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平安の世から継承された着物の技術が日本の高度経済成長へ 〜日本独自の奥の神聖視〜

先日、知人の事業家と談話中、興味深いことに気づいたことがあったので、備忘録として記す。

日本の高度経済成長を支えた基幹技術であるカメラのレンズの開発と着物の技術は同じだと言うのだ。

それは、日本の価値観の一つ「奥」に神性を見出すというところにある。

「奥」こそ神聖不可侵の領域

神聖な領域、つまり聖域(Sanctuary)がどこにあるかということを考察することで、その文化の価値観を捉える手助けになる。

聖域はそのまま、建築に表れやすい。
文化は比較することで浮き彫りになるため、まず西洋から説明する。

・西洋の聖域は天にある

西洋の場合だと、天に向かうようだ。
「天にまします、我らの父よ。」という名句を読んでも、神は天にいることになっている。

旧約聖書の創世記に書かれている「バベルの塔」の神話では、天に突きさすかのごとく巨大な塔を建て、神の怒りを買ってしまう話がある。

このような聖塔はオベリスクと呼ばれ、男神の象徴でもある。つまり、男性器の形象だ。

現代の西洋の価値観にもこれは通じ、勝ち組と呼ばれる人々は高層ビルの高層階に向かうようだ。身分の序列はそのまま上下に表される。

現代日本も文化が西洋化するにつれ、六本木ヒルズや、乱立するタワーマンション群に代表されるように高層建築が多くなった。
やはり人気なのは高層階。高層階につれ坪単価が高価である。

・日本の聖域は奥にあった

対して、日本の場合はどうか。日本の聖域は上下という次元ではなく、近奥の次元軸で捉えられる。

日本建築は、間(ま)という考え方で建てられる。今でも間取りと言う言葉がある。武道でも間の取り方を教えられるし、間が抜けたことをマヌケともいう。

これは、相手との距離、つまり近奥を重んじている。

この価値観の中では、奥の間こそ聖域とされる。奥に行けば行くほど、よりプライベートな不可侵空間になる。

Wiiii • CC BY-SA 3.0

禁(きん)という言葉にもこの価値観が現れている。禁中とは皇居のことを指す。まさに神聖不可侵の聖域のことだ。
禁という字は、「林」に「示す」と書いて、"林の茂みの奥に神を祀る聖域"を表す。

日本には多くの山があるが、山の上に神がいるのではなく、山の奥に神がいる。という感覚ではないだろうか。

具体例を挙げると、川端康成の「雪国」や宮崎駿の「千と千尋の神隠し」でもトンネルの奥を抜けるという行為が象徴的だ。

他にも、日本のRPGゲームに代表されるように、ダンジョンは奥に進むことで聖域の様相を強めていく。

さらにわかりやすいのは、「奥義」という言葉だ。極め至った達人の技術の結晶を奥義として、簡単には人には教えないものとした。これも聖域を表している。

これらの奥という価値観はそのまま女神を表す。日本神話の主神は、太陽神であり女神である天照大神であり、日本の古の支配者は女王である卑弥呼だった。妻のことを奥方と呼んだりすることからもわかりやすい。大奥という言葉もある。

奥と、重ねると、織る。

とは「お+く」だ。これを動詞化すると、「おる」になる。織る、だ。 

日本語の一音一義説については、こちらの拙著の記事を読んでもらえれば幸いです。

日本語には一音づつ意味がある?一音一義説について

名詞の動詞化については、こちらの記事。

若者言葉は言語の成立過程か?

織るとは、つまり、"重ね"ることだ。
重ねることで奥が生まれる。

日本には「九重」という言葉がある。九つとは最大の数だから、「九天に達する」の成句の通り、神性を表す。「九重」とは、禁中と同様に皇居のことを意味する。

「織る」と「重ねる」、そして「奥」。

平安の十二単(じゅうにひとえ)もまた、衣(ころも)を重ねに重ね、奥に奥を造り、不可侵たる貴人が着るものだ。

十二単を着る美智子妃殿下

Ministry of Foreign Affairs of Japan • CC BY 4.0

他にも、日本伝統の遊びである"折り紙"。折ると書くが、実際の行為は、紙を折って重ねる。

これも織っているのだ。折り紙は日本独自で発展したもので、現代ではORIGAMIと呼ばれている。複雑な折り紙は即ち芸術となるのだ。

一枚の長方形の用紙から折られている。 CC-BY-SA-3.0

余談、フラクタル構造と織る。

余談だが、織る、とはフラクタル構造を造ることに他ならない。フラクタル構造とは、部分と全体の形が相似する関係の構造体を指す。
ブロッコリーやロマネスコがそうだ。

山林もまたフラクタル構造。フラクタル構造とは即ち、奥に分け入る構造になっている。
このフラクタル構造は、仏教の曼荼羅にも表れている。

平安の世から高度経済成長、そしてJapan As Number One

もはや、織る技術の発達は、奥に対する神聖視と不可分と言ってよい。

鶴の恩返しでも、機織り(はたおり)の最中に見つかってしまう。この場合、機織りとは不可侵の領域のことをそのまま指している。

そして、この織るという技術は、正確なマス目、つまりグリッド(Grid)の技術でもある。正確無比にマス目を描く技術が無ければ美しい機織りはできないのだ。

難しい折り紙に挑戦したことのある人ならば分かるだろうが、正確な折り目をつけなければ、美しい折り紙にはならない。正確なグリッディングの技術が必要とされる。

日本の技術や文化は特定の範囲の中で、重ねることに長けている。俳句の五・七・五、日本庭園、花道における真副控(しんそえひかえ)。

重ねるとは、水平拡大あるいは垂直拡大ではない。近奥拡大だ。

四次元超立方体の例。正多胞体。

これがマス目技術へと発展し、日本の医療基幹産業である、カメラのレンズへと発展した。

レンズは正確に研磨をしなければならない。
正確な研磨には正確なマス目が必須である。

だから、着物の技術はレンズの技術に直結する。

また、対象物を正確に把捉するには、優秀なセンサーがなければいけない。センサーは何でできているか。それはレンズだ。

日本に優秀なレンズがあるから、優秀なセンサーがある。優秀なセンサーがあるから、日本の精密製造を可能とさせる。その優秀なレンズ、即ちセンサーは平安時代から培われた着物の技術から生まれたのだ。

つまり、Japan As Number One を成しえた日本の高度経済成長とは、平安の世から継承された織る技術を近現代へとバトンタッチした結果であると共に、日本独自の価値観である「奥の神聖視」にも由緒があるということになる。

以上が、私の独自の考察だ。
なかなか、ロマンあふれる話ではないだろうか?

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