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私小説 先走る感情

 要するに感情の世界なのだ、福祉業界というのは。それも豊かすぎる感情の世界。それは何も男女の恋愛事情ばかりではない。すべてのことが感情で決まっていく。
 恋愛とは要するに、好きか、嫌いか。福祉業過のすべてはそこに収斂される。
 明確な数値目標がある場合は、ときに目的は手段を正当化するという事態も起きる。あくまでも目的が最優先なのだ。しかし、福祉業界、特に社会福祉法人の場合、そもそも非営利組織ということもあり、利益追求が最優先とはならない。社会的使命の達成が第一であり、結果、収益という観念が薄くなる。金儲けのためならなんだってする。さすがにそれは福祉サービスを提供する者としては受け入れがたい。しかし、その観念を優先する姿勢が、ときに非合理な判断へと結びついていく。
 あの人は立派な考えを持っているから評価する。では、その立派な考えとは何だろう。立派な考えとは何と比べて立派なのだろう。考えなど人の数だけある。確かに、箸にも棒にもかからないというものはこの世に存在する。しかし頭と尻尾を別にすれば、良いものもあればそうでないものもある、というところに落ち着くはずだ。あの人は立派な考えを持っているというのは、要するにあの人が好きだということと同義語だ。
 確かに、立派な考えを持った人はこの世に存在する。しかし、完全無欠な立派な考えなどこの世にはない。どんなものにもメリットとデメリットがあり、普通はそこを考える。素晴らしい考えのメリットとデメリットを冷静に計算してみると、どの考えも五十歩百歩。ドングリの背比べだ。その中で最もリスクの少ないドングリを選ぶのが、普通といえば普通だ。あるいは将来性を考えて、多少リスクのあるドングリでも手にする場合もあるだろう。
 だが、福祉業界についていえば、たくさんのドングリの中から、たったひとつのドングリを選ぶとき、そのドングリの形が好きだとか、色合いが良いといった、感覚の問題になる。
 仕事の成果が明確な数値で表現される世界なら、例えば、
「あいつは嫌いだが、まあ仕事ができるから仕方がない、一緒にやるか」
 は、ありえる話だ。
 福祉業界の場合、好きな相手のいうことは無批判に受け止め、嫌いなやつに至っては、顔も見たくない、追い出してやれが、普通にまかり通る。嘘ではない。わたしはそんな実例をいくつも見てきた。
 よほどまともなことを言っていると思える職員が冷遇され、平然とモラルに反する行為をやってのけるようなやつが上に行くのである。平然とモラルに反する行為というのは、部下の妻と不倫関係になるようなやつだ。倫理の輪郭が極めて曖昧なやつであっても、例えば理事長に気に入られれば、知らない間に大出世を遂げていることも珍しくない。
 現実を見据えた、シビアだがまともな意見と、
「できるできないじゃない、我々はそれをしなければならないのだ」
 と、熱く叫ぶような、情緒的な意見があるとする。後者の職員が大好きなら、躊躇いもなく上はそちらを選ぶ。福祉業界が、自分自身の問題さえまともに解決できない理由はそこにある。要するに論理よりも情緒が優先する世界だからだ。それは恋愛に似ている。
 いったいこの世界はいつになったらまともになるのだろうか。わたしは期待することに飽きてきている。
 色恋は好きだが、それは生身の人間が相手の場合だ。法律上の人格とはセックスができない。セックスができないのなら、情緒は抜きだ。

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