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動物愛護

度々問題になっている保護動物の頭数管理と虐待。

ある人はその家に引き取られたのならそれがその子たちの運命なのだという。

ペットは生物にもかかわらず現在は「モノ」扱いされているのが現実だ。補助犬を除き、ペットは「持ち込み」不可なのだ。電車に乗る時は手荷物として切符を買わなければならない。

その制度に違和感は覚えるものの、現行法律がそう変わることはないだろう。人間以外の動物は遍く「モノ」なのだ。

行き過ぎた保護活動もまた、ある意味モノ扱いと変わらない。ゴミ屋敷がいい例だろう。許容範囲を超えて可哀想だからと保護して、挙句金銭的に首が回らなくなり、餓死、不衛生な環境下での生活、スペースのないひしめき合った家の中での飼育。例を挙げれば枚挙に遑がない。

では、きちんと保護されて譲渡契約を行った場合は?

トライアル期間を設けたり、貰われていく動物の環境を逐一チェックし、飼い主にふさわしいかジャッジするやり方も行き過ぎた行為としか思えない。

保護した動物が幸せに暮らせるか心配になるのは分からなくない。でも虐待目的で引き取る人間は少数で、殆どが心ある人なのではと思う。
勿論、少数ならそんなに多頭崩壊する様な事にも保護しなければならない状況にもならないのだろうが。
そこで本当に幸せになれるか決めるのはペットの方だ。

人間でも養子縁組を行い、家族として暮らす子供もいる。彼ら彼女らが本当の家族になるまで時間を要するように、ペットもそこに馴染むまで時間がかかる場合もある。

地域猫は格安で避妊手術を受け、耳を少し切られる。所謂、サクラ猫と呼ばれる野良猫たち。

動物愛護の名のもとに行われる保護活動。
バランスが取れていないように思えてしまう。

「なら、お前が実態を調べ、相応な保護活動ができるのか?」そう思われる読者もいると思う。
ただ、私はどんな環境だろうと、幸せに暮らせるペットも居ることを知って欲しいだけだ。

適切な頭数を、世話できる範囲で飼うことを願うだけ。引き取るからには飼い主の寿命も視野に入れて飼わなければならない。それは当然の義務だ。
毎日、変化を気にして、何か異変があれば対処する。
健康に幸せに寿命を全うして欲しいから、大切に飼う。介護が必要になっても長生きして欲しい。

少なくとも我が家の猫は、幸せに寛いでいると思う。
狭い部屋の中を我が物顔で走り回り、居場所をたくさん見つけて、好きな場所で寝て過ごしている。
何が正解とか正しいとか、指導出来はしないけど、迎えた子が見せる寝顔が全てを物語っているように思える。

だから極端な愛護活動を耳にすると違和感を覚える。
覚えてしまう。

ペットを受け入れる家庭を信じてあげて欲しい。
1人でもちゃんと飼える家庭はきっとたくさんある。
愛情をたくさん注げる家庭もある。

動物愛護そのものを否定しない。
ただ、飼い主が現れたなら、過剰な詮索をせず、できるならトライアルなんて設けず、素直に引き取らせてやってほしい。
その後は全責任を持って、その家庭が育てればいい。

私の思うことはそれだけだ。

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