脱・傷つきすぎる自分 ずる賢くなれ

憎まれっ子世にはばかるんでしょうよ。だって、自己中心的な若しくは利己的な考え方で人に対する情が、なさけが無い人間。彼らは図太い、神経が。

ただ彼らは孤独だ、結局は彼らの周りには思いやりを持って心を分け合えるような人間関係は築けない。しかし彼らはタフだ。そんなこと直視しやしない、気づかない振りがお上手だ。

私はさんざん傷ついて、泣いて、泣いて、そのたびにネットで同じような記事を探す。ググる→少し落ち着く。の繰り返しだ。そう、タイムイズマネー的な考え方ではない私。無意識に自分の損得を図るタイプではない私。

理性的には考えているつもりだが、どうも感情が反応してしまって悲しみにのまれてしまう。

だが、このまま傷つきっぱなしというわけにはいかない。こんな状態では生きていくのが辛すぎる。

憎まれっ子どもの糞ビッチさは学びたくないが、どうやら「傷つかない=利己的な考え方」というのはありそうだ。(単なる当社しらべ)

そこで私は、自分の利己的さを少しレベルアップして、誰にでも正直に向き合う姿勢を抑えるという事を試みようと考えている。

私の経験から行くと、自分の癖を治したい時は、そのことを結構しつこく頭の片隅に置いておきながら生活していくと、かなり改善することができたりもする。糞ビッチどもは、自分しか大事にできない可愛そうな奴らと見下しつつ、自分の利己的な部分を育ててみようと思う。

こちらを傷つけてくるやつら、そいつらは我々にとって有益ではない。しかし、あまりにそういうやつらは多いので、絶対的に出会ってしまう。だからもう少しずる賢さを身に着けて、「あぁこの人こういう人なんだ、じゃあ私の中ではこの人の位置づけはもっと低くていいかな、深く繋がってもこちらが馬鹿をみるだけだな」というような思考で、「それなり」の、いや、もっと雑な、見下した対応を心の中では行うようにしてみる。それは相手に言わなければ分からないのだから。

糞ビッチは嫌いだが、世にはばかるためには少しずる賢くなる必要があるらしい。純粋な気持ちで生きていても、正直糞ビッチどもに潰されてしまう。だから、「はいはい、この人こんな人ね」ともう少し見下して、あとは、自分の心が反応しないように努める。癖が付くまで。その方が自分のためだからだ。

人に傷つけられるたびに「死のうかな」が沸いてしまう私だが、糞ビッチの為に死ぬのも癪である。

人を自分の心に入れないように、自分の私利私欲のための考え方改革。なんか汚い事をしているような気もするが、こんなことを意識している時点で汚い人間ではないだろう。

自分の「欲」を強めて、私利私欲マインドを育成する必要がある。我々のようなタイプの人間にはこんな試みだって世にはばかるためには大きな一歩なのかもよと期待したい。

傷つきすぎる自分にさよならしたい。ずる賢さを身に着けて、心の防御力のアップを目指す。私に唯一備わった、「こねくり回して考える」という能力、これだけが頼りなのである。

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