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2/12「死の救済」

存在価値の否定が傷となることはよくあるが、妙なことに少し嬉しい自分もいる。なぜなら、それだけ否定できるほど私を見てくれていたのだからだ。別にマゾヒストでは無いと思っている。裏を返せば、それだけ人と接したい気持ちがあると言うことなのかもしれない。
しかし、自分に矢印が向いていない物事ほど滑稽でつまらないものは無い。どんなものも例外は無い。
話の輪に入れない雑談はつまらないし、ルールの知らないボードゲームは遊べない。

やはり最期は私のことを想ってくれるだろう人と過ごしたい。(あわよくばその手で殺してくれ。)
もし、終わりの日があるのなら、誰かと共に限りなく普段の自堕落生活と同じように過ごしたい。
終わりが見えていることが救いにも恐怖にもある状況で、何一つ顔色を変えずただ漠然と過ごす時間は、どんな時間の使い方よりも贅沢かもしれない。

変なことを思い出して少し悲しい気持ちになった。いつも以上にブルーである。最近はずっと落ち込んでいるかもしれない。

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