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私小説 わたしの体験 4

 ひとりの職員が虐待を行なうまでに追い詰められる。と、このように書くと、虐待を行なうのは、職員の資質ではないかという声が聞こえてきそうだ。はっきり言っておくが、それをいうのは、障害福祉の関係者であっても、本当の意味で現場に出たことがない人間だ。
 資質だけで虐待を起こすことはまずない。絶対に起きないということでは、もちろんない。危険な、暴力的資質を持った職員は、確かにいる。しかし、危険な資質をもった職員であっても、虐待はリスクが高いことを知っている。それは、傷害罪だ。しかも絶対的な弱者に対する暴行となると、言い逃れもできない。かっとくると手が出るような短気な職員であっても、実際に腹をたてて利用者をなぐるようなことはまずない。殴りつけるのは、もちろん怒りからなのだが、怒りだけで虐待は起きない。障害について無知であることが、虐待の原因とほとんど関係がないように、職員がただ短気であるというだけでは、虐待、特に身体的虐待に発展することはない。これは断言してもいい。
 虐待は、障害福祉の現場における労働環境のひどさに起因することが多い。障害福祉に限ったことではないが、福祉現場の定着率は悪い。入ったと思えばすぐに辞めていく。そんなことが繰りかえされている。そうこうしているうちに現場にいるのは、素人集団ということになる。
 そもそも福祉業には、人が来ないという現実がある。だから、多少問題があるような人物であっても採用することになる。それでも教育ができれば多少はましかもしれない。しかし、慢性的な人手不足の支援現場では、そんな余裕すらなく、ろくな教育も受けないまま、難しい利用者がいる現場に送り込まれるのである。そして、耐えられずに辞めていく。あるいは、だらだらと仕事を続ける。かろうじて残っている中堅ベテラン職員の負担は増す。
 そこへまた、支援が難しい利用者が送り込まれてくる。
 どうしてそんなことがと思われるかもしれない。いくらなんでもと言われるかもしれない。まさかも、いくらなんでもがおきるのが障害福祉の現場なのだ。
 上層部は、自分たちのプライドを満足させるためだけにそれをするのである。あるいは保身だ。いずれにしても、ろくなものではない。
 嘘ではない。わたしがいたところでは、実際にそれがあった。この人はいまのわたしたちで支援できません。職員は声を揃えていった。しかし、ねじ伏せられた。
「あなたたちの仕事は何ですか? いやしくも福祉を仕事にしている者の、それがいうことですか? 困っている人がいるんです。助けを求めている人がいるのなら、手を差し伸べるのが、わたしたちの仕事でしょう」
 美しい言葉ならいくらでも並べることができる。美しい言葉を並べる連中は、決して現場には出ない。殴られ、蹴られ、噛みつかれることも、罵倒されることもない。自分は安全圏にいて、福祉のあるべき姿を滔々と語るのである。
 職員は、そもそも医療の対象だろうと思われる利用者と、上層部の無理に追い詰められていくのだ。
 誰もが虐待を行なう可能性を持っている。誰もが、だ。危険因子を持っている職員だけではない。現場に出ている職員は等しく、虐待のリスクを持っていると考えるべきなのだ。

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