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「歌唱」リハビリと想い出

 言語聴覚士はリハビリプログラムに「歌唱」を用いることがあります。その目的は様々かと思うのですが、以前私は人生の最終段階と言われた方とも「歌唱」をする時間を共に過ごしました。その時間を想い、振り返ります。

言語聴覚士が用いる「歌唱」の目的

 リハビリプログラムの一つに「歌唱」を用いる言語聴覚士は多いのではないでしょうか?私も良く用います。今日も患者さんと一緒に歌いました。

 呼吸や発声機能が低下した方の機能改善に、失語症の方の発語の促進にというように、何のために「歌唱」を用いるかその目的は、患者さんの状態によって異なります。 

 ある患者さんにはストレス発散を目的に(構音の改善という目的も兼ねておりますが)、なんていうことも。カラオケが大好きな方。病院生活にストレスが溜まっているとのことで、それならば歌いましょう、言語療法室は個室なので思う存分声が出せますよと、You Tubeを見ながらカラオケボックスさながら、盛り上がったこともありました。患者さんは「スカッとするわ~」と笑顔。歌えるから、という理由でリハビリに来ることを楽しみにしていただけました。

 歌うことが好きなこの方にとって、精神的な安定を図るという意味でも「歌唱」は有効であったのではないかと思っています。

人生の最終段階にある患者さんと「歌唱」を

 私は、人生の最終段階と言われた患者さんに対しても「歌唱」を用いたことがありました。

 その方は80代の、進行性の神経疾患を抱えた方でした。自宅で奥様と二人で生活されていました。誤嚥性肺炎で入院、介入させていただいた時にはゼリー形態のものが何とか口から食べられる程度でした。

 それでも簡単なコミュニケーションは図れ、問いかけに対し返答も聞かれました。とてもユーモアのある方でした。

 日によっては眠っておられる時間が長くお話ができないこともありましたが、調子の良さそうな時に色々なお話しを伺いました。

 その方は高校の教諭をされていました。ご専門は化学だったそうで、実験が好きだったことなど、たくさん言葉は出ないのですがお話し下さいました。生徒さんのことも。当時の姿が目に浮かぶようでした。

 ある日、いつものように教員時代のお話しをしながら『仰げば尊し』という曲をご存知ですか?とお聞きしてみました。唐突な質問だったかもしれませんが、知っていますよというお返事がありました。卒業式では必ず歌いましたとのこと。私が出だしを少し歌いかけると、その方も続いて歌われました。途中で声が出なくなり口だけが動いていました。それでも最後まで一緒に歌うことができました。

 奥様が来られた時は、奥様も交えて3人で歌いました。懐かしいねと奥様はおっしゃっていました。ご本人は、歌いながら時々寝てしまわれることもあり、そんな時は奥様と苦笑い。

 こんな時間を10日間ほどですが、この方と過ごしました。奥様はご主人の最期を家で看るということに対し、当初は様々な状況の中積極的ではありませんでした。しかし、面会の度にご主人の気持ちをお聞きになって、家に連れて帰りますと決心されました。

 最後のリハビリでも、奥様も交え3人で『仰げば尊し』を歌いました。ご本人は、途中で眠っておられました。

 後日、担当のケアマネージャーさんからこの方の家で過ごされた2週間ほどのご様子を伺う機会がありました。奥様が絞った果物のジュースや大好きな日本酒も、とろみを付けて最期まで口から味わうことができたとのことでした。病院で歌っていたと言いながら、『仰げば尊し』も歌っておられたよと、教えて下さいました。

 奥様は、寂しさはあるけれど最期は家で看れてよかったと、ご主人を亡くされた現実を受け止めておられたようでした。

「歌唱」で人生を振り返る

 誰にも、この曲を聴いたらあの頃を想い出すという経験があるでしょう。人生の最終段階を迎えようとしている患者さん、高校の教諭として教壇に立ち多くの生徒から信頼された方。その素晴らしい人生をこの方と奥様が「歌唱」を通じて振り返る時間を共に過ごすことができ、温かい気持ちになりました。ご主人が旅立たれた後の奥様のご様子をお聞きし、人生の最終段階の方に関わり続けることの大切さを感じました。

 これ以来『仰げば尊し』は、私にとって想い出の曲となりました。誰かと歌うたびに、この方のことを想い出します。もうすぐ卒業シーズンがやってきます。季節の1曲として、またどなたか患者さんと一緒に歌いましょうかね。

あおげば 尊し わが師の恩
教えの庭にも はや幾年
思えば いと疾し この年月
今こそ 別れめ いざさらば

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