2022.12.30

今年はあまり雪がないので、年を越すという実感がない。そんな話をしていたら昨日からささやかながら雪がちらついていた。積もらない雪なら降らなくていい。いや、積もる雪を降らすなら積もらない雪の方が賑やかしのようで丁度いいかもしれない。前言撤回。降るなら積もらない雪に限る。

仕事を納めたと思えば、年末は母の勤める魚屋の手伝いに駆り出されるのが恒例となっている。大学生の頃からなので数えたところ8年目になるというので驚いた。年末の予約寿司の仕込みや握られた寿司を詰める作業の手伝いが主なので冗談のように「年末は寿司を握ってまして」と話のネタにするのだが、気がついたらイカやカズノコの握りを私が作っていた。2023年は本当に「握ってまして」の話が出来てしまうと思うと今から楽しみではある。

年末ということで、今年1年をざっくり振り返りたい。例年に比べて前向きな1年だった。2022年を忘れないようにしたい。いつでも今の覚悟を取り戻せるように。

5月。「盛岡という星で」という市のプロジェクトと出会った。まち歩きの企画に参加して、地元の知らなかった道をゆったり歩いた。
UターンやIターンを目的とした、観光事業だというが、芸術活動を後押しするような仕組みが沢山詰まっていて学生時代のドキドキを取り戻すようだった。

暫くして、同プロジェクトで案内があった一人劇と古典落語を観に行ったことをきっかけに「ミチゲキ」の観劇を決める。
演劇部時代、初めて行った劇場と同じ「風のスタジオ(通称:風スタ)」での公演に忘れていた舞台への高鳴りを思い出させられた。風スタに入ったのは先輩の公演の手伝いで実際にこの場所に立ったことはないけれど、確かに始まりの場所だった。この席からみたステージに憧れを知ったのは約10年前。帰り道、私はなぜまだ客席にいるのだろうともやもやした。

「盛岡という星で」でインターンシッププログラムを行うと聞いたのはそれからさほど時間も経たない時分だったと記憶している。
様々な分野で活躍する先生を招き、イベントをメインとする企画立てを行い実際に実現させてみようというプログラムだった。その中に創作をメインとするゼミを設けられていたのが明確な始まりだった。

盛岡を舞台とする作品制作。
小説を書くことをまた己に課した。趣味ではなく、誰かに読んでもらうものとして書くことはいつだって怖い。それを越えてでも書きたいという思いがあった。書く前は私が一番面白い作品を書けるのだという根拠の無い自信がある。その自信は1文字書く事に失われていくのだから厄介だ。書き終わった頃には誰が私を求めているのだろうと卑屈になって保存ボタンを無視してファイルを閉じてしまうのが常なのだが、悪魔の囁きを振り切って書き上げた。
第三者に作品を読んでもらうことが久しぶりですっかり忘れていた私の作品の味や魅力に気がついて、私の書くものも悪くないのかもしれないと勇気になった。勇気が自信かと問われるとそれはまだよく分からない。自信は常に無いのだ。

しかし、先生が私の書く視点を前向きに受け止めてくれたことで文芸フリマの公式作品集への作品投稿の後押しになった。掲載のための審査があると聞いていたが、無事に掲載が決まり、またひとつ私が認められたような気がした。

私にとって書くことは、自身を切り刻むような行為で、自傷にも近い表現だけどそれは痛みと言うよりは確認と言う方が近いかもしれない。
今何を好きで、何にときめいていて、何を嫌いで何を抱きしめたいのか。たまにのめり込みすぎて具合が悪くなってしまうこともあるけれどそれくらい私の全てになっている。
吐き出したものはその瞬間から私のものではなくなると言うけれど、全然私だしという気持ちが強い。だから書いたものを評価されることが怖いのかもしれない。それでも書いたものを伝えていくこと、見てもらうことでしか得られない経験や、選べない人生があることを改めて実感した。

書き切ることをできたからこそ、前向きな評価もたいけだたし、文芸フリマに作品を提出することも出来た。昨年まで何も出来ず時間を浪費するばかりだった私からすると、大きな進歩だ。とても前向きで豊かな結果だ。この事実が本当に嬉しい。

大学生の頃作品が思うように書けず、脚本家の父に相談したことがある。父は「文章を書かずに恥ばかりかいてるのか」と言った。本人曰く洒落だったようだが、私にとっては攻撃でしかなかった。父は私が学科で1番の成績を取った際に書いた原稿も「趣味じゃない」と投げたり、かと思えば「また○○な作品書いてんのか?」と茶化してきたりするような人だった。
学校での評価より、父親からの評価が全てなようなき気がしていたのかもしれない。私は父が何かい言う度に才能もなく、期待外れの子供だと思った。才能はまあ元々ないが、勝手に期待して期待外れと言われるのは心外だった。勝手に期待された才能の後始末を、どうして私が取らなくてはならないのだろう。私の中の能力を才能というチンケな言葉で片付けようとするから、苦しくなるのだ。私の中にあるものは才能なんかじゃない。才能なんか初めから望んでない。勝手な名前をつけないでほしい。

あと1日で2022年が終わる。
何もできなかったと嘆く1年じゃなかった。それだけで私は今年を誇らしく思う。翌年はもっと誇れるだろうか。楽しみなこともすでにいくつか待っている。どうか、芽吹きますように。



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