かりんごの”愛”に対する信念。

こんにちは。かりんごです。
2019年の抱負に

”愛を与える側になりたい”

と宣言していました。

でも実はかりんごは誰かに愛されたいって
切に願っていたりするんですよね。

なぜ愛に対して、こんなにも敏感になるのか。
自分でも気になるので、
今日は、”愛”へのこだわりについて語ります。



家族ってなんだろう?自分は独りじゃん。

かりんごの両親は仲が悪く、また貧乏な家庭でした。
両親はずっとピリピリしていたな〜って思います。
自分たちの生活に精一杯だった印象です。
私が中学生になって両親は離婚しました。

自分の子供を愛していたとは思うけれど、
実際の私は、親の愛を感じた記憶はないです。

家族で旅行行ったことなんてないし、
家族が皆家にいて生活している家庭の話、
仲良しな話を、聞いては
羨みの感情を抱いていました。
だからなんとなく、
”家族”に対してコンプレックスのようなものを感じていました。

家族ってなに?
というふわ〜っとした
もやもやを持っていました。

自分の心の底で思うこと、私の全てのことを
話していないし、
言ったら否定されるって感じていたから。

名目上”家族”だけれど、
信用のおける存在とは違ったのですよね、”家族”なのに。

だから私は孤独を感じていた。

今、私の家族は
皆それぞれ違う場所で、
生きています。

離れたからなのか、
それぞれ幸せを掴んだからなのか、
大学に入ったくらいから、

母親は
「なんでも自分が思うことをやったらいいよ」
って言ってくれます。
干渉することなく優しく見守ってくれています。

父親は
連絡するといつも
「かりんちゃんはお父ちゃんの自慢の娘や〜頑張れ〜」
って伝えてくれます。

兄は
なんでも言える親友みたいな存在です。
(多く関わるのは好きじゃないけれど。)


**将来も周りも全てが真っ暗に見えた日。

**

私が考えることって誰に伝えたらいいの?
心の底の想いは誰に伝えたらいいの?
誰かが私の話を聞いてくれるの?

私はなんで生きているの?
なんでこの世に生まれたの?
なんでこの家庭に生まれたの?


真っ暗なもやもやが頭の中を、心の中を、
自分の体の周りをぐるぐる回っていました。

思春期真っ只中の高校2年生の時の、
冬のある一日。
母の「モデルやめてくれない?」
という一言と共に
そのもやもやが一気にいっぱいに溢れ、
爆発したんです。


泣いた。

声をあげて泣いた。



強がりの私が涙を流したのです。
全然泣くことがないから、
私ってこんな泣くんだなって
自分でも驚きました。


ずっと忘れることのない、一日です。
自分の暗闇というか、
かりんごの奥底にある
黒い種のような記憶。

なんか・・・暗い話になっている・・・!!

同情が欲しいとか、
哀れんで応援してくれとかじゃなくて、
ただ今のかりんごを形成している核なのです。

孤独の苦しみがわかるから、愛を。

この苦しさがあったからこそ、
愛されたいという欲求が
人一倍強いんだろうなあって
思っています。

愛されたい、というか、
愛されてみたい。

強い強い愛を、
目に見えない力を感じたい。

愛がない苦しみが
わかるからこそ、
愛を余すことなく与えたい。

強く強く愛を伝えたい。
って思っています。


おわりに

ひいぃいいいぃぃぃいいい!!!

超重量級のnoteになってしまった〜〜〜!
読んでるケータイの手、重く感じたらごめんなさいねえ〜〜〜〜!!!

かりんごの強い信念がここに詰まってルウ〜〜〜〜!

だからこそ文章も堅い〜〜〜〜〜!

ひいぃぃぃいいいいぃ〜〜!

そう、大事にしたい信念だから、発信したくて、
文字に残したくて!!

りんご〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!


#かりんご #かりんごの核 #家族 #コンプレックス  

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