見出し画像

実は多くの人が望んでいない「多様性」

ここ数年のトレンドともいえる「多様性。
それに対して真っ向から
「多様性なんて認めない!」と言える人は
ごくわずかだけど
実は多くの国民は多様性なんて
望んでないのではないか。

女性だと言い張るおっさんが
女子風呂に入るとか
そういう明らかな迷惑行為はさておき
そこまで露骨なものでないにしろ
実は多くの国民は
多様性多様性ってどうでもいいから
そんなことより物価高どうにかしろ!
賃上げどうにかしろ!
人手不足どうにかしろ!
減税しろ!など
多様性のような「お題目的正義」というか
ごく限られた少数の権利主張優遇策なんかより
目の前の生活に余裕がなくなってきて
多様性なんてどうでもいいと
思っている国民が大半なのではないかと。

そんなことを思ったのは
先日のNHKスペシャル混迷の世紀第14回
「パラレル・アメリカ銃撃事件の
衝撃分断のゆくえは」を見たから。
アメリカの大統領がトランプか
バイデンか(この時はまだハリス氏ではなかった)
みたいな単純な予想話じゃなく
アメリカの一部国民(トランプ支持者)は
多様性なんて毛嫌いしていて
伝統的家族観を重視する人も多い
みたいな内容が少しあって
なるほどと思ったのだ。

アメリカでもそうなら
日本でもなおのことそうだよなと。
そもそも移民に消極的な日本では
多様性なんて言われても
結構迷惑みたいな話だし
性自認の多様性についても
欧米と違って身近にいる
ってわけでもないと思うので
(もしくはいてもカミングアウトしにくい)
同質・同一的な価値観と
同調圧力さえかかる日本において
大事なのはみんなと同じであって
圧倒的多数の「みんな」が優先されるべき
という深層心理が多くの人に
あるんじゃないかと。

それでもまだ経済的余裕があれば
「多様性を認め合うのは大事だよね!」
ごっこで自己満足を得られるのかも
しれないけれど
物価高などで生活に余裕が
なくなってきたら
多様性を訴える政治家の声とか
響かないっていうより
迷惑だよねみたいになりかねない。

そういう意味で都知事選の
クソクズ立憲民主党の蓮舫大敗北の
一つの要因には
多様性を訴えれば
票になると勘違いしたことも
あったんじゃないかと。
違うかもしれないけど
蓮舫氏はわりと多様性という言葉を
アピール材料として
使っていたように思うけど
多くの国民にとって多様性の優先順位って
相当低いんじゃないかと。

なのに多様性を訴えれば
「そこじゃない感」が
出ちゃうんじゃないかなと。

私自身が多様性を
否定しているわけじゃないけど
ブームとなった多様性という言葉は
流行当初は「まあ大事だよね!」
みたいな雰囲気から
物価高になってくると
「そんなことより圧倒的多数の人を
経済的に豊かにする政策しろよ!」
みたいな雰囲気に変わってきたのではないか。

多様性を否定してしまうと
人権侵害、差別主義者みたいに
見られてしまいかねないから
声高に主張する人は
一部の「狂信的」主張の方ばかりだけど
実は一般人の多くも心の中で
「いや多様性とかどうでもいいからさ」
「多様性を会社や学校とかで
何か対応しなきゃいけないの
面倒なんだよね」
みたいに思っているんじゃないかと。

経済的な余裕があれば
許せることやスルーできることや
寛大に向き合えることも
経済的余裕がない社会になってくると
「俺たちを最優先しろ!」
という声が高まっていき
今そういう流れになりつつ
あるんじゃないかと。

各国で極右的な政党や政治家が
さらに今後も台頭してくるかもしれない。
日本はまだいないけど
そのうち多様性を否定し
日本人第一主義を主張する
若くてビジュアルがよくて
話がうまい人が出てきたら
わっとその人に支持が
集まるんじゃないかと。

あくまで私見ですが
みなさんはどんな風に
思ったり考えたりしてますか?!

【NHKスペシャル】混迷の世紀第14回
パラレル・アメリカ銃撃事件の衝撃分断のゆくえは
番組解説動画
https://www.youtube.com/watch?v=H53gCiL1wOw
かさこフェイスブック 
https://www.facebook.com/kasakotaka
かさこツイッター
https://x.com/kasakoworld

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?