香り
そのひとは、好きな香りがした。
よくある香りの濃い柔軟剤や洗剤とは全く違う、繊細な。たぶん、普通なら気づかないほどの微かな香りだ。
私はどうやら嗅覚が鋭いらしい。
数年前アロマオイルに興味を持ち始めたのがきっかけで、以前から好きで集めていた香水の、それぞれにどんなノートが含まれているか、ある程度嗅ぎ分けられることに気づいた。
私が10代の頃に初めて買ったのは、スイートオレンジとムスクが香るドイツ製の男性用オーデコロンだった。ターコイズブルーの地に金の文字が描かれたクラシックなラベルが印象的で、少し角ばったガラス瓶に入っていた。
夏のある日、そのコロンを思い出す香りがした。
たまたま外で並んで話していた時だ。一度は気のせいかと思ったけれど、話していた彼がふと、大きなジェスチャーで腕を上げたとき。捲ったシャツの袖からだろうか、やはりその香りがした。
最初に感じたムスクの他に、オレンジよりも苦みのあるベルガモットやレモンのような香りと、カルダモンのようなスパイスの甘い香り。私がかつて愛用していたあのオーデコロンと似ているものの、もっと大人っぽく落ち着いた香りだ。
香りのことを口にした私に、彼が教えてくれたのはイタリアのある香水の名前で、もう長く使っている好きな香りだという。
きっかけは『試供品をもらったから』と言っていたけれど、たぶん、かつての恋人にもらったんだろうな、とぼんやり思った。パフュームや男性化粧品のフロアに、ひとりで行くタイプでは無さそうだから。
ただ、改めて見ると彼は、手帳のカバーも革靴もカバンも、自分の好みのものを選んで大事に使っているらしいのがわかる。何が好きなのかを自分でよくわかっている。自分に何が似合うのか、も。
何を考えどんな年月を過ごしてきたかは、間違いなく歳とともに顔に出るし、何を選んでどう身に纏ってきたかも、同じようにそのひと自身を作っていくんだろう。
もっと前に会えていたら、どうだったのかなと思いながら、でも今で良かったんだろうと、横顔を眺めていた。
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