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モラハラ・DV夫との離婚手順ーその10「面前DVの影響」

離婚の顛末については「その9」までにまとめましたが、今回は子どもに対する面前DVの影響について、そのような場からもっと早いうちに子どもを守れなかった反省もこめて振り返ろうと思います。


これまでの子どもの様子

私の家庭では私自身は掴みかかられたり殴られることがあったものの、子どもに対して夫が手をあげることはありませんでした。しかし些細なことで執拗な説教をしたり、私に対する当てつけで子どもを叱ることはよくありました。そうすれば私が必ず子どもをかばい、静止したり抗議するので、それを私への攻撃の口実にできるからです。

自営業のため仕事も生活の場もいっしょで、私に対する夫の攻撃はいつでも起きていたので隠しようもなく、物心ついたころから子どもはそれを見ていました。

争っている場面では、泣いて止めに入ったり布団にもぐって泣いていることもありましたが、そうしたことがあった後は、子どもに嫌われたくない夫がお菓子や好きなものを買い与え機嫌を取るので、子どももそれに応えて何事もなかったようにふるまっていました。学校の学習でも友人関係でも特に問題が表面化することはこれまでありませんでした。

子どもの変化

先の記事にも書いたように、私が家を出た後、泊りに来たり外で会うことはあったものの子どもは夫と一緒に暮らし、私とは一時的に離れていました。その後、子ども自身が自分の意志で私とともに住むようになり、それ以降は元の家には一度も戻らず、今後父親と住むことはあり得ない、と本人も言っていました。

一緒に住んでから、子どもの腕に自傷のあとを見つけたのが最初に気づいた変化です。普段から子どもとは何でも話していましたが、一度テレビのニュースか何かをきっかけに、リストカットをする子についてどう思うか、と尋ねられたことがあり、その時には私自身も中学生の頃経験があることと、それをせずにはいられない心境は理解できることを話していました。

たぶん、隠したい一方で、自分がそのような不安定で傷ついた状態にあることを、子どもは知ってほしかったのだと思います。私は内心動揺しながらもできるだけ冷静に話を聴き、リストカット以外で気持ちを鎮める良い方法や工夫を、一緒に探していこうと伝えました。

子どもは学校の勉強や行事は従来通りやっていましたが、それでエネルギーを使い果たしたかのように、一生懸命やったその後数日は欠席や遅刻早退が頻発するようになり、次第に生活のリズムが崩れていきました。

どう対処するか

子どもの変化や不調は、初めて安心できる環境にいることで、これまで我慢してきたことが出てきているのだと理解できました。そしてそれは出きってしまうまで出さないと、回復していくこともできないとわかっていました。私自身も同じ状態だったからです。

長い間、面前DVというひどい環境に子どもを置いてしまったのは、私の責任であることは自覚していたので、その傷つきによる子どもの変化と私が向き合うことは当然と思っていたし、一切否定せず受け入れようと考えていました。

しかし、私自身もまだ回復はしていない状態です。一緒にカウンセラーや病院にかかることも考え提案しましたが、子ども自身がそれを拒否していました。

それで私は、たまたまその時期に開催されていたDV被害者支援のための研修を受けました。それは、DV被害者を支援しているNPOが行っている研修で、おもに支援者のためのものでしたが、被害者のケアについてや、支援する側が代理受傷をしないための方法などは、私自身と子どものケアに役立つことでした。

そこで学んだことを参考に、私が子どもと自分のために行ったこと、注意したのは次のようなことでした。

否定しないこと

傷付きから回復するためのいわゆる「サバイバースキル」には大きく分けると二種類あり、リラックスに役立つマッサージや気持ちを発散させるスポーツなどの穏やかで前向きなものと、それと異なる不健康に見えるものがあります。

それは、例えば過食や拒食、薬物やアルコールなどへの依存、自傷、子どもの場合は夜間外出など、問題に見える行動が含まれます。自分自身にもダメージを与えてしまうようなこれらの行動ですが、一時的にそれらの行動に移ることで深刻な行動(例えば自死など)を回避して、徐々にでも健康的な回復に向かっていける、という場合があると思います。これは、私自身が過去にうつ病や不安神経症になって依存や拒食に陥った実体験から感じていることです。

そうした経験から、自傷について無理やりに辞めさせようとすることは逆効果だということは理解できたので、注意深く見守ることを続けました。

自分自身の不安や心配から子どもに感情をぶつけて否定することは決してしないように注意し、煮詰まってきたときには友人に不安を吐き出して、自分を保つよう努める一方、子どもを大事に思っていること、元気になるためにできることはなんでもやっていきたいと思っていることは、ことばではっきり伝え続けました。

好きなものを選択させること

日常生活の中では、小さなことでも意識的に子どもに選択させるようにしました。

自分の意志や要求がことごとく潰されてきたDV被害者(とそのような環境に居た子ども)にとって、小さなことでも自分の希望が実現していくことは精神的な回復に重要だと、研修の際に改めて知ったからです。

たとえば夕飯の内容も、何種類か候補を出して「この中からだと、今日は何が食べたい?」と尋ねてメニューを決めていました。

元夫は何にしろ家族に自分の好みを押し付けていましたが、食事の味付けでも自分の好みのもの以外は認めず、それぞれ好きな味付けに変えようものなら、否定し馬鹿にし不機嫌になるなど、特に食事をきっかけにしてのモラルハラスメントやDVが多いため、食卓ではいつも嫌な緊張感がありました。

だから、子どもが自分の好きな食事をおいしく、楽しく食べられる食卓を実現することで、そうした食事に関する嫌な記憶を払拭していきたかったのです。

衣類の買い物でも子どもと一緒に行き、好きなものを自由に選ばせました。その中で子どもがこれまで父親が買い与えていたものとはまるで違う、シンプルでトラッドな組み合わせを本当は好んでいたことを知りました。(元夫は自分の好みと同じようなタイプの服を買ってきては子どもに着せていました)

私自身と同様に、子どもも父親の強いてくることに従わざるを得ない環境で、自分の望みや好みを出さないようになっていたのですが、少しずつ自分だけの好みが身の回りに実現していくことで「好きなものが部屋に増えていくのは気持ちのいいものだね」と言うようになりました。

グリーフケア

家族や大事なひとを亡くした時に感じる悲嘆を指して「グリーフ」と呼びますが、この「失ったものに対する悲しみ」はDV被害に関しても当てはまるそうです。自分自身の尊厳や将来への希望など、多くのものが欠けてしまったような感覚は、私も感じていたし子どももそうでした。

研修の時に見たグリーフケアのために作られたある施設の映像では、室内に置かれた大きなクッションやぬいぐるみが数多く映っていて、それは柔らかいものを抱きしめたり掴んでいることが、心を落ち着ける作用があるからだと聞きました。

そのため、子どもと私用にそれぞれ一つずつ、動物のかたちの抱き枕を買い、ソファには手触りのいいクッションもいくつか置きました。また、子どもが生まれた時から持っていたいくつかのぬいぐるみを、最後の荷物搬出の際に持ってきてきれいに洗い、いつでも触れるようにソファに置いておきました。

境界線を保つこと

以前の住居では、元夫には自室があったものの、私も子どもも自分の部屋を持っていませんでした。自分を保てる「一人でいられる場所」が無く、元夫に精神的にも現実的にも境界線を侵食され続ける生活だったので、今の住居では一室ずつ確保し、それぞれ自分の空間を作るようにしました。

不安定な子どもが心配で、部屋に閉じこもっていると様子が気になりましたが、放っておいてほしいという時に干渉し続けることはしないようにし、部屋には必ずノックをしてから入ることにしていました。自分の空間はきちんと尊重される、ということを感じてほしかったからです。

また、空間の境界のほかに、精神的な境界線も意識しようと努めていました。子どもを何らかの形で自分の思うように動かしたい、と思って言葉を発してはいないか、自分の考えを押し付けず、子どもの気持ちや考えを聴こうとして話しているか、をふりかえりつつ話すクセをつけるようにしました。

子どもと自分の精神的な境界をそれぞれ大切にするために「私はこう思うけれど、あなたはどう考えているの?」と、自分の考えを静かに伝え相手の答えを待つ話し方をするように心がけましたが、それは私自身が自分の考えを意識して、他人に干渉し過ぎたり自分を抑えすぎる傾向を改善していくことにもつながりました。

親子ゲンカ

私も子どもも、怒りに怯えたり嫌な気分になることは以前の家庭の中で散々味わってきたので、二人暮らしになってからは、大きな声を出すことや感情的になることは抑え、家の中が静かで穏やかであることを大事にしてきました。

学校に行けない日があることも、子どもにとって回復に必要な経過なのだと見守るようにしていましたが、私自身も傷みが大きかったので受け入れるキャパもまだ少なく、ある日お互いに感情をぶつけることになりました。

考えてみると、私と子どもが協力して夫に対処したり、お互いに共感して支え合うことはあっても、ぶつかり合ってお互いが成長していくような親子ゲンカはその時までしたことがありませんでした。

何でも自分の考えを押し付け強いてくる夫によって、私の考えでの子育てが十分できなかったので、子どもとしっかり向き合えないままだったのです。子どもは思春期を迎えても、その時まで反抗らしい反抗もありませんでした。いつも私と夫の間を取り持つことばかり考えて、自分の感情を子どもらしく発散させることもできなかったのだと思います。

子どもから言われることばにショックを受けたり、悲しく思うことも当然ありましたが、ケンカをしてもそれがお互いにとって成長の機会になるはずだし、理解し合える結果になればそれでいいのだと、次第に慣れて行きました。

まとめ

子どもと私自身のケアはまだ途上で、二人一緒に気持ちが落ちることもあり、いまだに試行錯誤は続いています。しかし、当初よりは回復も成長もしていると感じられるので、時間がかかっても次第に良くなっていくことは確信しています。

面前DVで子どもの受けるダメージは非常に大きなもので、平気に見えていても確実に傷を負っています。安心で安全な環境は人間が健康に育っていくためにいちばん必要で大事な要素なので、それが無い環境からは子どもを守らなくてはなりません。

かつての私と同様にDVやモラルハラスメントで悩んでいるお母さんには、まず支援団体や相談できる機関を探して繋がってほしいと思います。ひとりではできないこと・考えられないことも、話せる相手がいればできるようになりますし、できるように協力してもらえます。

自分と子どもを守るための行動の第一歩を始めてほしいと願っています。













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