幻をいつも、愛してた……(芸についての私論)

◆SNSは常に相手の“独り言”が可視化されるからいけない。そりゃ息も詰まるし失望もするわと。
 昨今のインターネットは、人と人との距離が近過ぎるきらいがありますよね。お前ら人間関係が厭でインターネットに来たのではなかったのかと。嘗てのように、「サイト管理人とリスナー」のような構図がいいですよね。サイト掲示板ではあくまでテーマに沿った節度のあるコミュニケーションで。
 自由を求めた結果が、相互監視社会になってしまうという皮肉さ、人間の業の深さよ。恥ずべし痛むべし。

◆Twitterで某氏から教えて頂いた「オドループ」という曲。少し冗長に感じるものの、歌謡テイストのリズムがクセになる曲でお気に入りになった、
……かと思ったのだが、何かいけ好かない。多分1番の要因はPVだ。その辺にいるにーちゃんねーちゃんが気怠げ(を演じながら)にやっているのが好かない。あとは楽曲的にも、SNSへ投稿してバズった系のものに思えてどうにも"素人の一発ギャグ"感が拭えないのだった。
 多分、僕は"素人芸"が嫌いなのだ。アーティストには、作り込まれてしっかりと演出されたファンタジーを期待しているのだろう。無論、技術的に上手い下手の話ではない。例えば、僕が熱中した嘗てのGIZAアーティストは、はっきり言って歌唱面でお粗末なシンガーも少なくなかった。しかし、彼女らは決して素人芸な芸風ではなかった。むしろその拙い歌唱がある種の"儚さ"を醸し出し、浮世離れ感の演出に一役買っていた。
 嘗て上岡龍太郎が「現在の大衆が求めているのは、素人が芸をするか、芸人が私生活を見せるか。この2つしかない」と語ったが、あれから30余年を経て実際にそうなっている。SNSの膾炙はプロと素人の境界を曖昧にした。しっかりと作り込まれた世界は、ともすれば"ベタ"と揶揄され、物笑いの種になってしまった。
 しかし、しかしである。素人芸は親しみやすく即効性はあるものの、耐用年数が短くないだろうか。所詮は"一発ギャグ"の域を出ないのではないか。
 インスタント食品ばかり食べていては身体を壊す。同じように素人芸ばかりでは文化的レベルが下がってしまう気がしてならない。もう手遅れかもしれないが、ミュージシャンに限らず、しっかりと作り込まれた"玄人芸"が育ち、活躍出来る市場マーケットも残って欲しいと願わずにはいられない。

 「オドループ」を聞いていたら、何故か思い出したのが相対性理論の「LOVEずっきゅん」。久し振りに聞いてみるかとようつべで検索し、気がついたら視聴していたのは「LOVEずっきゅん」ではなく「LOVEドッきゅん♥」。
 嗚呼、僕はやっぱりこっちの方が断トツで好きだ。非現実のファンタジーとして作り込まれた芸の世界。現実に近似した世界なんか見たくない。もっと上手な幻想ファンタジーで僕を酔わせてくれ。もっと強い魔薬で……。

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