2023.02.19

忙しさにかまけてクリエイティブをサボっていたら、誕生日が来ていた。自分の歳にそろそろ無頓着になってきていて、何歳になったのか分からずにいたが、想定していた年齢にはまだ達していなかったことが発覚してなんかウケた。まだ数年余裕があるようで、焦りが少しだけ減ったような、あまり関係はないようなそんな気分だ。

昨年度の総決算のような、イベントに参加をした。盛岡で活動をする方の発表を聞きながら10年前の私なら聞き手ではなく発信する側にいただろうなと思って勝手に悔しさを得た。
優等生だったのは過去の話なのである。今は今の私の人生をいかに生きるかだ。優等生であることだけが全てでは無いが、成功するのは優等生であることが条件だろう。
優等生=真面目という意味では無いことは重々承知ではあるが、私は優等生や真面目という言葉に含まれがちな皮肉的意味合いに恐怖してそのような私であることを避けるようになった。
それが大学在学中のことだから、約10年前だ。
作品に対するマイナスの感想として「真面目だね」と言われたことがトラウマになっている。真面目であることを悪だと思った。今でこそそんなことは無いと理解はできているが、飲み込めているかと問われればどうだろう。
活動の特性上、真面目でお堅い頭ではきっとエンターテインメントを生み出せない。少しばかり突飛で、奇想天外で、荒唐無稽な方が愛される。勿論それは作品に対してであって、社会的な意味では無い。
未だに真面目な作品ばかりになってしまっているように思う。それは、ファンタジーが苦手だったり、リアリティーを求めたり、現代劇でないと書けなかったり、というところに表れているような気がする。
変わらなければいけない義務は無いが、どこか変われるのならば挑戦してみるべきだ。ここは実験の場であると認識しているからこそ、稚拙でも載せていきたい。

まるで今日が誕生日かのような振る舞いをしてしまったが、ほんの数日前のことである。
我が人生上手く転がるかは自分次第。甘えを捨てて今一度進めるよう、進んでまいります。

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