不登校:体験談も踏まえて

 自分も一時期であったが、小学校と高校の二回にわたり不登校になりかけた過去あり、友達が不登校になったと、不登校が身近になっている気がする。なので、自分の体験談やその友達をもとに不登校に対して論じていきたいと思う。
 まず自分のケースでは、一度目が小学校4年生の頃から約一年間一週間に一回登校する程度だった。当時は、俗に言うイジメの対象とされたのが一番の原因だったと思う。二度目が小レポートにも記述したが、精神病と診断された高3の9月からの卒業するまでの間だった。
 前者については、病院でも、心療内科でも当時の心境を話してもなかなか理解されない。いじめの内容は、クラスからはじかれ、昼休みなどのクラスで遊ぶ時ではクラスの男子が、鬼退治する桃太郎のように自分に接してくる。
『「学校のいいところ/相談に乗ってくれる先生や友達がいる/いつもの教室/いつもの勉強/いつもの中休み/いつものことを/いつものように/いつもの通りに/全部がいつもあるから学校に行ける/けんかがあっても、いじめがなければ大丈夫/いつものことがこわくなると/学校には行けない/私はいつものことが楽しいから/学校に行ける」』(※1:学校って何 「不登校」から考える:著 小沢牧子:出版 小澤昔ばなし研究所より引用)とあるように、この詩のようにいじめによって「いつも」=「怖いもの」という考えがなかった。ただただ自分が居なくなればクラスはうまく機能するのだから自分が居なくなればいいと思い、今思うとよくわからない自己犠牲精神で不登校になってしまった。小沢さんはこの詩の考えに、いじめは『集団の悪意としての、それも毎日続く残酷な仲間外しだから。』(※1より引用)と述べている。集団の中で生活しなければならない学校生活に仲間外しにあったのならば、それは暗に「お前の居場所はない!!」と言っているのと同義だと思う。自分は物思いに耽ることが好きで、デカルトの「cogito, ergo sum」のような感じだったので平気だったが、小学生、ましては低学年では、ある意味絶望と同じだと思う。
 上記のことから、いじめが原因とされる不登校には、よくある手段かもしれないが保健室登校や相談室登校させることによって、まずは「学校に君の居場所があるよ」と教えてあげるべきだと思う。本来ならイジメを無くすのが一番と言いたいが、そんな夢物語のようなことは無理なので、不登校児が保健室登校・相談室登校によって「学校における自分の居場所」がわかったならば本人と相談して今後の学校生活を決めればよいと思う。または、暴力が伴わないイジメの場合で、学校生活に拘らないのであれば、森下一さんの著書によく出てくる裕子さんの例のように、学校生活には関係のない本人の生きがいを見つけてあげることも方法の一つと考える。自分は後者のような状況だったので、学校には行こうと思えば行けた。
 高3のときは、精神病(??)になってしまったことが原因だが、精神病の原因は学校生活の影響と思っている。その原因とは、学校の意味と、教育・受験の意味である。病気になる前までは、家庭の事情でトラブル多発と恋愛が上手くいかない男子の友達Yが、自分に相談しに来たりしていた。しかし、あることがきっかけで  となってしまったが、教員はその病態をごく一部しか理解しておらず、Yは元々煙たがられていたこともあり、理解ない教員が、症状がでたYの事を馬鹿にするようなこと言ったことが、症状が出るたびにYへと言われ続けるなどした。担任の教師も理解がないため、Yを相手にしない。別の子で、夏休み明けから一か月不登校になってしまった女子のSがいて、受験勉強を一緒に頑張ろうといっていたグループの一人だったため、自分が相談にのっていた。このときも担任は、Sを相手にしなかった。自分にも勉強しろとしつこく言ってきた。そのとき自分としては、勉強も大切だろうけど人として大事なものがあるだろうと思っていた。ましてや、その教員が普段教える授業の内容もAO・推薦入試が盛んな自分の高校ではほとんど役に立たず、普段自分よりテストでいい点数を取って威張り散らしているクラスメイトも、自分に頼ってくる。そんな環境がストレスとして溜まってしまったのだろう。その結果、病気になり、体調が良くても相談室登校が限界だった。ただ、朝のHRのときに登校した時だけはクラスに行くこととなっていたがクラスメイトから奇異の目で見られるようになり、朝の登校もしなくなってしまった。同じような例として、詳しい理由は知らないが3年生になってすぐ不登校の子がいたが、たまに登校してきてもクラスメイトは奇異の目で見たりするなど、その子をうけいれようとする雰囲気がなかった。結果、その子は卒業に必要な日数しか来なかった。
 高校の体験から言えることは、本人へのアプローチも大切だろうと思うが、本人が登校できるようになったとしても、受け入れる環境ができてなければ意味がないと思われる。不登校児の理由など理解してなくとも、温かく見守ってあげるのが人情だと思うが、自分の体験からはそれが欠如していると思われる。したがって職員だけでなく、生徒にもそのような理解を得られるようなプログラムを導入するべきだと考える。
 今回は、自分の体験を基にしてみたが、不登校児にすべて上記の方法でうまくいくとは思ってない。自分の周りにもネットゲームが原因など全然違う理由で不登校児になった子もいるし、実例を読んでみると家族関係や家庭環境が原因の方が多い。そのため個々人にあった対応の仕方が一番のベストだが、一歩目としては原因の大まかな分類表を作成し、おおまかな対応策を載せ、臨機応変に対応することが現実的だと思う。

参考文献
学校って何 「不登校」から考える:著 小沢牧子:出版 小澤昔ばなし研究所
不登校児が教えてくれたもの:著 森下一:出版 グラフ社
不登校・引きこもりをなくすために:著 森下一:出版 春秋社
学校へ行く意味・休み意味 不登校ってなんだろう?:著 滝川一廣
出版 日本図書センター