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導きと夢の護り~友の三回忌によせて1

今日は個人的なお話と夢のお話を
自分のためにさせていただきます。

私の今までの人生の
約7割の時間を共にすごした友人の三回忌にあたり
あらためてその頃と、今の想いを
整理しておきたいのです。

当時の想いや 不思議といえば不思議な
ありがたい導きや
覚悟をさせてくれた夢や
また更にその後の夢
そして亡くなった人の星が語ることなどを
何回かにわけて音声で配信をし
また、記してもおきたいと思います。

また内容には当時のBlogに書いていたことも多いので
その部分はそちらから引用します。

よかったらおつきあいください。

今の想い

三回忌、つまり2年、
さすがに それくらいの年月が経てば
彼女が好きだった歌が
TVから聞こえてきても
すぐに消すこともなくなりました。

そして以前は、文字にはできても
声にすれば まだ泣いてしまう事が多かったのです。
でも今はもう、声にしても大丈夫かもしれない、
ということを確かめたくて収録するような気もします。
時は一番の薬だということを
自分に証明したいと 思っているような気もします。

音声配信はこちら

5か月間の経過

彼女の病名が判明したのは
新型コロナウィルスというものが
中国で出ているらしいと聞かれ始めた2020年1月でした。

2月、まだ面会ができる状態でした。
1度だけお見舞いにいけました。
でもこれが顔をみた最後となりました。

その後は皆さんご存知のように
病院や高齢者施設は軒並み
感染予防のために面会ができなくなりました。

彼女の病状は芳しくなく
初めの2か月で既に、
覚悟をしなくてはいけないという想いと、
同時に、それを打ち消したい想いを抱きました。

3か月目には彼女とも、
彼女が旅立った後についての話をしました。
この時も「わたしを置いて行かないで」と言う想いと
「大丈夫、安心して、あとのことは任せておいて」という想いの
両方を抱えました。

それでも奇跡を信じたかったそんな時、
新しい治療に入った彼女に
新薬が効き初めました。
数値はぐんぐん良くなっていった4か月目でした。

彼女は遠方にくらしていましたが
たまたま最後は
私が暮らす近くの病院に転院してきました。

そこで面会はかないませんが 
彼女の病室の窓が見える所から
「今ここにいるよ」とメールをしたりしました。

でもその翌月
「連絡が遅くなってごめんなさい。昨夜、旅立ちました」と
ご家族からの連絡が入りました。
つい数日前にも電話をくれた彼女だったのに。

病名が確定してから、5か月目のことでした。
わたしのショックは大きなものでした。

導いてくれた力

でも悲しみの中、
わたしを支えてくれたものがあります。

ひとつは
彼女が旅立つ前と 当日の晩の
導かれたような行動です。

彼女が旅立つ前夜
私は不意に彼女の病室の
その窓の近くに行きたくなりました。

けれど、意味もない深夜の外出も
なんだか自分で変なものだと思うので
無理矢理自分の中で理由を創ったのだと思います。

病室の前を通って行ける
24時間営業のスーパーにお買い物にいこう、
と出かけました。
特に急ぐわけでもないのに
ケチャップを買いました。

そしてその翌日の夜も
やはり前夜と同じ気持ちで出かけたくなりました。
理由はやはりはっきりしません。

けれど、むしろ嫌な予感がするからそこに行きたいと
はっきり意識していた方が
余計に落ち着かないばかりか
逆に何もできない自分に
絶望を感じるだけだったのだろうと思います。

だから、妙にふわふわしたどうでもいい理由で
外出の口実をつくった気がします。

この日は、焼き肉のたれを買いにいくことにしました。
すぐ使うあてもないのに。あの店にしか置いていないからと
自分に言い訳をしながら。

そして行きかえりに、ただ彼女の病室の窓を
遠くから、通り過ぎながらながめました。

そして連絡が入ったのはこの翌日でした。

その知らせと旅立った時間をみて
更に私は言葉を失いました。
私が病室の窓を眺めて過ぎてまもなくのころ、 
彼女は旅立ったのでした。

わたしは少しだけ ほんの少しだけ
彼女と繋がっていたから
その時間に私はそこに導かれたのだろうと思い
乱れる気持ちを立て直すことができました。

というか、そう思いたかった、というのが正直なところです。

彼女が呼んでくれたのか、見えない力なのかわかりませんが
誰かの大きな優しさに感じました。
それがせめてもの心の支えにもなりました。

そしてまた、この5か月の間にみた4本の夢が
私を支えてくれていることにも
すぐに思いをはせました。

静かに辛くならないように
覚悟をさせてくれていた夢の数々でした。

覚悟をさせてくれた1本目の夢


1本目は、新薬が効き始め、
「退院も可能かもしれない」と
いわれていた頃に見た夢です。

このような夢でした

私は彼女と連れ立って出かけ、
ハンバーガ―を二人分テイクアウトしました。
けれど家に戻って二人で開けると二人分どころか
大きさは購入したものの半分程度の
小さな別の食べ物にかわっていました。

詳細は控えさせていただきますが、
彼女の健康上の数値はよくなっているといっても
「連れて帰って来れるほどエネルギーは足りていない
別の部分が消耗している」と感じました。

この時、彼女と「ゆっくりよくなればいいよね」と、
そんな話をしました。

辛さが増した2本目の夢

2本目は、結局、一時退院が延期になった4か月目の夢です。

私は彼女と一緒に、ある街を歩き、靴屋さんにはいります。
私は彼女に「貴女の誕生日だからどれか選んで。
プレゼントするから」と言います。
彼女は普段通りの笑顔や口調で
「そんなのいいわよ」と言いながらも
選び始めてくれました。
けれど彼女が靴に手を伸ばしかけた所で夢が終わりました。

この時も、私は彼女に、この夢の話をしました。
彼女は、入院生活も長くなり、
また薬の副作用もあり、歩行もままならず、
リハビリも行っていた頃でした。

私は彼女に
「残念ながらまだ貴女にプレゼントできるところまではいたらかなった。
でもあと少ししたら、靴を履いてくれるかもしれないね」と
夢の話をしました。

ただ、この段階で、本当のところは
不安でいっぱいでした。

ちっとも暗いイメージの夢ではなく、
むしろ楽し気な夢だったのですが、
だからこそ、細かい点でのひっかかりがありました。
けれどそんな思いは頭の中では打ち消しました。

正夢だと信じたかった3本目の夢

3本目の夢は、彼女が旅立つ20日前でした。

夢の舞台は、私が暮らす場所の近くに
実際にある橋でした。
この橋は今までにも、重要なポイントで
私の夢によくあらわれる橋です。

橋の向こう側に彼女が立っています。
初夏を思わせる良い天気です。
彼女は私を見て、こちら側に走ってこようとします。
私は「病み上がりなのだから私が行くから無理しないで」と
駆け寄りました。
彼女は和紙でつくったような淡い色の美しい日傘をさしています。

私は彼女の隣に並んでいるのですが
もう一人の自分が、私と彼女が並んでいる姿を、
正面から眺めている構図でした。

私は「こうしてまた会えて本当によかった」と話し
彼女は「そうね」と笑っていました。

目覚めて「退院をしてまた会えるという正夢である」と
思い込もうとしている私がいました。

それはその夢が全く逆の意味を示していると解るから、
むしろ不安が募るから
そう思い込もうとしたのです。

例えば彼女は普段から日傘は差しません。
その日傘で少し顔を隠していました。
私が見ていた構図は
二人が並んでいるのを遠くから見るような
客観的なものでした。

明るい光の中に
あちらとこちらの世界をつなげる橋があり
もう一人の私はこちら側からみています。
でも優しい光の中だから
心配しなくてよい、悲しまなくてよい
病室の中ではない
彼女が好きなお日様の下に出られるのだから
それでよい
そんなことを思います。

ちなみにこの部分は音声配信には入れませんでした。
まだ少し、これを言葉として発すると
声が震えてしまいそうだったからです。

他にもこまかな理由はあるのですが、
個人的な内容が含まれるので
ここに記すことは控えます。

ともかくこの時も、
「口にすることで、正夢になりますように」
と、そんなことを願ったことも今までないのに
そんな願いを込めて、
彼女に夢で逢えたことを語りました。

夢の意味や、そのほかのサインを拾いながらも
黙って見守ってくれているような
もう一人の自分を感じながらの 現実への抵抗でした。

涙が止まらなかった4本目の夢

亡くなる6日前の夢です。

誰かが家に忍び込もうとしています。
不審な男性が4~5人いるようなので
「どなたですか?」と思い切って出ていき、追い払おうとします。
しかし彼らは目をそらしただけで誰も何も答えず、
少し離れてこちらの様子をうかがっています。
とても気持ち悪く怖さを感じましたが、何とか追い払います。
彼らは何かを知らせに来たのかもしれません。
盗聴器や怪しい機械を
あちこちにセットしていったかもしれません。

場面が変わり、私は寝台車のベッドに
横になっているようでした。
窓の外は夜で、漆黒の闇です。

その列車は何かトラブルがあり、ずっと走り続け、
停まれないでいたらしいと知ります。
ところが、急に列車は停止しました。
私は近くにいた人に「とまった?」と尋ねました。
「そうだよ」と返事が返ってきました。

私は、これ以上動くことはないけれど、
「これでやっと外に出られるのだね」と
言ったところで目が覚めました。

目をあけてもそのままで
悲しい想いがあふれる中、
すぐに起き上がらずにいました。
そして、闘病中の彼女と
寝台車に乗ったことがあるのを思い出しました。

それから数日、彼女は旅立ちました。
やっと病院から外にでて、家族の元に帰れました。


この4本目の夢は、
本当にその現実が近づいているけれど、
まだ直視できるかどうかわからないだろうからと
夢を見せてくれる力が
判断してくれたのかもしれません。

彼女本人の姿は出てきませんでした。

でも例えば3本目の夢のように
まだお別れまでには時間があり、
段階を追って覚悟をしていかなければいけない時、
夢は彼女の姿を直接見せてくれました。

またこれは、面会がかなわない中、
不安でありながらも、
それでも夢とはいえ
彼女と会えた嬉しいことでもありました。

夢は本当に不思議です。
段階を踏んで、覚醒時のわたくしを護りながら
その日を迎えさせてくれました。

そしてこの後、
当時のblogにはこんな風につづっています。

当時のblogの後記

…………
まだまだ、ぽっかり空いた心の穴は当分埋まらないでしょう。
事あるごとに不意に大きな悲しみに襲われるでしょう。

大切な人を失ったことがある人だれもが感じる
あたりまえの喪失感です。

けれど夢が訪れてくれていたことで
悲しくても悔しくても、これが現実であり、
今の想いは必ず超えられる経験であるという
確信がいっそう強まります。

だからあえて元気になろうとか
早く立ち直ろうなどとも思わず、
じっと今を感じて、
自然に過ごしていくことができます。

勿論、何度もいいますが、
時々ふいに泣くでしょうけれど。
でも、泣かなくなるその日までの間、
今、現実の生活の中で出来ることはしていきます。
それは、こんな想いを言葉にすることです。

同じ悲しみを抱える彼女の家族や友人に
互いの想いを聞かせてもらって、聞いてもらって、
また、こうして書くことで、皆さんに読んでもらって
それだけで心が少し軽くなります。

そんなことがない方がよいけれど、
皆様も、どんな種類のものであれ、
もしも抱えきれるだろうかと心配になる思いを感じたなら、
語れる分だけを少しずつでよいから、
表に出していってくださいね。

今回は私はこうして皆さんにお話を聞いてもらって
とても助かりました。ありがとうございす。

それから、勿論、とても悲しいことはありましたが、
この間もかわりなく、いつも通り、
お話を聞かせていただいていましたから
これをお読みになっても、
今後もどうぞご心配なくお願いいたします。

彼女は、本当に
お日様のような人でした。
彼女の温かさは 今もしっかり感じます。
いままでありがとう。これからもよろしくね。
と思います。

…………

この内容はまだ彼女が旅だってから
20日も経たないうちに書いたものでした。

そしてその後、私はまた次の夢をみて助けられ
それから星をみることに
そのエネルギーを向けることにしたりしました。


これは次回にお話します。

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