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【映画感想】なんでも、どこでも、いっぺんに『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』

※ネタバレ全開の感想です。一応日本では映画公開前なのでひっそりと投稿……。

始まり始まり

 映画を観るということの原初的な歓びを新たな地平で感じさせてくれる、これはまさにそんな映画です。あらゆる芸術がなんらかの「引用」によって成り立っている現代。おそらく真の意味で"新しいもの"というのはあり得ない概念です。ではなにをもって人は「新しさ」を覚えるのでしょう。なにをもってその新しさに「感動」するのでしょう。『マトリックス』が"オタク"とクール"を掛け合わせることで革新的な映像体験を生み出してから、はや四半世紀。ここにおいて久方ぶりに「新しい」映画体験を提供してくれる作品が生まれました。人はそれを『エブエブ』と呼びます。

俳優&製作スタッフ

 主演は『007 トゥモロー・ネヴァー・ダイ』『グリーン・ディスティニー』などに出演したミシェル・ヨー。かつてカンフー映画における女性アクションスターの座についていた彼女もすでに還暦。しかし今回、そんな中国系マレーシア人の彼女が輝きに輝きまくります。夫役をジョナサン・キー・クァン。彼の優し気な雰囲気にときめくファンも多いはず。そして娘役をジョイ・ワン。この映画のキーパーソンです。
 監督には『スイス・アーミー・マン』で名を広めたダニエル・シャイナートとダニエル・クワン、通称ダニエルズ。彼ら独特のしっちゃかめっちゃかなノリはこの映画でも健在。というか時代がこのノリに追いつき、いままさに最高に「面白く」感じるものになっています。製作には2010年代の最強エンタメ、MCUシリーズを製作総指揮したルッソ兄弟。

あらすじ

 中国系アメリカ人のエブリンは、火の車状態にあるコインランドリーを経営していた。彼女の周りには頼りがいのない夫や、レズビアンの恋人ができたことで最近では距離感が生まれつつある娘、足腰の弱った父親がおり、仕事と家庭に追われる気の休まらない日々の中で懸命に暮らしていた。
 その日、エブリンは国税庁の監査官からの厳しい追及から逃れたい一心だった。
「話を聞いてるんですか!?」
 目の前にいるメガネをかけた白髪でぽっこりお腹が出た監査官の女性が問いかけてくる。話など頭に入るわけがなかった。なぜならいま彼女は夫ウェイモンドとともにマルチバース(並行世界)への扉を開いたのだから。
「全宇宙に巨大な悪が迫っている。これを救えるのは君だけだ」
 別の時空に存在する“アルファ・ウェイモンド”は彼女にそう言い残し姿を消す。かくしてエブリンは並行世界をまたにかけた、全宇宙を守る壮大な戦いに巻き込まれてゆくのだった……。

感想

 アメリカではすでに高い支持を集め、数々の賞を受賞しているこの映画。時代の要請に沿いながら、そこからさらに先へ先へと突き抜けていく圧倒的なパワーを持った作品です。SF? コメディ? アクション? そんなありきたりな言葉でこの映画を括ろうとするのは野暮ってもんです。これはあるひとりの女性と、その家族を通して"人生"を描いた作品であり、マルチバースの設定とそれをひたすらに楽しく見せつけるために“映像のタガ”を外しながら新境地へと到達しようと試みた映画なのです。
 マルチバース、カンフー、家族愛、コメディ、アライグマ、下ネタ、石、etc.…。書いても書いても足りないほどの様々な要素を乗せながら「映画を観る」ということの原初的な歓びを、新たな地平で感じさせてくれる、そんな作品。私たちが待ち望んだ“新しさ”がこの映画には確かにあります。

『2001年宇宙の旅』『マトリックス』『レミーのおいしいレストラン』『マインド・ゲーム』『グリーン・ディスティニー』『花様年華』『スパイダーマン:スパイダーバース』『千年女優』等々、数々の引用をまったく臆面もなく繰り出し、すべてが奇跡的なバランスで繋がり、面白さに貢献しています。特に、生物が生まれえなかった並行宇宙における「石」のシークエンスがすばらしく、悟りの境地にも近い感覚をコミカルかつエモーショナルに映し出しています(例えば『火の鳥』未来編における遠大な感覚に近いかな)。そのどれもが本気の引用だからこそ笑えるし、心に響く。さらにすごいのは、その「引用」にさほど気負いを感じない点でしょう。リスペクトがあるかどうか以上に、作品にとって「面白いか否か」を重視しており、「質」が高い面白さを生み出しています。
「どこかで見たことがある」を何度も何度も強く重ね、リピートすることで「新しい」映像になるというのは『エヴァンゲリオン』やタランティーノの映画作品を見ていれば分かることです。しかしこれほど無邪気に“持ってくる”のはおそらくインターネットネイティブ世代の新しい感覚であり、そこかしこに存在する愛すべきB級精神や、サブカルチャーからの引用、ポップでキッチュな映像は、上限が見えない未知のテンションを全編に与えていました。

 物語の根本は娯楽大作でありながら、テーマとして移民、LGBTQ+、母と娘、女と男を描き、最終的に人生賛歌へとつながります。観客が想定する「ここら辺が落としどころだろう」という地点から、二転三転し展開していくストーリーはとびきりのグルーヴを我々に与え、その上で少しも散逸しない脚本がすごすぎました。いったいどういう作り方をしているのか知りたいものです。
 そもそも“ドロップキックや肩車アクションのある映画にハズレ無し”の法則があると私は思っているのですが、その点でこの映画も十分期待に応えてくれます。表面的にはやり過ぎなほど要素を詰め込んだ映画であり、お下劣なシーンも放り込んできますが、このジェットコースターのようなスピード感に慣れてくると、最終的にはなぜかところどころで感動し泣かされます。そう、この映画はやはり普遍的な、笑いあり、涙ありの娯楽大作という前提で作られているのです。

 衣装デザイン、サウンド、俳優たちの生き生きとした演技、マルチバースを魅力的かつ分かりやすく魅せる編集、いずれもハイクオリティな仕上がりになっています。
 そしてこのバカバカしいほど壮大で、あまりにもありふれた小規模な物語は、きっと多くの人が「自分の物語だ」と感じるはず。誰しも「あの時こうしていれば…」そんなことを夢想した経験はあるもので、そんな夢を具現化した映画でもあるのです。ただし、ただ夢の中に逃げ込むのでは無く、むしろ逆に現実と向き合うためのマルチバースでもあります。私たちは、本当はなんにでもなれるし、なんでもできる。そんなあり得たかもしれない可能性は、逆説的にいまという現実を直視し、隣にいる誰かを「大切にする」ということの重要さに気付かせてくれるのです。
 カンフーや刺激的なアクションはこの映画においてあくまで一要素に過ぎません。拳を握り、相手を殴り、叩きのめす。それが根本的な解決方法にならないことはもはや誰もが承知するところでしょう。ご時世的にもそれが認知されたいま、ある意味でもっとも分かりやすい答えにこの映画は辿り着きます。
 すなわち、武装解除。
 様々な世界を行き来しながら、そのすべての世界において「相手との時間を大切にする」という平凡な答え。握った拳を柔らかく開き、相手を抱きしめるという平凡さ。結構なことじゃないですか。日々の生活に追われる中で、何かにとらわれ、頭でわかっていてもできないことを、それでもこの映画は実直に、ひたむきに伝えてきます。ここにおいて並行世界をまたにかけた「なんでも、どこでも、いっぺんに」できる物語は“私たちの物語”となります。大袈裟ではなく、観た前後で世界の見え方が、見る景色やものの感じ方が変わる瞬間がこの映画にはあるのです。

 本作『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は、この時代にようやく生まれた最高にバカバカしく、最高にハッピーな愛すべき作品であり、きっと今後の映画界におけるマスターピースになっていくことでしょう。だって下半身何も履いてない男がジャンピングでケツにキャンドルつっこもうとするんですよ? それで強くなったその男と主人公がカンフーで戦うんですよ? そんなん面白すぎるでしょ。

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