眠る白猫

 ︎︎不意に「ここで猫が死んでいたんだよな」と思い出した。それは小学校の中学年くらいだっただろうか。ある日の帰り道。私は数人の友達と話しながら下校していた。指し示したわけでもないのに大人数になっていたのは、バスセンターへと向かう道だったからだと思う。

 ︎︎突然誰かが「わっ!」と大きい声を出したので驚いた。指さす先には白い猫が横たわっていた。

 ︎︎そこは歩道に近い車道で、車がギリギリ通らないような場所だった。眠るにしては危険すぎる。近づいてみるとアスファルトに面した毛が赤黒く固まっていた。

「血が!」誰かが叫ぶと皆して猫の周りへと集まった。「怪我してるのかな」「痛そう」「もう死んでるよ」誰かの疑問に誰かが答える。道路を眺めていると中央より少しこちら寄りに黒いシミがのこっていた。

 ︎︎死んでいる、と聞いてざわめきがゆっくり消えた。まだ10年も生きていない私たちにとって死は遠い存在だった。生きている姿を見れば「かわいい」と駆け寄りその毛並みを愛するのに、死んでしまっているとわかった瞬間汚物を見るように距離をとる。

「かわいそう」

 ︎︎また誰かが言った。かわいそうだからと言って私たちには何も出来ない。車道に出て白猫を安全なところまで運ぶことも、コンクリートだらけのこの場所に埋める場所を探すこともできない。今でこそわかるが、先にすべきはしかる所への連絡だ。しかし誰ひとり携帯電話など持っていないし、知識もない。

 ︎︎誰かが発した哀れみの言葉は瞬く間に伝播し、その場にいるほとんどの子どもが「かわいそうだ」と呟いた。

 ︎︎私はその時かわいそうだと思うのをやめることに必死になっていた。母親が死んだ動物へ「かわいそうだ」と思うと霊に取り憑かれると教えてくれたからだ。取り憑かれるのはいやだ。優しい言葉を浮かべないように私は晩御飯のことを考えていた。

「たこ焼き食べたい」

 ︎︎雨音が響く傘の中呟いた。真っ白な猫のことを思い出したら、バスセンターの真っ白な外壁が目に入って不意にそんなことを思った。遅くまで帰らず迎えに来た母親に買ってもらった金だこもあの日横たわっていた白猫ももう会えない。

 ︎︎思い出は思い出さないと消えていく。だからここに残さなきゃ。バスセンターと同じようにきっと生まれ変わっているであろう猫のことを思いながら、賑わう入口をくぐり抜けた。

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