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3年分の反省

ほっけの干物です。どうぞよろしくお願いいたします

結構経ってしまいましたが、去る8月15日に、ボカロ曲を投稿してから満3周年を迎えました。

この活動自体、曲を作って後世に爪痕を残したいという動機、その他諸々に始まり、歌を歌わせたいけど歌ってくれる人が出てこないこと幾年、それまで萌えが苦手(照れくさい)で避けてたボカロに手を出して、ってな事情が大きなところです。
 とはいえ特にここ1年は多くのコメントやら反応があって(特にMEIKO曲について)とても楽しく活動できたと思っており、感謝感激のこの頃です。

そんな中、満3周年を迎えた2020年8月15日に、ニコニコ動画にこれまでの活動を総括した動画を投稿しました。。


この3年間は、いろいろなところに手を出しては失敗をしたり、ときに成功したりとわやくちゃな3年だったと思います。

ここで、その年ごとにかんたんに振り返ってみましょう。なお、これはニコニコ動画での活動に準じております。

1年目・・・M3や音けっとに出展するなど、オフラインでの展開を模索していました。また、実妹の協力を得て、活動を展開しても降りました。しかし、そもそもの楽曲の(特にミックスやマスタリング、ボカロの調声力)実力不足なところ、ネットでの知名度が0な点などで、特にM3では散々な結果となり、音けっとではある程度の結果を残せたものの、こちら側の出展に関して内部で揉め事が起きたりと(運営とは終始円満であり、こちら側の問題だったのは説明しておきます。)、その後、オフでの展開を凍結したままになっているのが、心残りです。
また、実妹自身の環境の変化もあって、これ以上負担をかけるのは良くないと思い、それ以降は協力してもらうことも控えるようになりました。
また、動画面でも、再生数こそ広告を売って伸ばすことはできても、ファンが定着しない(マイリス1が連発)など、同時期にデビューしたPだったり、1年遅れてデビューしたPとかに次々抜かれ、とてもしんどいと感じたこともありました。いまほど、MEIKO愛があるわけでもなかったですし。

2年目…Youtubeでの活動を開始した年です。この時期は、自分の身の回りで環境が変化し、なれないジャンルでの経験などを経て、それをもとに曲を作ることも出てきました。曲作りのための旅行もやった時期です。『六花の惑星』、『海岸電車』は特にそのカラーが強いですし、『サヨナラは星が消えるように』など実体験を経て書いたものもあります。
 また、『平熱ハートペイン』みたいなニュース性の強いもの、他者からの依頼を受けて作ってみたものなど、外部の影響を受けたものが多いです。今振り返ってみると、受けて然るべき経験だったんだろうなと今になって思えてきますね。カバー曲企画も始めましたし。

3年目…ちょうどMEIKOさんがデビュー15周年の時期にきてて、これまでになく色々曲を作ってきた、そして、今まで以上多くのひとたちに聞いていただいて、固定のファンができてきた時期です。GratefulRubyや、ニコニコ超投稿祭などの企画に参加したり、マジカルミライなどのコンテストに参加、雪ミクなどのイベントそのものに参戦したりと、急激にオタク化した時期ですね。

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↑ ここ最近の作曲デスクの正面。ほんの一例です。


ここ最近は、本業で忙しくなったことで、あまり活動的でなくなってきており、反応次第では、このブログも辞めようかなんて考えてもおります。現に、10月4日にYoutube活動2周年を迎えたのにもかかわらず、予定していた動画公開(日・英・西)も一度中断することにしましたから。

曲作りは体力の有る限り毎日続けてます。先月も初めてVOCALOID1でカバー曲出しましたし。結構大変でしたけどね…(..;) これの話も早いことしておきたいな。。


とりあえず、11月5日のMEIKO生誕祭には和風曲を、11月末かクリスマス直前に長編バラードを、12月の中頃にプロセカのコンテストに出して、見事落選した「ソラリス」の手直し版(ミックス気に入らなかったのでやり直します)を、最悪冬が明けるまでに鬱メタルを出すつもりです。本当に出来るか心配ですが、はつらつと楽しみたいと思います!

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