2024.05.13

ただいま転職活動中。
今日は豪雨の中ひとつ面接を受けてきた。履歴書を書くのが本当に苦手で地獄の日々なので早く終止符を打ちたい。ここで言う苦手というのは自己PRや志望理由を考えられないという意味よりも、正しく間違えることなく丁寧に書類を書き切るという行為が苦手というなんとも情けない理由である。どんなに気をつけても書き損じる。たった一枚完成させるのに三時間かかってしまう。助けて欲しい。社会はこんな私も受け容れて欲しい。仕事は出来る方です。見捨てないで。面接が終わると少しばかり雨足が弱まっていたので、好機とみたい。頼みます。

生活範囲内にいくつかストリートピアノが設置されている。商店街にあるものや商業施設にあるものなど様々だが、都度誰かが奏でていてなんとも気分がいい。上手であればあるほど良いと思っていたが、メロディなんてものが不確かな遊びでもそこに音があるだけで心地よいものなのだなと思うようになった。
小学生から中学生くらいの男女四人が鍵盤を囲むように立っていて、連段していた。ひとりの女の子が椅子に座ってベースのメロディを弾いて、隣に立つ女の子と男の子が茶々を入れるみたいに片手で鍵盤を叩く。音楽として成り立つような音の重なりではないし、美しいものではないのにその情景にあまりある青春を感じて気がついたら喉の奥から鉄の味がした。強い憧れと嫉妬で身体が爆発するところだったのだと思う。圧倒的に私に足りないものはこういう十代の頃のキラキラした青春なのだ。だから未だにひとりでこうして液晶に向かい電子の海で溺れている。早く息の根を止めてくれ。

駅の地下道を駆ける小学生集団も見かけた。今日は学校は休みの日なのだろうか。彼らは「8番通路みたいだ! 異変を探さなきゃ!」と元気に地下道を巡っていた。直線しかない単調な田舎の地下道でも楽しめる無邪気さを持っている彼らが羨ましい。私もそうだったはずなのにいつ忘れちゃったのだろう。彼らの前を歩いていた私こそが社会の異変だよ。早く見つけて引き返してね。

私が小学生の頃、明らかに不要だろという場所に小さな地下道があった。数メートル先に信号があるというのに作られたその地下はバスセンターから向かいの道までを繋ぐ短いトンネルだった。詳しいことは覚えていないが、いつ通っても黄色いライトに照らされて薄暗く、常に小便の匂いがする通りで最悪だったのだが、私はよくそこを利用していた。地下道と歩道橋はかっこいいので。
禁止されている買い食いをしている子がいて、クラスの子たちとよってたかっておこぼれを貰ったことがある。バス停を降りると目の前に甘栗屋さんがあって、その甘い香りは学校帰りで腹ぺこの私たちの胃袋を刺激した。その甘栗を購入した子がいたのだ。大人に見つからないようにと地下道に逃げ込む彼女の後を追った。放課後の小学生たちはハイエナ同然の勢いで彼女の甘栗の袋に手を伸ばした。「一個だけ」と言いながら数人で囲うものだからあっという間にその紙袋は空になっただろうと思う。ごめんね。小学生が五人、地下道の隅でしゃがんで甘栗を食べる。ほくほくの甘栗の甘い香りと同時に流れ込む小便の匂いと微かな埃の匂い。青春の匂いが私にあるならば、あの日の地下道の匂いなのだ。

十年近く前にバスセンターが改修工事に入ったのと同じくしてその地下道は埋め立てられ、思い出に触れることはもうできない。街は変わっていくのに私は何も変わらないままここにいるのはあまりにも残酷じゃないか。早く変わっていきたいよ。今日の面接、前向きな結果であることを願います。

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