へなちょこな故障体験記③初めての鍼治療
思い立ったが吉日を強行し過ぎてクッション膝になっていた右膝は違和感を感じてから直ぐに電気治療を2回施術して貰ったので、ほぼ症状は消えたと思える状況になっていた。
その回復があまりにスムーズだったので、春先に転んでおかしくしたまま放置していた左膝が気になり始めて、続いての治療をする為に、蟹ヶ谷スポーツ接骨院に3回目の突入をした年末です。
お掃除を始めると次々と気になる場所が見えてくるのにも似ているなと思いながら。
今回初めて 岩松もじゃ院長先生 にお会いできた。
初対面ではあったけど、私は先生のゆるドリルを何回も再生していたから勝手に"かかりつけの先生"の気持ちでご挨拶。
でも、大人なので「はじめまして」から、きちんとスタート。
これはインターネット以前の世界を少しでも自分の体験としてある方にはお分かり頂けると思うのですけど、普通に初めて説明を受ける時より、断然、決断が早くなるんですよね。何の決断かというと鍼治療を受けるか否かのお話なのですが。
岩松もじゃ先生と"実際に"お会いするのは初めてだけれど、しかも、微妙に鍼に対して怖さも感じていたのだけれど、きっと身体に良い気がすると思えたのはTwitterや動画で、先生がされる丁寧な身体へのアプローチを拝見して、そして、自分なりに少し体験していたから。
だから自分の身体を前にしても同じように判断されていると信じられたので、二つ返事で治療をお願いしていました。
電気治療をかけてもらってから、鍼治療開始。
針を刺す時、刺した場所にズーンという感覚があると説明を受けた。"ズーンという感覚"の想像が出来なかったので、生返事をかえすと「足先から始めるので、少し(刺激が)強いですよ」と更に続いて微妙に怖気付いてしまう。
それでも今更逃げる訳にも行かず、ままよと診察台に横たわっていた。
実際、足先の第一本目は少し高い音がしそうな程の"響き(鍼を刺した時の感触のこと)"があった。ズーンではないのは確かだけど、なんと言っていいのか。多少の痛みのような感触があるとはいっても、でも痛いとも言い切れない。
この辺りのことを検索していると、重怠いとか疼くとか鈍痛と書いてある事が多い。鍼治療後、読み直すとたしかにそうかもと思えるのだけど鍼治療前には正直、どんな感じがするのか今ひとつ私は分からなかったので、何か他に言えないかと考えてみた。
指で押す時でも"弱っている場所/強張っている場所"は押すと痛い。私は小さな頃からメガネユーザーなので足裏の目の反射区などは自分で軽く押す程度でも痛みを感じるのを知っている。
ただ鍼の場合は、押し続けて解すのではなく、刺すのだから「指先の刺激よりは強くて、そして持続時間は短い。」
自分の指で揉み解す時は、解している間痛いとつい続けられないと止めてしまいがちなのを思うと、必ず仕留めてくれる上に、少しの時間で痛みが終わる鍼治療の方が優しい気がした。
( 小さな注意 / 鍼治療は、この響きがない方法もあるらしいので、ズーンが気になる方は始めに確認されるといいかもしれません。私はこの響いた感じがないと嫌だと思うぐらいになりましたが、お好みはあると思います)
鍼の場合は最初、その場所に当たったと判るように響いて、少しずつ弱くなっていって、その後感触としては何もなくなっていく。院長先生はそれを除夜の鐘の音が薄れていくのに例えていらした。
続いての二本、三本はあるかないかの感触。そして、四本目(膝上)にまた大きくズーンと響いてきた。それ以降は、よく覚えていない。針の刺激の印象が点から面に変わってきたのかもしれない。
脾胃と胃の経絡
今回、左膝の動かし辛さの改善のために鍼治療をお願いしたところ脾経と胃経という二つの経絡上に先生は鍼を置いて下さった。
この二つの経絡はセットになっているものだそうで、陰と陽、表と裏、必ずセットになって聞こえてくる東洋医学らしいなと思いながらお話を聞いていた。
元々胃弱気味だったから、その意味からも鍼治療の効果について期待したくなっていた。
脾経と胃経を検索してみると、脾虚という状態が出てきて、その説明から今回の故障の原因が見えた気がしていた。というか、院長先生のお見立てを探していたら、その言葉に出会ったというべきかも。
私は痩せていないのだけど、この脾虚の状況に重なる所はいくつも見られる。占い的に考えるつもりはなく、自分で身体の調整をしようと本を読んでいる内に身体によく起きる出来事を覚えてきてポイントが少しわかるようになってきたのかもしれない。
舌を鏡に映してみると白い苔のようなものがついていたり、歯に接する面がギザギザになっているのに気付く時がある。これは"水滞(すいたい)"という状態。
水分の排出がうまくいかず浮腫んでいる時にも見られる症状だそう。
脾虚という言葉を聞くと思い出す言葉。答え合わせをするように鏡の前に行って久しぶりに確認してみた。舌の側面に歯形が付いている。
サウナに入った時に足の浮腫みもかなり意識したから、確かにそうだとまたも思う。
時間がない中で急に頑張り過ぎて、運動に見合う量のストレッチを確保しなかった事で筋肉に無理をさせたという部分だけではなくて、現代的な意味での栄養不足(カロリーは足りていても必要な栄養素が摂れていない状況のこと)になっていたのも原因だったのかと思わせられた。
池上正治さんの「気」で観る人体」 に胃経と脾経についての説明がある。
気で観る人体の著者池上さんは治療家ではなく、翻訳家。翻訳作業を長年なさる中で、説明のし難い"気"や経絡について書こうと本の執筆をなさった方。
中医学について書かれた多くの本は興味を持ち始めた一番最初に一人で読み進めるには少し難しく、言葉の説明を辞書引きしている内に、なんとなく分かった気になって本を閉じてしまう事が多い気がしていた。
だから自然と薬膳の本、身体の症状別に辞書的に読める本を選んでいくことになって、そうすると独学では全体の繋がりがどうしても見え辛くなっていく。
でも、こちらは古典との繋がりも含めて分かりやすく、後から自学する時のヒントも散りばめながら説明して貰えて、沢山の本を訳してこられた著者ならではの言葉も随所に見られる。
成り立ちのようなお話や出展から、実際的なお話へとなだらかに中医学を教えて下さる。
例えば、合谷というツボについての説明はこのようなものだった。
この間、身体に響いた感触を思い出しながら読み進む。
岩松先生に刺して貰った鍼から、足先までピンと刺激が走った事を思い出している。これこそがまさに経絡だったということ。
いい試合を観た後に、スポーツ新聞で確かめる時のようにして、整骨院での出来事を思い出しつつツボや経絡を学んでいる気がした。
「はじめに」の中で整骨院で施術されているものの中心にある中医学というのは『気の医学』であるとも書かれている。
私は母の影響で、小さな頃から足揉み(反射区)やお腹のマッサージ(導引)を子供ながらに経験したから触ることも見ることも出来ない"気"というものの存在を、それと明確には理解せずに意識してきたように思っている。
「気」で観る人体 の紹介を少しして、分かりやすいと書いたけれど、読まれた方はこの引用文だけではわかりにくいとなるはずだと知っていて敢えて選んだというのもある。
それも、中医学なんて知らなくても、みんなどこかで一度くらいは聞いた事のある"合谷"という、説明をあまり必要としないツボの箇所を使って。
よく知っているツボの説明でも、これだけでは難しいと思われるかもしれない。でも、このページだけで理解しようとすると難しいだけで、本の中を行きつ戻りつしていると、朧げながら見えてくる気がしている。
専門家を目指そうとしていない状況で、かつ、身体に特に病気の症状を自覚しない段階で、掴めていけるような書き方をされている本はあまりないと思う。少なくとも私はこの本以外に知らない。
子供の頃から身近に体験してきたものと、本の中で知った"気"が院長先生のご説明と重なりをもって迫ってくるような気がしていた。
岩松もじゃ先生は、元々西洋医学の方から入って鍼灸師になられたそうなので、西洋東洋両面の考え方から、患者の身体の声を読み取って施術をなさっているというお話だった。
野球経験者で指導もなさっていて、筋肉の仕組みも動かし方もお分かりになる上に中医学も組み合わさるから、身体の動かし方に問題を思う今、選手でなくても診て頂きたくなるのも自然の流れだった。
鍼を打った後の身体の変化
施術を全て終えてバス停まで歩いて行く内、最初は向こう脛に意識がいくような感じがした。意識がいくというのは、軽い打撲後のような、少し重怠い感触のようなものがある状況。
診察台から降りた時も、お会計をしている時も特に体が熱くなるとか痛みを感じることも何もなかったので、最初の変化があったとき多少驚いていた。
「電気治療の最初」の方がずっと普段との違いを感じていたので"響き"を感じて以降、特に何も感じない鍼治療というのはそういうものかと簡単に思い始めていた。でも、鍼治療の身体の変化は電気治療よりダイナミックなものだと後から知ることになる。
武蔵小杉の駅に着いたのでバスから降りて、始めて自分が軽くボンヤリしている状態にあるのを自覚していた。
ミストサウナに入った時に似ている感覚だけど、身体のどの部位にも気だるさはない。お酒を飲んだ時にも雰囲気は似ている。でも、体温が上昇するというのも今のところはない。
(2回目の鍼治療の後は、鍼治療終了後すぐに気怠さ全開でした。刺す場所や体調その他によっても違うのかもしれません。でも共通しているのは酩酊している感覚。)
面白いなぁと思うのは、鍼を刺していない「右手の合谷のあたり」にもピリピリしたものを感じていたということ。鍼を打っていない場所にも反応があるというのは反射する場合があるという事かもしれないと思った。
やっぱり、右手の人差し指付近に強い感覚がある。なんだろう。
今、この身体に流れている感覚は強くて、これが何かをもじゃ先生に教えてもらいたくなっている。相当強い感覚。この文章を書いている今も電気が通っているような感じがする。響きに近いビリビリした感覚がいきなり現れて消えて、また、出てきている。
経絡の図から見た流れだけで考えると合谷付近は今回と関係がないはずだけど、気功の最初と最後の手合わせから想像するとあまり不思議ではないかもしれない。
ミストサウナの場合と違うのは、息苦しさがないのと身体の温まりがそこまでないところ。この後に変化はあるかもしれないけど、とにかく第一回目なので何がなんだか分かっていない。
ただ、最初に書いた「頭のぼんやりした感覚」はもっとずっと強力で、お酒を飲んだ時にも近い。お酒に近いんだけど、健真球(サウンドボール)特有の響きを聞いた時の方がより近い気もする。誤解を恐れずに書くと、脳に直接触れて撫でられているような感覚がある。
帰り際、先生から今夜はよく眠れるはずと言われて暫くは確かにそう思えたけど、自宅に帰って部屋を見回すと、不思議に冴え冴えとした感覚を持った。
鍼を打った場所でも胃経の位置がよく響いていたから驚かないけれど、頭の方にまでしっかり反応がきているようだった。これが院長先生が言われていた頭の方に上がってくるという状況のなのかな。
違う言い方をすると相当、副交感神経が優位になっているという事かもしれない。
サウナの後のあの暗闇の例えに似て、また思い出す場面がある。
これは夜中、目が覚めた時のものにとても似ている。ぼんやりした身体と少し幽体離脱しているような意識があって、やけにクリアに光がぎらついて見えるような、あの時に似ていた。
それから手がいつもより温かくなっていた。
寝入りそうになる前、普段ならこの時期はお布団に入ってすぐは、身体の熱が奪われて少し冷たいと思うこともあるぐらいなのに。
その上、寝返りを打った時も足全体の感覚が違っていた。サウナ後のお腹が異様に空いた時と同じに、鍼治療の後の身体の軽さは今の年齢を忘れさせる。
院長先生の説明から、血流が良くなってとか、筋肉の強張りが解れてとか様々改善された事を伺った中で、最初に自覚出来たのは「膝を屈むのが苦にならない」という点だけだった。
といっても、その一点の為に出かけて、半年続いて解決しそうにないと思っていた問題が施術の後に消えていたのだから、私には大きな出来事ではあった。
そんな風に軽く書いてしまうのには理由がある。それより更に驚いたのは夜中、寝返りを打った時に腰から下だけ軽く走り出したくなるような、寝返りで済まない軽さを感じていたからだった。
健康というのはある面では、気分の軽やかさとか調子の良さがあって、小さな頃の自分に少し戻れるような事をいうのかもしれないと思った。
そんな漠然とした何か、膝の不調の時もそうだったけど改善してしまえば、特に何か意識をしないような状況になるのが、こうした整骨院での治療というものなのかとも思った。
ずっと悩まされてきた"腰の強張り"に鍼を打ってもらったら、どうなるのかが気になってきた。
年齢的にも、生活環境的にも全く症状が無くなるというのは難しいだろうけど、左膝のこの軽やかさを思うと試してみたくなる。
もじゃ先生のこの指ストレッチを気に入って、ある選手が日本シリーズのマウンド上でもなさっていたと教わった。もしかしたら、指先のストレッチだけではなく、無意識の内にリラックスまで出来る動作だったということかもしれない。
翌朝、頭の奥の疲労が取れるような睡眠が出来た気がした。この感覚も子供時代に遡る。
昔、祖父母のお家に泊まりに行った時、よくこういう感覚があった気がする。
本当の熟睡ができたということかもしれない。
岩松もじゃ先生に、Twitterを見てこんなストレッチをしました!こんな風に教わりたいと思いました!と色々お話したいと思ってきたはずなのに、また、身体の方が、私より先に岩松先生と対話を始めてしまった気がしている。
電気治療も鍼治療も膝を治してくれた。
でも鍼治療はその上に、ずっと密かに求めていた、頭の芯が落ち着くような"深い睡眠"まで導いてくれました。
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