【小説】神社の娘(第41話 桜、自分を腹黒いと思う)
さかのぼる事ひと月ほど前の話。
強力になり始めた妖物対策の一環として、野生動物対策課に一人、有術者が着任することになった。
ただ、何宮の何者が来るのかは、二宮課長も知らなかった。
「今日の午後から出勤なんだけどさ、誰かまで教えてもらえなかったんだよね~。使える子だと定時に帰れるなあ。伊吹君、しばらく面倒みてあげてね」
「分かりました。一体誰が来るんでしょうね。男子か女子か? 強いのか?」
「強くないとうち来ないと思うけどねえ」
◇◇◇◇◇
お昼休みが始まる少し前、その人物はやってきた。
「こんにちは」
課長と伊吹、サボりから帰って来た蓮の前に現れたのは、ぱつりと切りそろえられた艶やかなおかっぱ黒髪と、ふんわりとした薄灰色の瞳が印象的な一宮あさひだった。
「今日からお世話になります。一宮あさひです。」
性別不詳の不思議な姿を持つあさひは、見た目だけで言えば、男子でも女子でもなかった。
雪のような白い陶器肌。黄金比の紅い唇。ダークグレーのジャケットに同色のスキニースラックス、ノーネクタイの白Yシャツ、黒のオックスフォードシューズ。そして男性としては中程度、女性としては高い身長のあさひは、彼らに整った笑顔を向ける。
「おお、あさひ君! でも君は神社の人じゃないか」
「だからですよ。お伝え様の周りの妖物だけは、私たち神職が駆除していますから。即戦力になるだろうということです。これからよろしくお願いします」
役場で対処する妖物はあくまで村人の生活圏であり、お伝え様の周辺だけは、神職らが自前で駆除を行っている。そういう事情もあり、神社にも、有術のレベルが高い人材が集められていた。
あさひもその一人。課長を定時で帰らせてくれる、研修ほぼなしで即「使える」職員として最適だった。
席はここだ、作業服のサイズは、蓮君あとで役場内の案内を、などと伊吹が世話を焼いていると、葵と樹が駆除から帰って来た。
「あらあ!あさひちゃん!何、どしたの~」
「今日から増員される職員Aこと一宮あさひです。よろしくお願いします、樹ちゃん」
樹の後ろにいた葵は、あさひに気付いた瞬間に猟銃ケースを落としてしまった。
「ちょい、どしたのアオちゃん」
「アオイくん、また一緒だね。嬉しいな。よろしくね」
あさひはまっすぐに手を差し出すも、葵は無視し、ケースを拾ってさっさと席に着いた。
「冷たいなーアオイくん。一緒に都会のキャンパスで机を並べた仲じゃないか」
「監視だろバカ」
「口が悪いぞ。すぐケンカ腰なんだから。同じ学科だったんだ、仕方ないでしょ」
彼らは同じ大学出身で、あさひが一つ上の学年である。
広いはずのキャンパス内でしょっちゅう遭遇するし、遠くからでも見つければよく通る声で呼びかけてくるし、授業はよくかぶるし、図書室や自習室、学食で隣に座ってくるしで、葵はあさひに付きまとわれていた。逃げても逃げても、いつの間にかいた。
さらにアパートも一緒だった。いきなり部屋に突撃してきて食事を作り始めたり、葵の部屋に先輩たちを呼び込んで夜通しで賭けマージャンや花札を始めたり、いつの間にか合鍵を作って勝手に葵のベッドで寝ていたりと、心休まる暇がなかった。あさひと被らなかった4年次だけが、安心した日々を過ごせた。
昔から葵によくちょっかいを出していたあさひだが、学生時代は「ふざけんな、消えろ」と、葵が半年に一度静かに爆発していた。もともと、あさひが苦手だった葵は、大学生になってからは大嫌いになったのだ。
補足すると、ご飯の味はなかなか美味しく、もったいないので食べていた。これだけは、少しありがたかった。
さらに言うと、葵はアナログゲームはわりと好きで、ポーカーフェイスもある意味得意。対面ギャンブルの勝率が高かった。あさひの有り金を巻き上げることを目標に闘っていたという。
「君たちは大学も一緒だったな!仲良しだなあ!あさひ君、わからないことは僕だけじゃなく、葵君にも聞くといいよ」
「はい。ねえアオイくん、お昼ご飯ってどこで食べるの?」
「知るか」
あさひは主に剣術の稽古に参加する有術者だが、稽古中はそこまで話す時間もないし、葵は終わればさっさと帰るので、接触は最低限で済んでいた。
けれど、職場となると難しい。席が隣じゃなかっただけマシだと思うしかないが、同じ空間にいることも本来は避けたい。
こうなってしまっては無理な話だが。
救いは、彼が「攻む」であり、仕事で組む確率が低いことであった。
あくまでも「低い」だけ、である。
葵は駆除道具を片付けてすぐ逃げようとしたが、向日葵以上の腕力を持つ樹に脇から抱えられ、「も~お子様みたいなイジワルはめっ!あっちゃん、僕とアオイっちと一緒に食べよ」
「ありがとう樹ちゃん」
逃げられず、デスクで一緒にお昼ご飯を食べる羽目になった。
◇◇◇◇◇
ざっ、ざっ、ざっ。
休日の早朝、桜は境内を竹ぼうきで掃除する。特に春休み、夏休みなどの長期休暇になると毎日だ。ラジオ体操のようなものである。
拝殿前の参道を掃除しなが、桜は「大事なものや隠したいものって、どこに隠すかなあ」と考えていた。
蔵や物置、もしくは金庫、鍵付きの机、はたまた裏山に穴を掘って埋めるだろうか。日々、蔵を捜索中であるが、めぼしいものはいまだ見つからない。
ふと、神社なら大事なものこそ、神様の近くに隠すのではないか。そう思った。
例えば、本殿。
桜は、本殿の方に目を向ける。宮司の吉野しか立ち入ることができない聖域。隠し物が見つかる可能性は極めて低い。掃除の手を止め、じっとその方向を見つめる。
竹ぼうきの音が一つ増えた。
桜が音の方を振り返ると、いとこのあさひが浅黄色の袴姿で掃除をしていた。神秘的という言葉がぴったりな、まっすぐ質量のある黒髪、整った顔立ち、薄灰色の瞳を持つあさひ。まるで生きている日本人形だ。
「おはよう、桜」
あさひを見ていると、桜は菊の顔が浮かぶ。
菊を感じる。
二人は顔がよく似ていたからと思っていたが、最近、そうではないような気がしている。雰囲気、オーラ、説明できない何かがよく似ている。
「おはようございます。どうしたんですか、役場勤めになってから掃除はしなくてもと」
「やっぱり、掃除は心がすっきりするからね。久しぶりに一緒に掃こう」
二つのざっ、ざっ、という音が境内に響きわたる。参道を掃きながら、あさひは桜に話しかけた。
「駆除の見学会、どうだった?」
「妖物が危険な存在になっているとわかり、驚きました。私が以前見たものは、あんな恐ろしいものではありませんでした。あさひさんや皆さんのこと、尊敬します」
「尊敬?」
あさひは馬鹿らしいとでもいうように、腹の底から笑う。
「環境部だって、あんなヤツらを駆除できるようになったのは最近だ。短期間で無理矢理適応したんだよ。僕なんかこの間まで神職だったのに、手が足りないからいきなり妖怪ハンターやれって命令されたんだから。無茶ぶりもいいところだよねえ」
あさひはもともと、お伝え様の神職だ。役場の駆除班の手が足りないということで、吉野が神社から貸した人員である。
「無謀でしょ。それでもできたのだから、他の人だってすぐに大活躍だよ」
あはは、と声を上げながら、あさひは掃き掃除を続ける。無謀とは言うが、あさひも有術の才能ある人間の一人であり、妥当な人事だと言える。
あさひはぴたりと掃除の手を止めて、まっすぐ桜の目を見た。
「さっきさ、本殿、見てた?」
ゆっくりと口角があがり、目じりが下がる。風が吹き始め、髪がさらさらと揺れ続ける。
「興味あるの?興味持ったの?」
桜は息ができなかった。
大したことは聞かれていない。あさひも変わった質問はしていない。それなのに。
この年上のいとこは、たまに魔を目に宿す。
「べ…別に興味なんてありません。まあ、跡を継げば、いつかはあそこに入れるんだなあ~って思っただけです。だいぶ先の話ですけれど。おじいちゃんもお父さんもまだまだ元気ですから」
「今入りたい?」
ざり。
桜は見えない圧に耐えきれず、後退った。かかとが石畳をぎゅっとこすり、呼吸も乱れ始める。
ぷっ、とあさひが吹き出した。
「あはは、興味なんてあるわけないよねー。そういうようにできているんだから、僕たちは。変なこと聞いてごめんね」
笑いながら掃除を再開するあさひに、奇妙さが残った桜だった。
◇◇◇◇◇
あさひへの奇妙な感覚と恐怖を抱いたまま掃除を終え、桜が部屋に戻ると、机の上のスマホが振動した。
〈今日、補講来る?〉クラスメイトの朋子からのメッセージだ。
〈うん、行くよ〉
〈お昼、ファミレス行こ。他の友達も一緒だけどさ、桜のこと話したら話してみたい手って〉
朝から訳もなく怖い思いをした桜だったが、スマホを胸に抱き、思わずくるりと一回転していた。
あまりに嬉しく、朝食の席で「今日お昼ごはんいらない。と…クラスの人たちとお食事会があります!」と家族の前で大告白をしたほどだ。まだ橘平以外を「友達」と呼ぶのは気恥ずかしく、「クラスの人」と表現した。
クラスメイトと食事に行く。17年の人生の中で初めての出来事に心が躍る桜は、単純な伝達なのに心臓が口から飛び出そうだった。
「わかった。楽しんできてね」
母のかおりは柔らかな笑顔を娘に返した。幼少から友達のいる気配がなければ、友達を作る時間も隙も与えられなかった娘に、高校生らしい日常が生まれたことが嬉しかった。
そこに父の千里が水を差す。桜とそっくりの黒い瞳ながら、厳しさばかりが顕著な目つきで娘に問うた。
「クラスの人ってことは、みんな女子だよな?」
「当たり前じゃない。女子高なんだから」
「だったらいい。本当だな?」
「女子しかいないってば。担任も女の人なのに」
「そういや、お前が遊びに行ってる八神の、工作が得意なおじいさん。あそこの孫って女の子だったよな。モモだかリンゴだかそんな名前の」
千里は桜の会う相手が、女子かどうかを異常に気にしている。かおりは消化不良のような気持ち悪さを感じた。
「え…ああ…うん、そう。ちょっとご挨拶だけはした。でもお話はしてなくて、お名前はしっかり覚えてないけど」
モモだかリンゴだかという孫は、寛平の長男の子供たちのことだ。桜は、今、橘平兄弟の名前をぽろっと言わなかった自分を「エライ」と思った。同年代男子と会った、遊んだなんて言ってしまったら、八神家への出入りが禁止されてしまう。
それよりも心配なのは、八神家に迷惑をかけるかもしれないこと。具体的な事はわからないけれど、一宮家は八神家へなんらかの「注意喚起」をするだろう。
「ならいい。そうそう、今年の祭り、桜がお神楽担当だからな。今日から稽古だ。お昼ご飯食べてきていいけど、16時には戻れよ」
一回転する喜びから、くるくる何回転もして地獄へ突き落されてしまった。
今週は「野宿」がある。稽古で参加できなくなったらと考えるだけで、桜は涙が出てきそうだった。
野宿だけは絶対勝ち取りたい。
桜にとって、4人でのまもりの痕跡探しよりも遊びの方が大事になっていた。
◇◇◇◇◇
土日に高校生以上の一般有術者たちを参加させることが決まった。
環境部全体の会議で、その旨が報告された。現場責任者として、最低でも部の誰か1人は出勤するけれど、あくまで監督者。駆除は一般有術者たちに任せるということだ。現場での職員の負担は多少減るはずだという。
蓮が手を挙げる。
「振替休日と有休は」
「要・相・談」
ぴしっと鞭打つように、環境部の一宮藤ノ介部長が独特の抑揚を付けた喋りで答えた。
「私たちだって取りにくいのが現状なんだよ、蓮。この事態を早く収束して、穏やかに暮らしたい。その気持ちは誰もが一緒だよ」
「そうそう、そうだよ蓮君!」
休日出勤絶対拒否の二宮課長が蓮を指さし、激しく同意する。蓮は課長のことは無視し、一宮部長と顔を合わせ続けた。
「お伝え様のほうでも原因調査に難儀しているんだ。私たちができることは、妖物を駆除し、村を守ること。一生続くわけではないだろうし、今のこの時期をなんとか助け合って乗り切ろう」
正直な話、部長や課長らも含め、全員が今まで以上の仕事量をこなしている。上と掛け合って、こっそり役場の仕事を少しずつ減らしてはいるものの、命の危険がある任務に強いストレスが溜まっていた。部長らに訴えても仕方がないということは誰もが頭では理解しているつもりだが、心身の疲れはごまかせない。
二宮課長も、彼らのストレスを発散させる方法はないかとずっと考えている。
有能な仕事脳を駆使して考え上げた策を、会議の席でぽろっと披露した。
「フジさん、桜まつりの時さ、環境部で宴会やんない?」
「いきなりなんだね、キミくん」
「みんなで酒飲んで騒げばさ、疲れとれるでしょ」
もっと疲れるじゃないか。
部下たちは心の中で、一斉に奇声をあげた。酒を飲めばパワハラセクハラの二宮公英、重箱の隅をつつくような説教で相手を陥れる一宮藤ノ介、誰も彼らと飲みたくはない。ちなみに、伊吹はこの件に関してあまり深く考えていないので除外する。
こんな時、実際に声を上げられるのは、二宮課長大嫌い三宮桔梗。みな彼女に熱く期待していた。
桔梗がスタッキングチェアから立ち上がる。部下たちの視線が桔梗に集まった。
「酒代、お二人持ちですか?」
誰も予想していなかった質問が飛び出た。桔梗はここからどう反論するのか、みなで見守る。
「ああ、いいよいいよ。ね、キミくん」
「OK~」
「そう、ですか……」
桔梗は机の上のスマホを操作し、二人の方にわざわざ近づいて行って、画面を見せた。
「●●と▼▼と◇◇と◎◎、△△……を買っていただけます?」
画面に映っていたのは、誰もが知るような有名な高級酒だった。このあたりの店ではまず売っておらず、都会にでるかネットで買うしかない。
「こんな高いのばっかり何ー? 買えない買えない! スーパーかコンビニで買えるのにしてよ~」
桔梗は机を拳で殴った。がん、という重苦しい音が会議室に響く。拳を外すとうっすらとへこんでいた。
「部下への福利厚生がなってませんね。宴会はなしです。みんな、会議終わりよ、解散!」
これで宴会は流れるだろう。みなほっとし、帰り支度を始めた。
ところが、「いいよ、全部買ってあげる。これでみんなが元気になるなら、ね…!」一宮部長がそう言い出した。
「みんな、桜まつり楽しみね!」
態度を一変させ、桔梗がみなに無邪気な喜びを向ける。彼女が狙っていたのは、宴会の中止ではない。これであった。
「ははは! お酒大好きだなあ、桔梗さん!」
陽気に笑う伊吹は、他の部下たちからは宇宙人に見えた。
「ぶっ潰してあげるわ、伊吹」
みな部長と課長に集中して忘れていたが、桔梗も酒を飲めばパワハラ気質。彼らと似ているのだ。
影がほぼない自然環境課の三宮課長は、この状況に流されるしかなかった。
「僕、そんなにお酒強くないから遠慮するよ! 葵くんでも相手にするといい」
名前を挙げられた葵は、伊吹を呪った。伊吹の発言に全く深い意味はなく、単純に自分より酒に強い人間を挙げただけであった。
◇◇◇◇◇
退勤も迫る夕暮れ、来週以降の1か月分の休日出勤のシフトが配られた。どこをみても感知器課長の名はなく、感知係は課長の父と娘で埋まっていた。
「あ、桜まつりの土日!出勤回避~」
「何、ひまちゃん、そんなに桜まつり好きだっけ?」
隣席の蓮が、その喜びように疑問を抱く。変に喜び過ぎたかなと、向日葵は焦って言い訳をした。
「と、友達とこの日に約束しててえ、休日出勤あるかも~って話だったからさっ。これで遊べる~って」
「俺もその日ないわ」葵が呟く。
「あっそ、君のスケジュールなんてどうでもいい働け」蓮がとげを刺す。
向日葵が「これで一宮家大捜索作戦すすむな~葵にタケノコのバター醤油焼きでも作ってあげよかな~」と心の中でウキウキしていた矢先のことだった。
「でもね、アオイくん」
葵が振り返ると、作業服姿のあさひが彼の後ろに立っていた。毛穴も産毛もないようなつるりとした肌が眩しい。
「あとで連絡がくると思うけど、桜まつりの土日は私と神社でご奉仕だよ。だからその日はわざと外されているんだ、私と君は」
「え、そんなこと今まで一度も」
あさひは葵のメガネに手をかけ、すっとはずす。あさひに見つめられ、葵は目の奥がぴりぴりする。
「わからないことは先輩の私に聞いて。そんなに難しいことはない。ただの裏方だよ。アルバイト感覚で大丈夫だから」メガネを葵の顔に戻した。
にやけ顔の蓮が葵をバカにする。
「結局君も連勤か。大変だね。ゴミ清掃だったら、君にごみを渡しに行ってあげるよ」
一宮家の捜索ができるのか危うくなってきた。
向日葵は桜に連絡するためにスマホを手にすると、その桜から連絡が入っていた。
〈なんとかして野宿に行きたいよー!〉
〈え?どゆこと?〉
◇◇◇◇
桜は向日葵と並行して、橘平ともメッセージのやり取りをしていた。
〈橘平さん、どうしよう〉
〈どうしたの?〉
〈お祭りの日、私もお手伝いなの。あとね、その稽古があってね、野宿行けるかどうかわかんないのどうしよう泣きたい〉
〈泣かないで!稽古って?〉
〈電話していい?〉
〈OK〉
桜は桜まつりでお神楽担当になってしまってその稽古が毎日あること、ついでに葵もなぜか祭りの手伝いをすることになり、一宮家でまもりの物を探すことができなくなったことを話した。
「ほんと、どうすればいいかなあ」
桜は涙声で橘平に相談する。解決方法が浮かばない橘平は『ごめん、俺にはいい考えが浮かばないけど』ひとこと断って続けた。
『絶対野宿に参加したい、って気持ちを伝えるしかないかな』
◇◇◇◇◇
その助言通り、桜は夕食後、
「朋子ちゃんたちとお泊り会の約束したの!絶対行きたい!」
と、必死に父に頼み込んだ。
よくよく考えれば「向日葵の家でお泊り」は、すぐバレてしまう危険性があった。街に住むクラスメイトの家ならば、そのリスクは低いと踏んだ。
「お、お泊まり会?」
娘の口から初めて聞くワードに、千里は動揺した。
「そう、この子たちと」
桜はファミレスで撮った食事会の写真を父に見せた。パスタやハンバーグなどがテーブルに並び、4人の女子がそれぞれポーズをとって写っている。
かおりと椿もその写真を覗きこむ。
「楽しそうね」
「ともだち?」
「……う、うん、と、友達」
「知らない人の家に泊まるのは」
「『女の子』のお友達だからいいじゃない。女の子ならいいんでしょう?」
かおりのその言葉に、千里は意外さを感じた。彼女が千里の言葉に反論することは、ほとんどないからだ。
「かおり、知らない人の家だぞ」
「知らない人じゃなくて桜のお友達。女の子ならいいって言ったの千里さんよ。いままで同年代の子と遊んだことないんだし、いいじゃない」
常におどおどしていた妻が、今日は一歩も譲らない顔をしていた。初めての表情に千里は戸惑う。
「お父さん、お願い。その分、稽古はみっちりきっちり厳しくやります!高校生活も残り少ないので、どうか」
桜はリビングの床で土下座した。
「おい、土下座まで」
「ここまで楽しみにしてるんだから」
娘と妻に挟まれ、千里はしぶしぶ、許可を出した。
桜の頭の中は、野宿会でいっぱい。一宮家の捜索はまた考え直すことにし、念のため桜は、朋子に裏工作をお願いした。
自分を腹黒く、意外にも図太い女だと思った桜だった。
友達とのお泊り会を許された桜は、女子高生らしい素直な笑顔だった。
菊がなくなってからはいつもつまらなそうで、生気がなかった娘。かおりはふと、自分は母親として、桜のために何をしてきただろうか、という思いが浮かんできた。そもそも、桜の笑顔を見たことがあっただろうか。そんな疑問も沸き上がった。
そして、今になって猛烈に気になってきてしまったことがあった。
吉野と千里の桜への態度だ。
わざわざ小学校から遠くの女子校に通わせ、異常なまでに男子との接触を嫌う。では菊が女の子と遊ぶのを禁じていたかというと、そんなことはない。菊は共学の小学校に通っていた。頭の出来が違いすぎて友人がいないタイプだが、学校では周りに合わせて楽しんでいたようだった。
特殊な村であることは承知で嫁ぎ、嫁がされた。少しでも疑問を持つことがあっても、かおりは口には出さず「この家はそういうものだ」と流していた。人と争いたくないという性格もあるけれど、世間体を守る意味でも夫とのトラブルを極力起こしたくなかったのだ。
それでも、かおりは吐き出さずにはいられなかった。千里の暗い顔がちらついても、この疑問をぶつけなければならないと思った。
かおりらの寝室は12畳ほどの和室だ。椿を真ん中に3人で川の字で寝ている。
娘が寝入り、その隣で、メガネを外して眠りつこうとしている千里に、かおりは思い切って声をかけた。
「千里さん、ちょっと聞きたいことが」
「なんだ?」
眠いのに邪魔するなとでもいうような返事だ。
菊が亡くなってから始まった、厳しい目つき、かおりへの雑な態度。椿が男でないと分かった時の、不満そうな表情もしっかりと覚えている。
千里の態度が変化してから、かおりはより、彼が不機嫌になりそうな話題や発言は避けるようになった。これから彼女が尋ねることだって、気に入らないだろう。
「どうして……その、どうして、嫁入り前の一宮の女の子は男の子と会っちゃいけないの?」
「は?なんでそんなことが知りたいんだ?」
メガネをかけていない、真っ黒な千里の瞳がかおりの両目を射抜く。目の奥がぴりっとし、かおりは怯んだ。けれど、どうしても引く訳にはいかなかった。納得のいく答えが欲しかった。
「い、いやその……さ、桜のお友達のこと、いろいろ気にしてるの、が、た、単純に疑問で」
実は千里、妻を相手にほんの少しだけ有術を使用した。今の話題について興味を失うように、心のその部分を「破滅」させようとした。意外にも彼女は踏ん張り、術を受け入れなかった。
「……跡継ぎが女だとロクなことが起こらないからだ」
低い声でそれだけ言うと、千里は布団にもぐっていった。
かおりはその回答に納得がいかなかったが、今日はこれ以上何も聞けそうにかった。
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