見出し画像

001_虚を衝かれる3月

自己紹介のページを書いた後から、随分と時間が経過してしまいました。

色々と書きたいことが出てきたので、スマホアプリから書けば良いのですが、「出来ればパソコンで書きたいなぁ♪」などとワガママなことを考えているうちに色々なことが舞い込んできて今になってしまいました。

元々3月は、卒業やら転出やらで色々あるものです。
今年は既に勤務先の病院が閉院するという一大ニュースがあって気持ちがざわついていたのですが、3月に入って更に気持ちを揺るがすニュースが舞い込んで来たのです。

■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇


3月は自分の誕生月でありまして。
12日に40歳になりました。
これは予定されていたことですけれども(笑)、これまで想像していた「40歳」のイメージと自分自身が全然重ならなくて不思議な感じが否めません。
身体は確実に年齢を重ねている実感が出てきましたが、精神的にはまだ20歳くらいのような気がします。「若い」のか「幼い」のか、それを天秤にかけながら毎日過ごしていかねばならないな、と痛感する場面がありつつ、ただ、何事にも全力疾走でやることが極端だった20代~30代の初めの頃よりも、何をするにしてもアクセルとブレーキのかけどころを見定めることが段々出来るようになってきたように思います。

少しずつ、少しずつ、自分の人生を歩み始めている実感がし始めていて。
コロナ渦で世間が鬱々としている中、自分の足元を踏みしめながら生きていられることに感謝しなければなりません。

良さげな雰囲気を醸し出した…40歳になって早々失業するのですが(笑)。

年齢を重ねて能天気になったのかふてぶてしくなったのか、24歳で初めて就職したソフトウェア会社を結婚を機に32歳で辞めた時は、自分が「辞めたい」と言って辞めたのにも関わらず、後々自分でも情けないくらい動揺してしまって仕方なかったけれども、今回はちょっと違う自分がいます。
勤務先の倒産は想定外でしたが、子どもがいないので、自分がやりたい仕事を選べる可能性があるので少しワクワクしているのです。年齢が年齢なので楽観視はできないとわかってはいるのですが。。。

■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇

こんな風にふわふわと浮足立っている私の元に、一つ年上の従姉の訃報が届いたのが、桜が満開になった3月の下旬でした。

母からの電話で聞かされました。

就職してから家族や親戚と離れて暮らしている私は、そもそも従姉と会う機会がかなり減っていました。最近はコロナ渦ということもあり、私が地元に帰る頻度が少なくなっていたこと、従姉が介護の仕事をしていて非常に忙しくしていたこともあると思います。最後に会ったのは、少なくとも2年前です。

直接連絡を取り合うことはありませんでしたが、家族から近況を聞いたりして元気にしていることを聞いたばかりだった気がします。

「嘘でしょ?」「何故?」

従姉は幼少期に川崎病を患っていて伯母が大変悩んでいたことは覚えているのですが、中学生になったあたりからは経過観察も終わって普通に過ごしていたように記憶しています。それ以来、どこか身体を悪くしていると聞いていなかったので…本当に急なことでした。

実感など微塵もないままに時間ばかりが過ぎました。

悩んだ末に葬儀には参列せず、伯母にその旨を詫びる手紙を書きました。
伯母にかける言葉が見つからず、泣きながら、徹夜して手紙を書きました。
翌々日。
手紙を読んだ伯母から電話を貰って、この話が現実に起こったことなのだと実感したのでした。

圧倒的な無常観。

何故、従姉が天に召されなければならなかったのか。

40歳になって早々に届いた従姉の訃報は、失業以上に衝撃的な出来事でした。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?