東京オリンピック開会式冒頭1時間の演出について思うこと

東京オリンピック2020はコロナ問題で延期になり、2021年の今日、開催されることになった。史上初の無観客の中での開催だ。開催決定以後、様々な問題を抱えながら呪われたオリンピックという忌み名も名付けられていた。

普段TVをほとんど見ない私も、開会式に興味があり、冒頭1時間の演出を見てみた。元々は、企画演出の仕事をしている私にとっては、ツッコミどころが多く、思うことがたくさんあったため、思わず記事にしてしまった。

開催準備には多くの人々と多大な労力がかかる。だからこそ、他人の演出に口を突っ込むことは趣味の悪いことだと思いつつ、どうしても記事に残してしまいたくなった。

開会のセレモニームービーについて

開会式はセレモニームービーから始まった。映像のグラフィックコンセプトは1964年東京オリンピックの亀倉雄策氏のものを彷彿とさせるものだ。レニー・リーフェンシュタールの『民族の祭典』よろしく人間の肉体美に肉薄したいという意思を感じられた。だが、出演者は全て日本人。海外から見ればアジア人というくくりと言ってもよい。オリンピックの開会を彩る映像としては、少々物足りないと感じた。開会式は祈りの一種と言える。東京は、日本は、このオリンピックを通して人々に何を祈るのか。ということが開会式に表れると思う。

もし、私なら、この冒頭の映像は、1964年東京五輪の伝説の閉会式と言われる、元NHKアナウンサーの土門正夫氏による名実況のシーンをオマージュしたい。過去の閉会を振り返り、今、ここに新たな開会が始まる。という大きなストーリーの中に、地球の平和と、人間の本来持つ美しさへの希求を表現したかった。土門氏による名実況は以下の通りである。

「そこには国境を越え、宗教を超えました美しい姿があります。このような美しい姿を、見たことはありません。まことに和気あいあい、呉越同舟。グリーンのブレザーの隣には、白いブレザーの選手がおります。紺のブレザーの隣には、真っ赤なブレザーの選手がおります。そして、選手の手を振りますその彼方には、7万5000の大観衆を収容した、このスタンドがあります。まことに、和やかな風景であります」

『和をもって尊しとなす』とは、我が国最古の憲法だ。つまり、国境・宗教を超えた『和』と『輪』を重ねて表現するほうが、より開会式にふさわしいのではないだろうか。

日本国旗掲揚について

次に、気になるのは、日本国旗を掲揚するパートである。ここの音楽はクラシック音楽が流れていた。これもセンスがあまりにもない。日本国旗を掲げるのだから、日本の古音楽でよかったのではないだろうか。雅楽など、もっと神妙な、日本独特の美的感性である『間』を表現した音楽のほうがよかろう。少々、神妙にすぎるかもしれないが、ここはグッと締めたほうが適切だ。

そもそも、新国立競技場の構造を考えて音楽を選ぶ必要がある。新国立競技場には天井がない。天井がないということは音響構造的には室外とほぼ一緒である。クラシック音楽は、元々、洞窟などの残響音の構造を織り込んで作られた音楽で、室内で演奏されることを前提としている。地中海性気候やステップ気候的だ。対して、日本の雅楽は、室外で演奏されることを前提としており、自然に発生する音(雨の音、風の音)を織り込んで作られた音楽である。

もし、私なら、ここの演出は、"夏季"オリンピックなのだから、「セミの音」や「鈴虫の音」などの自然発生的音をわざと加え、雅楽を演奏する。
自然が織りなす音の荘厳さは、パイプオルガンやフルオーケストラの演奏に引けを取らない。それこそが『間』に美を感じる日本人の感性であり、自然に対する畏敬の表れだ。日本国旗を掲げるにふさわしいのではないだろうか。

謎の赤い糸パフォーマンス

次に、赤い系を重ねて踊るパフォーマンスだが、全くの意味不明である。アナウンサーが意味を解説していたが、何一つ頭に入ってこなかった。照明は青。そこに赤い系を持ったパフォーマーが張り巡らる、という演出である。青に赤は、色彩効果としては、不安にさせる効果がある。なんの意味があったのかさっぱりわからない。

MISIAの君が代について

MISIAによる君が代の歌唱もあった。これも、なぜMISIAなのか。MISIAは、ゴスペルを源流にするR&Bの代表的な歌手である。歌手としての技量はともかくとして、果たして、君が代を詠むにふさわしい歌手なのか。演出家は、君が代の歌詞を改めて"詠んで"みたほうが良いのではないだろうか。

君が代は ちよにやちよに
さゞれいしの 巌となりて
こけのむすまで

要するに、和歌である。日本語の発声構造は、単母音。よって和歌も単母音で"詠む"べきものだ。対して、R&Bやゴスペルなどは元々英語で"歌う"ものだ。英語は2重母音。母音が重なっていることを前提としている。だから、MISIAのような歌手が情感たっぷりに歌ってしまうと感情が歌に乗りすぎて和歌にならない。手嶌葵や荒井由美のような歌手の方が和歌的な歌い方である。

ただし、あくまで補足しておくと、音楽としてのアレンジはとても良いものだったし、MISIAの歌もよい。この開会式で感覚的に最も良かったのはこのパートだった。

謎のタップダンスと炎上オリンピックの火消し

最後に、火消しに囲まれて、大工と思しき人たちがタップダンスをしているパフォーマンスである。一見して、何かの悪いギャグかと思った。このオリンピックが始まるまでにたくさんの問題があった。佐野研二郎によるロゴ盗作問題、新国立競技場の建設問題(聖火台を置くスペースを造り忘れていた)、コロナ問題、度重なる関係者の辞任問題、etc,,, 今風に言えば、炎上に次ぐ炎上だ。もはや、『炎上オリンピック』と言ってよいほどだろう。その開会式に、『火消』である。もはや、ギャグを通り越してブラックジョークだ。これ気づいた人いるだろうか。これで風刺画が作れる。誰か作ってくれないかな。

そして、謎のタップダンス。タップダンスと江戸の火消しと大工に何か関係あるのだろうか?大工の槌(ハンマー)を打つ音の、トンチンカンとかけているのか。ならば、まさにトンチンカンな発想だ。

火消しと大工はまだお祭りだから、で意味がわかるし、その後の五輪マークが木でできていることの伏線になっていた。しかし、タップダンスは本当に意味がない。

新国立競技場の音響構造は先に述べた通り室外だ。タップダンスのカツっという音は音響的にアタックという音の成分が早い。アタックの早い打突音は、反響の少ない、小規模クラスの室内に向いている。残響音が強いホールや、室外に向いていない音楽なのだ。早い話を言えば、タップダンスは酒場やパーティースペースなどに向いている。室外でタップダンスを大量の人数で行うとどうなるか。残響音に残響音が重なって何がなんだかわからなくなる。リズムを感得しづらくなるのだ。

リズムで盛り上げるにしろ、他に室外向きの打楽器はたくさんあるはずだ。祭りのお囃子などでも良かったかもしれない。その後、大量の提灯と木組の五輪だ。提灯がまた貧乏ったらしい。江戸を全面に出すなら、葛飾北斎の浮世絵をモチーフにしたものでも出せばより華やかになった。

最後に

以上、オリンピックの閉会式に思ったことだ。

このたびのオリンピックで私たち日本国民がこれでもかと嫌が応でも思い知らされたのは日本の稚拙化ではないだろうか。全くもって企画や進行が幼い。五輪規模は国家事業だ。様々なリスクヘッジをした上で、多くの人間が監査するべき行事であるはずなのに、なんともだらしないことの至りではないだろうか。

紆余曲折を経て採択されたロゴデザインも、華やかさに欠け、開会式であまり活きていない。以下のロゴデザイン見てもらえれば、どれも決め手には欠けるものの、『祭典』という行事の趣旨を見ても、B案, C案, D案どれをっても華やかになっただろう。A案はもっとも祭典としての華やかさに欠ける。

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オリンピックが成功することを祈るが故に、この東京五輪が全体に稚拙だったことが残念でならない。

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