2024.05.12

創作大賞に投稿しようと思っている記事の補強に必要だなと思っている原稿を粛々と進めています。あと三本書かなきゃいけないのは地味に苦痛。
昨年文芸フリマに出展した際に漫才やコントを致死量書いたんですが、その時の比にならないほどに脳が焼けている気分。以前は複数の架空芸人が登場する寄席という設定で書いたので、全ての作品の発想というか脳を別にしなければという意識が強く、私が書いているという匂いを消すことに躍起になったのもあり違う苦しさがあったために苦しさを感じにくかったのかもしれない。いや、普通に頭が割れるかとは思ったけど。

存在しないライブを見た感想を言うnoteを書く。正確に言うと一回書いた。細かく調整したくて一回下げている。これを創作大賞に出そうと思っているのだが、ふと振り返ると私は幼い頃から「架空」の日記を書いていたことを思い出した。存在しないグラドルのブログを書いていた時期もあれば、存在しない学校の校歌や校則を考えているだけの時期もあった。冷静に考えれば今やっていることだって存在していない人間の存在しない人生を描くことを繰り返している。創作というものはそういうことの繰り返しなのだなと思うと、幼い頃からやっていることは変わらないのかもしれない。

2017年にアンソロジーに原稿寄稿し間接的に作家デビューをしてから、細々と色んな媒体で執筆してきたが、名前が表に出るような仕事を得ずにここまで来てしまったので、何もしていないのと近しい人生だなと定期的に憂いてしまう。数えたら八年経ってた。末広がり。今年こそ今年こそと投げた文学賞が箸にも棒にもかからないまま、才能がないんだって嘆いては今日もまた書いている。誰が書いても同じような文章ばかり書いている日々だけれど、私にしか書けないもので訴えたい。言うのはこんなにも簡単なのだけれど。

今、オリジナル作品を公開出来る場がここだけなので、好きなように楽しく自分の表現を突き詰めていきたいなと思う。こんなに嫌なのに書くことを止められないのはもう病気なんだよな。完治できない病気だからこそ、ド派手に死んでやりたくて。死の話しをするとマイナスに聞こえてしまうかもしれないのだけれど、私はいつも前向きに死の話しをしている。

このド派手な死を迎えるために、経験したことがないことをして回りたくて、様々なことに手を出している。それが身になっているのか、自分を助けているのかは全くわからないけれどたまにそれが話しの種になると嬉しい。やってよかったなと思う。最近役に立ったのは、学生の頃にやったブタの目玉の解剖と喫煙である。知っていると描写できるのはその通りなんだなと思った。死なない程度に色んな味とか痛みとか温度とか匂いをしって、私はそれを言葉に落としていきたい。私は匂いたつ文章を書けるようになりたくて仕方がないのだ。制限の中で私は貴方の鼻腔をくすぐりたい。今はまだ何も感じなくてもいいから。

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