
ただ前節でも書きましたが、オフィスワーカーは減る運命にあり、現状はまだai側が猶予期間をくれているに過ぎません。aiはこれから事務仕事をどんどん奪っていくでしょう。日々の集計作業、資料作成や勤怠管理、承認フロー様々な雑務をaiがしてくれます。
定型の仕事であればあるほど、自動化できます。日々の業務がパターンでない人がいくらくらいいますか?DXとかいってますが、自動化のことです。
平の社員どころか役職付きだってリストラの危機です。事務仕事が減ることで仕事は減ります。増えた人は仕事のやり方にぎもんをもったほうがいいでしょう。
ここまで書けばわかりますね。GDPはAIの進歩とともに下がっていくのです。それなのに、経済成長の指標になるのでしょうか?そうです。なりません。でも世界はGDPを指標にしています。こんな無駄な競争をやる必要があります?

いまの見方では脱成長

GDPが上がらないなら、GDP基準の経済的な成長はしなくてもいいのでは?他の基準はかなり重要だと思いますが、金の動きだけ見てればいいってものではないです。マクロ的な考えですが、マクロの成果が個人を幸福にしてくれるとは限りません。
日本の人口は後どのくらいかは正確には知らないけど、減り続けるのは確実です。人口が減るということはGDPはよっぽど変なことが起きないかぎりは下がる一方だということを自覚すべきです。
GDPではなく、他の基準を持つのがこれからの経済には必要なのでは?

最後に

そもそも何でこんなポエムな記事を書こうと思ったかは、MMTや脱成長などいろんなことが経済関連で言われているけど、マクロの話しかせずに経済を語っている人を見るとモヤってしまい、つい書いてしまいました。
最近ゲーム理論を勉強したのですが、囚人のジレンマを改めて勉強し直すと、戦略的に物事を行うのがいいとか悪いとかの話はしてないなとやっとわかりました。囚人のジレンマからわかるのはルールが少なかったり、情報が少なかったり、プレイヤーが少ないと、取れる手段が少ないから戦略的に行動選択してもあまりいい結果にならない、それどころか悪い決断をしてしまうことが多々あるということです。
なぜ人が群れることで発展したかはゲーム理論で理解できるのだ。逆にあまり手段が多くても、複雑すぎて、何がいいかわからなくなります。色々少なくては困るが、ある程度の大きさ以上でも困ってしまうのです。つまり、世界中が一つになる必要もなく、個人の力のみで生きる必要もないのです。

これはあくまでポエムで、またゲーム理論ってよく見るあの表を作ったあとが本番で大事なんだという記事でした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?