2024/02/13

 完全に日記というものの存在を忘れて生きていた。
 最近は地元の劇団の舞台や、配信でコントという名の長編舞台を観劇して自分の中にある上演欲(勝手に名付けた)がむくむくと湧き上がり、衝動的に脚本を書くという日々を過ごしていた。今月末に出したいと思っている文学賞があったというのに、そちらはまだ何も書けていない。いいわけがあるか。衝動に任せて書くことは必ずしも良いことでない。優先順位を間違うな、見定めろ。でも衝動で書く時の熱を忘れたくはないんだよな。自分に振り回されている。まだ十三日であることにあぐらをかいている。どうにか間に合わせたいです。

 昨年発行した漫才、コント脚本集の中に登場させた漫才師をピックアップして「単独ライブ」なるものを模した作品集を出すのも面白いのではないかと画策している。本にするのは大変なので、観劇してきた感想noteのようにしてこちらに投稿してみようかなと思う。現実性を追求してみたい。そのために企画書を作ってみたり、原稿を書いたりしている。企画を立てることは好きだ。好きだけで良いものかは全くわからない。いつだって不透明なまま進んでいる。

 自分の中にある面白いと思うものを形にする場所をずっと探している。ひとりで作っていくのにはなかなか能力が足りないところがあり、どうにか協力者を仰ぎたいところだけれど、私と同じ温度で面白がってくれる人というのはなかなか存在しないもので、わがままを言うだけの人間になってしまいそうなので「一緒に何かをやりませんか」と声をかけることができない。勝手に期待をして勝手に絶望をして他者を嫌うことをしてしまいそうになる。そんな最悪のことをしたくなくて、結果的にひとりになってしまう。どうしようもない人生を繰り返している自覚はある。もう戻れない。

 毎日のように小さな後悔を積み重ねてここまで来てしまったなという絶望がある。週末にはまた年齢を更新することになるので、その前に少しでも後悔を減らしたい。例えば、脚本を完成させるとか、企画書を練るとか、漫才脚本を書くとか。今年は叶えたいなと思う委託ライブの企画を考えてみるとか。私に作れるものが何かあるのであれば、それをひとつでも多く作っていくこと。ポメラの要領が溢れてしまうくらいの筆量で何かと戦うこと。天才に負けないように、目に見える努力をすること。怠らないこと。
 努力というものを言葉にするとあまりにも軽く、自分の頑張りというものが努力と呼べるような気がしない。何も実になっていないのだと嘆くことの方が多い。私に肩書きがないから私の「書くこと」を軽く見られてしまうノだろうという悔しさもある。何者でもない私が、何かを訴えたところで全て戯れ言なのだ。負け犬だって遠吠えばかりでは心を壊してしまう。負けたくて負けているわけではないのだ。明確な勝ちのない世界だが、ひとりでも多くの人に私の作るものを面白がって貰えればそれがきっと勝ちなのだ。脳内に留めておくだけでは誰にも伝わらない。だからここで書き続ける必要があるのだ。
 2024年、おもしろがってくれ。尽きるまで書き続けたいです。

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