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ちいさくとも頑固な固執

つまんないことに固執してしまう。

ときどき、自分で自分に許可を与えないと、「次の手順に進めない」みたいなことがある。

いや。
ほんとにくだらなくてつまんないこと。
毎日毎日そうだというわけではないこともあるし、とある場面でなぜか勝手にひっかかってしまうだけのこともある――それは、靴や靴下を右左どちらから履くかとか、そういうことも入る。
いつもと逆側から履くと、どうにも座りが悪いとか。

ほかになにがあるだろうと思い返してみる。

最近気づいた一番は、家にいたらしょっちゅう「お湯を沸かす」ということだった。
それも、やかんで。

たしかに、「お湯を沸かす」ことに、奇妙に固執している気がする。
朝起きたらガスコンロで沸かす。
帰宅したらガスコンロで沸かす。
お茶を飲もうと思ったら、ガスコンロで沸かす。
電気ポットにはいつもだいたい満々と入っているのに。
家にいたら、2時間に1回は必ずやかんをかけているように思う。

ちなみに、電気ポットに入っているお湯は、やかんで沸かしたもの。
電気ポットでイチから沸かすことはしたことがない。
そういうわけで、実際のところはいつでもお茶やコーヒーが飲めるようにはなっている。
そう、日本茶やインスタントスープなどは、おもにそこからお湯をとる。
ただ紅茶だけは、よほどのことがない限り、やかんのお湯を使う。

といって、つねに紅茶のために沸かしているわけでもないので――単に、朝起きたらまずお湯を沸かし、家に帰ったらお湯を沸かし……という行動パターンは、他人から見たら少しばかり偏執的なのかもしれない。

それまでそんなふうに思ったことがなかったのだが、職場で「いつもお湯を沸かしてくださってありがとうございます」と言われて、ふと思った。
わたし、職場でもいつもお湯を沸かしている?
言われてみれば、職場でも出勤したらいつもあたりまえに電気ポットに水を入れて沸かしている(職場の休憩室にはコンロがないので、ポットでお湯を沸かすしかない)。
それは自分が最初にそこにいるからであって、特段の意味はなかった。
朝一番にお湯を沸かすという行動は、家であろうと職場であろうと、自分にとってはごくあたりまえのことだったのだ。

そして、ポットのお湯が半分を切ったら、家であろうと職場であろうと、満々にしておかなくてはと思ってしまう。
そういう行動が無意識なわりに、案外他人に知られていたという点にもちょっと驚いた。
あらためてお湯を沸かすタイミングの話をしたら、結構不思議がられた。
自分特有の癖(?)だったのか、と思う。

さらに、お湯を沸かすことに限らず、案外ちいさなつまんないことに固執している場面がところどころにあることにも気づいた。
ちいさなことだけれど、案外頑固な固執。

自分ではあたりまえでも他人には「なぜそこ?それ?」と思われるようなことは、往々にしてあることだし――多かれ少なかれ、だれでも何かしらあるのでは?とも思うが、あらためて自分自身の行動に目をとめてみると少々複雑な気持ちになる。

ともあれ、常にお湯を沸かすことに執心する姿は、はたからみるとほんとうにおもしろおかしく見えるらしい。
最近の一番の発見であった。

と、まぁ、そんなことを振り返りながら、今朝もまた朝一番でやかんに水を満たして沸かすところから始まったのだった。


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