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かりそめの仕事【前編:やりがい】

最近仕事にまつわる本を二冊読んだ。一冊は「HSPサラリーマン」(春明力)、もう一冊は「女と仕事」(仕事文脈編集部)だ。

「HSPサラリーマン」は、サラリーマンを主人公とした一つの物語をとおして、仕事をする上でのさまざまな教えが散りばめられている。営業の仕事がうまくいかない主人公が、友人と先輩の言葉に影響を受けお客さんとの向き合い方を変えていく。

旦那さんのススメで読みはじめ、気付いたら3時間ぶっとおしで読みふけっていた。読書にここまで熱中するのは久しぶり。表紙はビジネス書のような感じで仕事のノウハウが書かれていそうな体裁なんだけど、その実は感動の成長物語。最後には涙を流さずにはいられなかった。主人公の成長をとおして、自分の生活や仕事について考えさせられた。

他者と交わりながら生きていく上で肝に銘じておきたい言葉がごろごろあった。そのうちのひとつに「人は貢献したい生き物」というものがあり、これについて自分の仕事と照らして考えてみる。

私が今の仕事(デザイン・イラスト業)をはじめたのは、元々は紛れもなく自分のためだった。絵を描くことが昔から好きで、ポスターやお店の販促物なんかを作ってみたいな〜と夢に思っていた。でも実際進路として選んだのは、法学部、医療保険の事務職。そうなると当然理想と現実のギャップに苦しむことになった。結婚を機に満を持して退職し、そこから紆余曲折あって人生の軌道修正をはかっているところである。

だから、これは幼い頃の自分を抱きしめるように、自分に報いたい一心ででやっていることで、「人に貢献したい」なんて立派なことは思っていなかった。

活動をはじめて一年が経ち、個展をしたり、ありがたいことに絵やデザインの依頼をいただくようになったりと、「夢が叶った、しあわせだな」と思うことがぼちぼち起こりはじめている。でもなんだか、まだまだ飽き足らない感じ。この原動力は何なのか。

それはもちろん、まだ会社員時代ほど稼いでいないとか、やってみたいことがまだあるとか、そういうことでもあるんだろうけど。今私はきっと「第二段階」へ移行している真っ盛りなんだと思う。自分のやりたいことを自分のためにやった第一段階から、誰かのためにやる第二段階へ。

私はオリジナルグッズなど作りたいものを好きなときに作る作家活動と、依頼を受けて相談しながらものを作っていくクライアントワークを並行して行っている。

作家活動をしていて嬉しいこと。
私の絵のファンだと言ってくれる人がいたり、わざわざ一目惚れしたイラストを購入したいとメッセージをくれる人がいたり、絵を見て癒されたと言ってもらったり…。そういうこと。「しあわせな瞬間は?」と聞かれて、私は美味しいご飯や睡眠よりも、「好きなものに出会ってビビビときて、ワクワクしてどうしようもないあのとき」が思い浮かぶ。私も誰かのそういう瞬間をつくれているのだな、と思うと胸が熱くなる。

クライアントワークでは、依頼者のイメージやコンセプトをデザインに落とし込むのだけど、この「依頼者の要望」と「私らしい」がバチっとハマる瞬間が気持ち良い。確認してもらうときはいつもドキドキだけど、喜んでもらえたときは本当にほっとするしやりがいを感じる。なにより目に入るもののビジュアルが良いと日々の気持ちがちょっと明るくなるから、そういうことのお手伝いができているのは嬉しい。

結局、自分のためにはじめたことだったけど、やってみたら「仕事がある」という事実よりも「誰かが喜んでくれる」感触がやりがいになった。もとを辿れば、絵を描くことが好きだったのも家族や先生が喜んでくれて嬉しかったからだと思う。

「貢献する」って言葉はなんだか仰々しくて、「いや、私はそんなたいそうなことは…」って恐縮してしまう。でもつまりは「自分のしたことで誰かが喜ぶ」ってこと。そうしたら自分も嬉しいし、結局は自分のためなんだな。そんな、文章にするとその辺にありふれていることをやっとちゃんと受け入れた。

「自分のために誰かを喜ばせるために仕事をする」。やっぱり人は、元来貢献したい生きものなのだ。そう考えたら、何をしたら喜んでくれるのかを考えるのが楽しくなってきた。

そういえば、当初から「お気に入りをもうひとつ」ってコンセプトを掲げていた。途中、仕事を見つけるのに必死だったり方向性が定まらなくて悩んだりして、ちょっと忘れていたコンセプト。もう一度ここに立ち返ろう。
私は自分のイラストやデザインで、誰かのお気に入りをひとつ増やしていきたい。依頼した人や、それを目にした人が「これいいな」って思ってくれて、生活を少しでも明るくできたら良い。

かりそめ、ギアチェンジです。

後編(3/12更新)へつづく。

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