大規模言語モデル(LLM)時代のデザインリサーチにおけるトライアンギュレーション

本稿では、大規模言語モデル(Large Languagn Model, LLM)の急速かつ劇的な進歩を踏まえ、社会学の研究者であるノーマン・K・デンジンが1970年代に提唱した「トライアンギュレーション(三角測量)」という方法論の拡張を、デザインリサーチの多元化の一例として考察したいと思います。

一般的なトライアンギュレーションの概念図

社会科学におけるトライアンギュレーション

1970年代の社会科学において、デンジンが「トライアンギュレーション」を提唱した背景には、定性調査において単一の手法だけでなく複数の手法を併用することで、研究の信頼性と妥当性を高める必要性があったからです。

人々の行動や思考などを測定することは困難であり、主観的な評価や質的な調査分析に頼る必要がありましたが、その考察の妥当性については特に定量的調査をおこなう研究者から度々批判が繰り返されてきました。

そこで、①複数のデータ、②多様な調査者、③多様な分析手法、④多様な調査手法を用いる「トライアンギュレーション(三角測量)」によって、デンジンは批判を乗り越えようとしたのです。

例えば、質的なインタビュー調査だけでなく、定量的なアンケート調査も行ない、その結果を比較することで、より正確な分析を目指します。また、トライアンギュレーションは、単一の研究者の偏りや主観性を排除するためにも有効であり、異なる研究者や研究グループが異なる手法で同じ問題に取り組むことで、より客観的な結果を得ることができるとされています。

社会調査の手法として定量と定性を合わせて用いる「混合研究手法(Mixed Methods Research)」も類似の概念であり、デンジンはのちの論文 "Triangulation 2.0" で整理の必要性を説いています。

デザインリサーチにおけるトライアンギュレーション

1960年代にデザインの方法論の研究から端を発する「デザインリサーチ」では、プロダクトやサービスなどあらゆる人工物を生成するための横断的な研究が進められてきました。社会のニーズが新たな技術を生み出し、新たな技術が社会を変容してきたように、デザインは多元的で相互作用的な行為から構成されていると考えられているからです。

リサーチ・スルー・デザイン(Research through Design)のような、実践を伴うデザインリサーチにおいては、未来のヴィジョンを実現するための一環として社会実験的な手法が取られることがあります。専門家だけでなく市民をリードユーザーとして迎え入れたり、デザイン主導型の場合もあれば、対話型のワークショップでアイデアを共に検討するなど、リフレクションを多用することも少なくありません。

ますます複雑化する今日の社会においては、多様なデータや手法、ツールを組み合わせ、デザイン課題の抽出・思索的なヴィジョンの創出、ロードマップの策定、内省的な実践の連続が求められています。社会科学的なアプローチを応用するデザインリサーチもまた、トライアンギュレーションなどによる妥当性の担保が求められてきたのです。

大規模言語モデル(LLM)時代のデザインリサーチにおけるトライアンギュレーション

ここ数ヶ月にわたる大規模言語モデルの発展により、自然言語処理技術が飛躍的に進歩しています。膨大な量のテキストデータから言語パターンを抽出するこの技術は、新たな文章の生成や文書の要約や分析などはサービスとしてすでに用いられています。質的調査においては、従来の手法では困難であった大規模なテキストデータの分析への応用が模索されはじめ、noteでは中村健太郎さんなどの実験が公開されています。質的調査を援用するデザインリサーチもまたその応用が模索されていることは言うまでもありません。

LLM時代におけるトライアンギュレーションは、以下の4点〈①複数のデータ、②多様な調査者、③多様な分析手法、④多様な調査手法〉を拡張することで、デザインリサーチにおいて新たなアプローチとして有用な手法となることが考えられそうです。

複数のデータ
従来のデザインリサーチのプロジェクトにおいて、予算やスケジュールの都合により、質的な調査が簡略化されることは少なくありませんでした。しかし、LLMによって工数を削減することができるのであれば、複数の異なるデータを使用し、信頼性を高めることが可能になるでしょう。

多様な調査者
データの多元性を担保するために、少ないチームでプロジェクトに取り組む際にLLMを強力なパートナーとして迎え入れることができるでしょう。異なる専門性を与えれば、依頼主側にも調査者側にも、もちろんユーザーの視点に立った回答も期待できます。興味深いのは事前にインプットをおこなえば、時間軸を横断して考えることも可能になります。例えば、2050年のユーザーが置かれる予測などを入力し、その上で現在の定性的な調査内容をともに分析したり、アイデア創出ワークショップの参加者としてともに考えることも可能になるのです。

多様な調査手法や分析手法
アンケート調査、インタビュー、観察調査、プロトタイプなどから生成した同じデータを用いても、多様な分析手法を用いることで多角的な洞察を得ることができるかもしれません。例えば、インタビューの文字おこしをテキストマイニングのような統計的手法をもちいて頻出語句を調べたり、GTAやSCATのようなテクスト分析から文脈を抽出することも。例えば、アンケート結果から感情などを定量評価したり、自由記述のコンテクスト分析などと複合的に分析することができるでしょう。

以上のように、LLMの活用はデザインリサーチにとって非常に有益であることは言うまでもなく、トライアンギュレーションの手法を応用することで、今まで以上に多角的な視点からの分析や、未知の領域への探求が可能になることで、デザインに関する洞察力や発想力が飛躍的に向上することが見込まれます。どれほどAIが発達しても確率論的に生成される文章だけを信用信頼することはトライアンギュレーションから反することになります。

また、莫大なこれまでのテキストを読み込んだLLMですが、これから起こりうることに対して、インプットがなければ生成されるテキストの精細さは欠けます。LLM時代におけるデザインリサーチにおける課題解決や改善点の発見が容易になり、より高品質で革新的なデザインを生み出すことにつながるでしょうが、未来倫理を考慮するTo Beのヴィジョンには当事者としての責任感や意思がまだ求められるでしょう。今後もLLMの進化とともに、デザインリサーチにおける新たな可能性が開かれていくことが楽しみです。


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