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【小説】神社の娘(第13話 向日葵と葵、虎に遭遇する)

 村の周りに出現するバケモノ「妖物」。

 妖物は人間の知る動物の形をしているが、どこか異常な特徴を持っている。耳がないとか、鼻がないとか、足が異常に太いとか……。

 悪神「なゐ」が封印される以前、妖物たちは全国さまざまな場所に現れ、土地や山を荒らし、人間や動物を殺していた。

 見るも無残なこの世の惨状に、神は人に特殊な力を与えた。それが有術だ。力を得た人間たちは一丸となり、妖物と対峙した。

 しかし一宮家の先祖により「なゐ」がこの村に封印されると、妖物はこの村以外から姿を消した。村に出現し続けるのは、「なゐ」が封印されている影響ではないか。そう言われている。

 ただ封印後、彼らは急速に弱体化した。加えて出現する範囲も山の中に限られているし、ほとんど妖物が現れない場所もある。

 どうも彼ら、「なゐ」が封印されてから村には入ってこられないようである。

 一度だけ、ほんの一時期の間だけ、妖物たちは全盛期のような強さを取り戻したことがあった。

 しかしほどなく治まり、村にはまた平和が訪れたという。


◇◇◇◇◇

 

 村役場の環境部野生動物対策課では、朝一で会議が行われていた。

 議題は「妖物の強力・凶悪化について」。

 表向きは「野生動物」に対処する課だが、真の目的は村の周りに出現するバケモノ「妖物」を駆除するための部署。構成員はすべて一宮、二宮、三宮家、つまり有術を継承する家の人間である。「なゐ」の封印以前は村の多くの人間が有術を使えていたが、封印後、他家はこの3つの家に代々の有術を譲り渡したという。

 その彼らの真の対象「妖物」。約3か月ほど前から徐々に凶暴性を帯びてきた。

 さらに「気がついてると思うけど、一週間ほど前っていうか今週からさ、アイツら突然強くなったじゃない」と課長の二宮公英が発言した。

 一週間前といえば、橘平たちが小さな神社を破壊した時期と近い。

 妖物の強さや大きさには個体差がある。その辺のネズミと同じくらいで害のないものもいれば、犬、クマ等々、危険レベルはさまざまだった。普段対処しているもののは、強くても柴犬程度がせいぜいだった。

「それがいきなり最低でもクマレベルでしょ」

 そんなレベルのバケモノは年に1度出るくらいで、ほとんどが気にするほどのものではなかった。土日に出ても、月曜に処理すればいいや、で済ますことができるほど。

 実を言えば、今までは本当の「野生動物」対策の方が厄介で面倒だった。農作物を荒らす、通学中の子供と遭遇するなど。

 それが今や、奴らの方がより面倒で厄介ときている。本物の動物たちはなりを潜めていた。

「駆除でケガする人増えたし、仕事も増えたし、妖物の出現数や出現頻度も増えたし…やってらんないよね」

 定時を美徳とする課長としては由々しき事態であった。ただ夜に出ないことだけが救いである。

 村一の爽やかスマイル、係長の三宮伊吹が説明する。

「妖物の出現が頻発する地域は立ち入り禁止にします。状況を見て禁止地域は判断していきますが、より妖物の出現や被害が拡大するようであれば、山全体の立ち入りを禁止します。この状況で一番恐れているのは、一般村民への被害が拡大することです」

 妖物に与えられた傷は有術でしか治療できないし、駆除することも有術でしかできない。人間の使う武器や向日葵のような打撃は、隙を作るための手段でしかないのだ。

「というわけで、村民への注意喚起も行っていきます」

 村唯一の診療所、三宮診療所には、表向きには医師や看護師として働いている「治癒」の有術者がいる。職員たちは妖物によってケガを負った場合、ここへ駆け込むのだ。

 一般の村人も妖物から被害を受ければ診療所へやっては来るだろう。けれど、被害は最小限に抑えたい。何より、妖物、有術、封印に関することすべて、一般人には隠し通さねばならない。

 それはなぜなのか。

 それは分からない。

 しかし、誰もそれを「おかしい」とは思わず、遺伝子に組み込まれた使命としてこなしていた。

「次に駆除人員の組み合わせについてです」と、課長代理の三宮桔梗。

 駆除は基本的に2人1組で行っている。葵のような妖物を消滅させる能力者「攻む」と、向日葵のような補助系の能力者「支ふ」で組むのが基本だ。しかし、業務激増のため、同じく親戚筋であり、有術が使える職員で構成される環境部自然環境課にも頼らざるを得なくなってきた。

 これまでは、その時に空いている職員が出動していた。今後は能力の相性、駆除のレベルを考慮して班を固定したいと考えているという。

「課長と私でもよく考えますが、各自でも誰と誰が組んだ方が、的確に駆除できるか提案していただけると助かります。それと、サポート要員の増員も考えています。とりあえず、ご家庭の事情や定年でお辞めになった『支ふ』の方、他の職業の方、それが難しい場合は未成年の子も致し方ないと」

 また課長によると、この現象についてはすでにお伝え様に調べてもらっているという。

「円形の森が揺らいでいるらしいんだ。どうやら、森に入れるようになったらしい。話によると、とんでもない妖物がうじゃうじゃいるということで、入らないほうがいいと忠告されたよ。これについて、何でもいい、ささいなことでもいいから、知っていることがあれば教えてほしいな」

 向日葵も葵も、「ささいなこと」を知っていた。

 一週間ほど前の、満開の桜の下での出来事。

 時期からするとあれがきっかけに違いない。まさか普段対処している妖物に影響するとは全く考えが及ばなかった。これは真に、早急に、悪神を消滅させないと大事になるかもしれない。葵と向日葵は事の重大さに焦りと危機感を感じていた。

 課長はさらに焦るような事を発表した。

「あ、休日出勤の増加も覚悟するように。事態が事態だからさ」

 部下たちは同じことを考えていた。

―早急に悪神を消滅させないと。

「振り替えられるかは要相談。つーか、おそらく振替無し。これは上が決めたことだからね。ボクじゃないから。しばらく休みないと思って」

―それは健康、精神衛生上よろしくない。

「それにさ、分かってると思うけど、治せるって言っても限界あるからね。ケガしないで。公務災害頻発したら困るからみんな鍛えといてね」

 どんよりとした溜息をつきながら、課員たちはそれぞれの仕事に戻ろうと立ち上がる。

「あ、そうだ!いいニュース!」と、課長が皆を引き留める。「うちの課にさ、一人配属してくれるらしいよ」

 桔梗がメガネをくいとかけ直した。

「誰ですか?」

「それはまだわからん。ま、とりあえず報告だけ」

 課長は誰よりも早く会議室を出ていった。


◇◇◇◇◇

 

 午前中の妖物駆除を終え、葵が席に戻ると、課内には向日葵だけだった。ちょうど、昼休憩が始まった時間。それぞれ、休憩スペースや会議室などで弁当を食べたりしているのだろう。彼女はお伝え様からの調査結果の資料や、誰かからの差し入れのお菓子を各机に配布していた。

「ありがとう」

 実は向日葵と葵、同い年である。しかし、向日葵の方が、こうした役目を押し付けられやすい。

 環境部の中で一番若く、さまざま雑務を任せられやすい立場にあるのは同じ。しかも彼女の方が早く入職しており、職場では葵の先輩にあたるというのにだ。

 これは課長が二宮の人間のため彼女に頼みやすいのもあるが、有術の能力も理由の一つだ。葵の有術による殺傷能力は課、ひいては一族のなかでも随一。最近は出動頻度が高く、あまり雑務はこなせない。それ以外にも、葵にあまり雑務を押し付けない理由が課長にはあるらしかった。

「いえいえ、ワタクシの仕事でございますから。アニマルを転がすしか能がないもんで」

 彼女のこの態度に、葵は一言いいたくなった。

 隣の自然環境課に視線を移すと、職員が数人いる。別の場所に向日葵を誘おうとしたとき、課長が飛び込んできた。

「あ、いいところにいた!葵君、ひまちゃん、駆除行ってくれないか?急ぎなんだ。場所は役場のすぐ裏だから」

「私、お昼ご」

「早く!ちょっと強いくらいだと思う!休憩はそれから!」

 お前が行けよ。

 向日葵は心の中で悪態をついたが、課長には不可能な話なのだ。

 二宮課長の有術は「感知」すること。妖物がどこに出現したか、どの程度の強さかわかる、というものだ。課内一の裏方能力者であり、ほぼ現場へ行かない。行っても役には立たない。

 現場のことは全く知らない人間、課長。現場を無視した発言が多く、部下からすると腹立たしいことこの上ないのだが、課長がいないと妖物の被害が防げないのだった。

 二人は作業服に着替え捕獲道具などを持ち、すぐに現場へ向かった。

 葵の「捕獲」道具は日本刀だが、あくまでも「対・野生動物」に見せるため、役場では猟銃用ケースに入れて持ち歩いている。余談だが、彼のほか、獲物を使う課員はこのカモフラージュのため狩猟免許を取得している。実際の野生動物対策業務に大いに役立っている。

 補助が主な役割で有術に獲物を使わない向日葵は、応急処置用具などを入れたリュックを背負った。

 そして二人は、妖物が出現したという役場の裏に急行した。

◇◇◇◇◇

 村役場の裏はアジア映画のロケ地になりそうな、立派な竹林だ。民族衣装風の鮮やか衣装に剣を持った主人公が、トラと闘う…そんな場面が自然に浮かんでくる。
 毎年春になると役場では、この竹林を会場に「タケノコ大発掘会」が開催される。職員たちが汗を流しながらタケノコを収穫し、家々でタケノコ料理を楽しんでいる。なかなか上物のタケノコが取れると、大人気の行事だ。
 課長が言うには、この竹林を抜ける手前あたりに妖物がいるという。奴らの出現範囲も、少しずつ人里に近くなってきているようだ。
 竹林に入ってすぐ、葵はメガネを外して日本刀を手にした。
 二人は早足で向かう。

「向日葵」
「なに?」
「さっき、自分は転ばせるしか能がないって言ってたけど、あんなこと言うもんじゃない」

 葵の言葉に、向日葵はムッとする。体術では向日葵が上だが、有術の才では雲泥の差なのだ。

「ホントの事じゃん」
「桜の木の妖物、駆除できたのは向日葵のおかげだ。俺一人じゃ、あの二人を守りながらなんて無理だ」

 向日葵は葵の顔を見ることなく、さらに早く歩く。

「有術って、どれが優れてるとか、これが劣ってるとかじゃない。使い方と相性だ。普段の仕事でも痛感してる」

 上からの物言いにしか聞こえない向日葵は、語調が強くなる。

「そんなことない。葵一人で倒せてたでしょ。桜ちゃんが治してくれるわけだし」
「ケガして治すの繰り返しだ。そのうち桜さんが疲れて終わりだよ。向日葵がいなきゃ無理だったんだよ。向日葵の有術が必要だったんだって」

 どんな能力であれ必要なのだが、向日葵と同じ能力「円転」を持つ人間は、昔から軽んじられる傾向があった。
 加えて、大人たちがその能力を「弱い」とか「役立たず」など言うからいけない。その刷り込みのせいか、彼女は自身の能力について、幼いころからコンプレックスを抱いている。それを親戚たちに見せないよう、そして能力をカバーするように体を鍛えて、「桜の保護」という役目を果たそうとする向日葵を、葵は常に近くで見てきた。
 彼女の努力と能力を一番理解し、認めているのは彼なのだった。
 葵は歴代の能力者たちの使い方がうまくなかった。それだけのことだと考えている。

「さっき桔梗さんに言っといたから。俺は向日葵と組んだ方が仕事しやすいって」
「え!?そんなこと言ったの!?」
「会議の後、ちらっと聞かれたからさ。だって本当のことだ」
「それってさ、喋りやすいだけでしょ。嫌いだけど兄貴との方が相性いいと思うよ」
「悪くはないけど、向日葵の方が…」

 突如、二人の目の前に黄色と黒のしまし模様の大きな物体が現れた。
 見慣れない形、見慣れない色に、二人は目を疑った。

「でかい猫…じゃないよね?」
「トラだろ…ぶっとい尻尾が5本あるけど」

 トラは光る目でじっと二人を見つめ、微動だにしない。
 かといって、こちらから動くこともできなかった。視線を外せば、おそらく即座に襲ってくる。膠着状態を続けるわけにもいかないが、先に動くと不利なのは明白だった。
 動物の形をしているとはいえ、その性質は動物とは異なる。
 例えば数年前に出現したあるクマ型の妖物は、亀のように動きがのろかった。もしかしたらこのトラも、恐ろしく足が遅くて、歯がスポンジのようで噛まれても痛くないかもしれない。
 ただ、最近の兆候を考えれば、それはほとんど期待できないと言っていい。
 もっと言うと、トラ型の妖物なぞ聞いたことも見たこともなかった。
 未知の動物型との遭遇。加えて妖物ら全体が強力化している。この状況を打開する方法をこれまでの経験から考えてみるも、いい案が思い浮かばない。
 葵が必死に考え抜いているところで、向日葵がはっきりと宣言した。

「私、つっこむわ」
「は?」
「私がフトコロに入り込んでひっくり返すから、隙狙って殺して」
「危険だ」
「なんだって最初は危険だよ」

 言い終える前に、向日葵はトラに向かって突っ込んでいった。トラの方も全速力で向日葵に向かっていく。
 一瞬で距離がぐっと縮まる。向日葵はいつでも手を返せるよう、右手に気を向けながら走る。
 葵は、彼女の勇気にいつも感服している。彼女の長所なのに、本人も周りもまったく気が付いていない。
 彼は、ここぞという時に踏みだせない自分が嫌いだった。今だって、何も思いつかなかったら自分はどうしただろうか。逃げるのか。
 状況は、向日葵の勇気が動かした。真の役立たずは自分の方だと、葵は痛感した。
 彼女が動かした状況を無駄にできない。葵は向日葵の動き出しから一瞬遅れて、トラの背後をとるべく動き出した。

「やっぱり向日葵がいないと…!」

 トラのスピードは予想以上だった。間合いぎりぎりを見定めて手を返せるのか、向日葵は心配になってきた。
 いつもそうだ。本当は怖くて不安で仕方がないのに、口が先に強がってしまう。
 しかし、言葉にした以上は有言実行。今回も、やると決めた以上は最後までやるのだ。
 ケガをしても治してもらえる。と全力で走り続ける。
 そろそろ間合いだというと時、トラが向日葵を狙って飛び上がった。とっさに手を前に出すも、向日葵はこのスピードに追い付けず「ヤバい」と思った。
 その瞬間、トラが向日葵の頭上直前でピタと止まった。というより、これ以上向日葵に近づけないと表す方が近い。
 チャンスを逃すまいと、向日葵は右手を返す。
 トラは頭からひっくり返り、地面に打ち付けられた。そこを葵の日本刀が突く。閃光とともに、トラはドロドロに溶けていった。

「な、わかっただろ、向日葵がいないと妖物は」

 葵は日本刀を鞘にちゃきん、と納める。
 向日葵はその場にぺたんと座り込んで、右手を眺めていた。

「…向日葵?」

 向日葵の右手に、橘平の姿が浮かんだ。
 葵は様子がおかしい彼女の肩に手を載せ、「おい、どうした」と呼び掛けた途中、彼女はふらりと倒れた。すんでで、葵が受け止める。

「おい、どうした、おい!」
「きっぺいくん…」
「はあ?きっぺい?」

 目の前には葵がいるというのに、今頃試験を受けている高校生の名を呼ぶ彼女。

「橘平くんだったんだ…」

 勇気の糸が切れてしまったようだ。彼女はそのまま、すうすうと寝息を立て始めた。
 葵は向日葵を抱き上げる。
 未知の出来事にたった一人で切り込んでいった彼女の寝顔を、尊敬の念を持って見つめた。
 しかし、あの少年の名をつぶやいて眠ってしまったのはなぜなのだろうか。

「…後で聞くか」

 
 眠った向日葵を横抱きで役場の医務室まで運んだ姿は、多くの女子職員に目撃された。
 イノシシごときで気絶すんじゃないわよ…。
 きっとわざとよ、幼馴染だからって…。
 金髪のくせに…。
 そんなささやきがあちこちから聞かれた。
 これにより、翌日から向日葵は一部の女子(業務内容を知る環境部は除く)から、源氏物語よろしく、嫌がらせを受ける羽目になった。
 無視、トイレの鏡占拠、机の上に空きペットボトルを置いていく、すれ違うたびに「弱いふりすんな」と言われる。
 向日葵はなぜ嫌がらせされるのか、全く心当たりがなかった。物理的な強さのおかげで、みみっちい嫌がらせは意にも介さない彼女だが、理由が分からないのは気持ち悪い。
 そこで彼女は昼休み、他部署の仲良しの同僚から事情を教えてもらった。

「覚えてないか。葵君にお姫様抱っこで医務室に運ばれたんだよ。あれを…」

 聞いた瞬間に、彼女は真っ青な顔になってそのまま同僚の目の前でぶっ倒れてしまった。

「ひま!?ちょ、ひまああああ!!」

 同僚は向日葵を思い切りゆするも、彼女は起きる気配がなかった。完全なる気絶だ。
 たまたま、彼女たちがいる休憩スペースの前を噂の君が通りかかった。

「おい、向日葵、どうしたんだ!?」
「…突然、倒れちゃって…」

 ぶっ倒れた金髪をまたお姫様抱っこで、葵は医務室へ運んでいった。
 これも、多数の女性職員に目撃されてしまった。
 同僚は、向日葵がさらなる源氏物語に巻き込まれる不幸を思い、気の毒になった。


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