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刈谷メソッド_01「なんのためにボードゲームを作るのか」

 いきなり哲学的な章タイトルで恐縮ですが、なにか説教めいたことを言いたいわけではありません。
 仕事の具体的な技術を語る前に、やはり「なんのために」という部分を改めて考えておくことが重要だと思うというだけのことです。
「なんのため」の部分は別に「世界中の子供を笑顔にするため」でも「自己顕示欲を満たすため」でも「単に金のため」でもなんでもいいと思います。
 なんでもいいのですが、その目的が「キワのキワで最後の力を振り絞れる」ものでなければ意味がありません。

 仕事には当然締め切りがあります。勤務時間の制限もあり、残業すると会社から怒られたりする中、それでも最後、「ここであと3時間作業できたらぐっと良くなる」みたいな状況になったとき(残念ながらほとんどの商品でそういう状況になります)、「なんのためにボードゲームを作るのか」が自分の中で明確であれば、「なので頑張ろう」と思えるのです。
 そこが明確でなければ、「まあ、ある程度の責任は果たせたんじゃないかな」と思ってそこでフィニッシュしてしまう。
 でもそこで本当に最後までこだわれるかが、最終的なクオリティに与える影響は小さくないと感じています。

 なのでボードゲームの編集をすることになった場合、まず自分の中で「何のためにボードゲームを作るのか」を明確にしてください。
 まあ、何の仕事でも同じかもしれません。目的と言いますか、自分の到達したい場所が明確でないと、なかなか最後まで頑張れないですよね。

 さて。
 目的は「世界中の子供を笑顔にするため」でも「自己顕示欲を満たすため」でも「単に金のため」でもいいと書きましたが、そのうえでやはり目的は「公共の利益に貢献すること」を選ぶのがもっとも成果を出しやすいように思います。
 説教めいたことを言いたいわけじゃないと書いたのに、説教臭くなってきましたね(笑)。
 でもこれは説教というよりは、ひとつの技術だと思っています。

「自己顕示欲を満たすため」という目的自体は、別に悪いことではありません。
 ただそれを目的とする場合、編集という仕事が妥当だとは思えません。芸術家や作家、歌手や役者、プロスポーツ選手を目指すべきです。
 編集業務ははっきり言って裏方です。編集者が自己顕示欲を満たそうとしても、大体ロクなことにはなりません。まず担当している作家さんが不思議に思うことでしょう。
 ちなみにわたしはポリシーとして、自分が編集を担当した作品には「編集:刈谷圭司」と名前を入れています。ですがこれは自己顕示欲からの行為ではなく、作家さんを守りたいからしていることです。
 商品が世に出た際、一番世間の矢面にさらされるのは作家さんです。「面白い」「面白くない」は作家さんが責任を負うべきですが(面白くない商品を発売した責任は商品化を決定した人にある)、「ルールブックが読みにくい」「グラフィックが見づらい」「イラストが作品にマッチしていない」といった批判が作家さんに向かうのはおかしいですよね。
 プロダクト(工業製品)のクオリティに最終的に責任を持つのは出版する会社であり、担当編集者だと思うので、わたしは名前を載せるようにしています。本音で言えば、あまり載せたくはありません(笑)。でも作家さんが自分の名前をさらして戦おうとしているのに、ほっかむりして「編集:株式会社アークライト」みたいな逃げをうって責任を回避することは、わたしにはできません。

「単に金のため」という目的も、あまりお勧めできません。本当に金儲けが目的であれば、株や投資を必死で勉強した方がいいはずです。あとやはり芸術家的な生き方を目指した方がいいのではないでしょうか。
 サラリーマンが普通に仕事をしていて、担当商品が売れたからといって、よほど凄まじい売れ方をしない限り、特別ボーナスが出たり昇進したりはしません。
 最後の作業にこだわるかこだわらないかの違いは、5年10年経てば非常に大きな差となって表れるのですが、1~2年では会社が評価するほどの差にならないことが大半です。金儲けを目的に5年10年モチベーションがもてばいいですが、大体において1~2年で「まあここで頑張っても給料が変わるわけじゃないしな」という方向に流れることになるでしょう。

 なので「公共の利益に貢献すること」を仕事の目的にする方が、結局良い仕事をするための技術として優れていると思います。
 わたしの場合は、「日本にボードゲームを広め、文化として定着させる」ことを目的としています。非常にフワッとしていてつかみどころがありませんね(笑)。
 ただ、目の前の担当商品を頑張ることが、そうした未来につながっていることは間違いありません。自分の担当商品を少しでも良いものにして、少しでも多くのお客さんに買っていただき、少しでも多くのお客さんに楽しい時間を過ごしてもらうことが、わたしの最終目標に近付く道なのです。
 なので最後の最後まで頑張ろうと思える。ここでやめてしまうと後悔すると思うからです。

 ただ「公共の利益に貢献する」という話も、素直に受け入れられる人とそうでない人がいるでしょう。むしろ後者の方が多いかもしれません。
「自分自身のことだって満足に幸せを感じられないのに、世の中のためになんて口にしてもすべてが嘘くさいし、自分の目的として受け止められない」
 という人も多いのではないでしょうか。

 ですが、結局悪い方に考えてもどうにもならないのです。悪い方に考えていたらいつの間にか気分がスッキリして、すべてがうまく回り出したという話を、わたしは聞いたことがありません。
「恨みや復讐心が原動力」という人がいるかもしれませんし、それで一時的な成功を手に入れることはあるかもしれませんが、復讐は果たせるまでは苦しいですし、果たした後はもう復讐は残っていないわけですから、新しい目的が必要になります。
 そこで新しい復讐を目的にするとまた苦しい日々が待っていて、最後まで幸せになれそうにありません。

 このへんは「メンタルが強いと幸せになれる」の項目で詳しく説明するつもりですが、「メンタルは常に鍛えるべきであり、自己暗示をかけて無理矢理にでも前向きになることが結局成功につながる」とわたしは考えています。
 なので自分のメンタルがどれだけネガティブであろうと、無理矢理にでもなにか「公共の利益に貢献すること」を具体的な目標にして、自分の心が折れそうになったときも、ウソでも呪文のように唱えるべきだと考えています。
 そうしているうちに、しんどい時期を乗り越えられたりするものです。

 ここではこれ以上詳しく書きませんが、どんなにひねくれた物の見方をする人であったとしても、どんなに世の中が信じられない人であったとしても、ボードゲーム編集者をするのであれば、仕事をする目的を「公共の利益に貢献すること」にすべきだと思います。
 なぜなら、そうすることで自分の担当する商品が良いものになる確率が上がるからです。

 究極的に、ボードゲーム編集者の最大の目的は「売れるボードゲームを作ること」であるはずです。

 そのための技術として、「公共の利益に貢献すること」を自分がボードゲーム編集をする目的に据えると効果的だと考えます。
 実践してみてください。


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