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軽羹と自分の共通点

思いつきでnoteを始めた。

以前からブログやnoteをやろうやろうとは思っていたものの「名前はどうしよう」「ものづくり寄りにするか珈琲寄りにするか」「表向きとは完全に切り離すか」・・・等々 自分のその時その時の思考、移ろいゆく感性をできるだけ素のままで書き留める(吐き出す)媒体が欲しかったのに 結局なんやかんやプロデュースしようとしてしまい、考えがぐるぐるまとまらず疲れて手を出せずにいた。
やりたいことで頭がいっぱいになって、踏み出す前に考えすぎてしまう。いつもの悪い癖。

最近はちょっとこのぐるぐる思考が酷くなっていて、やるべきことにも手をつけられず逃げていた。(まぁ大してやることないんだけど)
多分、世の中の変化や不穏な空気感による疲弊もあってのことだけど、みんなそれは同じなわけで。そんな中で安定して更新されるSNSや、周りの人の頑張って活動している姿を見ているとどうも何かと遠ざかりたくなってしまって。
ただ卑屈なだけなのだけども、んーちょっとこれはなんとかしないとな・・・
ということで、ぐるぐるしてしまう人は『書くこと』で少しマシになるかも?という言い伝えを遂に実践してみた。

『かるかん。』について。

名前も思いついたもので決めてしまった。『かるかん。』にした。
かるかん〔軽羹〕は鹿児島の銘菓で特に好物ってわけでもないのだけれど、ちょっと引っかかる思い出がある。
高校の修学旅行で九州一周した時(なんで九州一周だったのかは超謎)
最終日に鹿児島を訪れて、お土産に真っ白でふわっとした可愛らしい〔軽羹〕を買った。
軽羹についてはよく知らなかったけれど、あまりにシンプルなその見た目から「中には餡子が入っている」と思い込んでいた。※
家に帰り楽しかった修学旅行の余韻に浸りながら家族とお土産を開けた。
初めて食べる〔軽羹〕はシャフッとした食感と自然薯の風味が新鮮だった。が、餡子が出てこない。
恐る恐る真ん中まで食らいついてみたけれど、餡子は入っていなかった。
私は言葉を失ってしまったが、家族は美味しそうに食べていた。
軽羹に餡子は入っていないものだった。家族は知っていた。
(※『軽羹饅頭』というのが軽羹に餡子が入っているものだそうでこれも一般的。ただの『軽羹』には餡子は入ってない)

今となっては軽羹は餡子がなくても完成された美味しい銘菓だと思う。
餡子が入っていると勝手に思い込んでしまった私が悪い。

ただ、今の自分はあの時の自分が見た〔軽羹〕となんとなく共通している気がする。
餡子が入っていそうでも、餡子は入っていないのだ。

これからギッシリと餡子を詰めようか、それともシンプルな軽羹で行くか。
個人的にはあのシャフッとした、ちょっと期待はずれな軽羹もいいかなと思う。
(ちなみに軽く調べてみると軽羹と軽羹饅頭とでは生地の材料の配合を変えていて軽羹饅頭の方が硬めになっていたりするらしい)
で、なんでこんな軽羹について綴ってるんだろ・・・
その時軽羹に対して「ちょっとがっかり」してしまった自分の罪悪感みたいなものがずっと心に残っている。
そんなどうでもいい感情を忘れられずにいる自分にとっては世界が少し重すぎることもある。なんて視座が低いんだろうと思う。
でも低い低い小さい小さいところを見ているからこそ感じられる世界の〔可愛さ〕みたいなものを、忘れないで書いておきたいと思った。

とりあえず軽羹が食べたくなってきたところ。

恥ずかしくなってすぐ辞めるかもしれないけど、自分の内と外の交換ノートみたいな感じで、やれたらなと思う。
とりあえず思いつきでこんなことを始められたことを、どうか褒め散らかしてほしい。



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